ミッドナイト・ラン [23区]

文字数 2,615文字

 都心の月極駐車場の月額は神奈川の家賃に匹敵する。あまりにも高い。六本木でディアブロが止まっていた駐車場の月額はおれの住んでた部屋の家賃二か月分だった。

 おれは車を持ちたかったから神奈川に部屋を借りていた。もちろん売れないバンドマンなんて身分で金なんざあるわけがないから車はおんぼろだし部屋はあばら家。おれ自身は車以上にぽんこつだった。

 車は古い国産のオフロード四駆で、千葉にある中古屋まで行って買った。交通費をケチってえらい距離を歩いて受け取りに行った。なのに納車時にガソリンかっつかつで納車するようなセコい店だったもんだから店を出た瞬間に燃料アラートが点灯しやがった。幸い五百メートルほどのところにガソリンスタンドがあって、納車直後にいきなり給油した。おかげでその日は昼も夜もメシ抜きになった。

 あばら家から少し離れたところに駐車場を借りた。一番入れにくいところだけ安くなっていたからそこを借りた。一番奥の角だからケツからバックしていかないと入れない。でも駐車場の前の道は切り返せるようなスペースがない。表の通りで切り返してケツから路地に入り、そのままバックで駐車場まで行って入れるしかないというトリッキーな駐車場だった。借り手などいるはずがない。その駐車場に入ってる他のどれよりもデカい車をその袋小路みたいなスペースに置いた。一番息苦しいところへ押し込まれたおれの車は、おれ自身を象徴しているようだった。

 午前一時ぐらいになると車を出して出かける。どこへ行くわけでもない。ただドライブをするんだ。

 神奈川から国道246号線へ出て、多摩川を渡る。川崎市から世田谷区へと越境する。あの頃まだ渋谷には屋上にプラネタリウムの乗っかった建物があったし、駅なんて汚らしいもんでまわりも古いビルばかりだった。そんな渋谷を左にみながら高架をくぐって麻布、六本木を抜ける。

 東京は眠らない町だなんて言われているけれど、眠らないのは六本木あたりまでだ。六本木だって当時はヒルズが無いんだからまるで違った光景だった。駅前のビルにはWAVEっていう輸入盤に強いCDショップがあった。通りを東京タワーに向かって歩いていくとJAZZのメッカ、PIT INNがある。六本木と言えばWAVEかPIT INNにしか用はなかった。

 六本木を越えて議事堂のあたりを過ぎ、桜田門で皇居に出る。そのあたりは午前二時にもなればひっそりしたもんだ。片側が四車線も五車線もある道路で、左折や右折のレーンが二本ずつあったりするもんだから交通量の多い時間帯はどこがどうなってるか熟知してなきゃ走れやしない。それが真夜中だと好きに走れる。おっとここは左折が二車線か、とかいうことを確認しながら走るわけだ。もっとも、日中のこのあたりは政治の中心地で、まるで縁のないエリアだからそんなことを覚えたところで使う機会はなかった。

 皇居のわきを抜けて日比谷から銀座へ出る。帝劇、東京宝塚、日劇。劇場街だ。このあたりも午前零時を回れば静かなもんだ。意外と眠ってる町、東京。銀座からは日本橋方面へ左折して一国へ出る。国道一号線だ。不思議なことに一号線だけ「一国」っていう愛称で呼ばれる。一国を走るとほどなく秋葉原だ。今でこそオタクの街みたいになっているけれど、当時はただの電気街。ラオックスと石丸電機のイメージしかない。

 上野まで行っちまうと戻ってくるのが大変だから御徒町で左折する。東大のある本郷を抜けて東京ドームをかすめ、飯田橋の五差路へ。五差路を市谷方面へ行くとソニーレコードのビルがある。なんかで一度、このビルじゃなくて駅の反対側にある系列の事務所みたいなところへ呼ばれて行ったことがあったな。おれの送ったテープを聞いたとかいうんで電話が来て出向いてみたら、プロデューサーの見習いみたいなやつが逆立ちしても売れそうにないユニットを作ろうとしていて、もはや演奏などどうでもいいような面談をした。
「ちょっと楽器持って立ってみてよ」
 ひでえんだ。アンプも何もねえ。はなから演奏なんか聴く気はねえんだ。おまえはおれの演奏のテープを聴いて電話してきたんじゃないのか。弾かなくていいなら見栄えのいいやつを選べばいいだろう。そう思ったもんだ。おれはいったいなにをやってるんだ。

 そのあほらしい面談は小一時間続いた。
「うーん、また連絡するね」
 大方の予想通り、二度と連絡は来なかった。そんなもんだ。こういうほとんど人を馬鹿にしたようなイカサマ野郎は大勢見た。おれの夢なんてものにはクソほどの価値もないのかもしれないと思った。

 四谷からは二十号へ出る。通称甲州街道。新宿御苑のところで地下になるのが好きだった。ただの古ぼけたトンネルなのに映画のソラリスみたいで未来を感じた。

 二十号が地上に出るとほどなく新宿だ。新宿は一晩中眠らない。太陽が昇ってくるまでその不在を埋め合わせるかのようにビカビカと照明を焚きまくる。もうすぐ二時半になろうかという時間でも昼間みたいに明るいし、人も大勢いる。こんな時間に起きているのはロクなやつじゃあるまい、と自分のことは棚に上げて思う。

 新宿駅も今とはまったく様子が違った。タイムズスクエアはまだないし、それに伴って整備された南口ははるかにさびれた状態だった。新宿はあくまで東西であって南なんてものはおまけです、という空気が漂っていた。おれはその頃の南口が好きだった。賑やかな新宿の関所のようにひっそりとある南口を横目にみながら甲州街道を下る。新宿を後にすると東京から離れていくのを実感できた。

 おれはそんなふうに夜中の東京を走るのが好きだった。これこそが東京の姿だという気がした。昼間首都東京で活動している一千万の人間。そのほとんどは、おれが走ったエリアには住んでいない。住むことを目的としない町。その空気は独特だ。人の息吹よりも町の呼吸のほうが大きく聞こえる。

 あばら家へ戻ってくるとだいたい三時半から四時ぐらいだ。季節によっては空が白み始める。おれの住んでいる町ももうすぐ活動を始め、このあたりに住んでいる人たちも都心へと吸い込まれていく。町はまったくちがう様子を見せ、おれが二時間ちょっとで走ってきたコースは、とても通り抜けられないほど混雑する。
「ご苦労なこった」
 動き始める人々のことを思うとそんな言葉が漏れる。

 太陽が昇り始める頃、おれは寝床へもぐりこんだ。
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