chapter1-6(end):変性のアイデンティティ

文字数 4,238文字



 深夜の独立行政商業区「クニワケ」の、その路地裏。

 そこでスーツ姿の男―――反社会勢力である「劫龍会(ごうりゅうかい)」の若頭「鬼首(おにこうべ)コウイチロウ」は、いつもの通り事務所へと足を運んでいる最中だった。

 無造作に建ち並んだビルの裏、その入り組んだ路地は近道だと思って間違って迷いこむカタギの人間が多い。
 そんな連中が自分達のような筋者に絡まれていては厄介事になるのが必至。
 そのためコウイチロウは、定期的に自らの足で見回りを行い、見慣れぬ人を見かければ大通りに戻るよう促して回ることを日課にしていた。


 今日も何人かの酔っ払いを人通りの多いところまで連れてった帰り。
 このまま何事もなければ、そのまま事務所に到着する運びだった。


「ん……?」

 ―――だがそんな中、コウイチロウはいつもとは異なるある異変に気付いた。


 事務所の入っているビルのその軒下に、外套を纏った不審人物がいたのだ。

 その男をコウイチロウは怪訝に見つめる。

 うちの事務所に何か用だろうか、場合によってはかなり面倒なことになりそうだが――

 コウイチロウは少しため息をつきながら、その不審者の元へと進んでいく。

 すると男はその外套をばさりと脱ぎ、その姿を表す。

「―――お前」

「一月ぶりですね、おじさん」

 そこにいたのは、つい先月に二億円を貸した少年だった。

 ―――あの金を貸した日から数日。

 鳴瀬、という家を中心とした住宅街一帯が原因不明のガス爆発によって崩落するという事件を目にしたとき、コウイチロウは自身の裏稼業人生の終わりを覚悟した。

 独断による金貸しと、その回収は不可能になった事実。
 そのことが上に露見すれば、指を詰めるどころでは済まない。
 いくら隠そうとしてももしも、部下が一人でも心変わりをしてしまえば終わる命だった。

 ―――結局、自身を心から慕ってくれていた舎弟たちは誰一人、その秘密を露見させることもなかったが。

 とはいえ鳴瀬ユウの安否はコウイチロウが今でも気にしていたところではあったのだが……


「……お前」


 ―――そんな彼が、突如として目の前に現れた。

 手にはキャリーカート。
 その上には高級感のあるジェラルミンケースが三個、無造作に積まれている。


 だが、それよりも重要な変化。


「―――何があった、その(ツラ)

 ―――コウイチロウがなによりも気になったのは目の前の少年の面構えの変化だった。
 情けなく、涙を流しながらも真っ直ぐに頼み込んできた純朴な子供。

 だが、目の前のこいつにその面影はあまりない。

 目には濃い隈ができ、見える肌は傷だらけ。
 その表情は険しいもので、それはまるで人を始めて殺めた時に鏡で見た自分に似ていて―――

「なんでもいいじゃないですか、別に」

 少年は自嘲的な笑顔をうっすらと浮かべながら、キャリーを前に差し出す。

 ―――この件に関して、追求は許さない。

 そんな無言の圧力を、コウイチロウはしっかりと感じ取った。
 きっと今のこいつには、害する物を排除するだけの力がある。


 きっと、あの後の出来事でよほどの修羅場に巡りあったに違いない。
 ならば、それを詮索するつもりもない。


 ―――否、余計な詮索をすれば自分とてどうなるか。


「……二億、何も言わずに貸してくれてありがとうございました、返します」


 少年―――鳴瀬ユウはそう告げ頭を下げると、手元のキャリーをコウイチロウに差し出す。

 それを受け取ったコウイチロウは、そのうちの一つのケースを開く。

 ―――確かに、本物の一億だ。

 手に持った時にそう感じ、開けた瞬間にその感覚は確信へと変わった。

 それが三つとは一体、この少年はどう調達したのか。
 そんな視線を向けざるを得なかった。

「三億入ってます。一億は利子と……何も言わずに貸してくれたことへの、気持ちみたいものだから」

 そういい残すと、コウイチロウの疑念の視線を無視し少年はその場を立ち去ろうとする。

「それじゃあ、「俺」はこれで……」

「―――おい」


 思わず、呼び止めた。
 そして懐からある物を取り出し、それを投げる。

「―――」

 少年は難なくそれをキャッチし、それを読んだ。

 ―――鬼首(おにこうべ)コウイチロウの名刺だ。
 普段はそう人に渡すものではない。精々持っているのは、相手方の組織の重役くらいなもの。

「俺の連絡先だ、何かあれば連絡しろ」

 それを誰かに渡したということは、「何かあれば全力で支援する」という意思の表明に他ならない。

「……ありがたく、貰っておく」


 そういうと、少年は立ち止まり腕を伸ばす。
 そこには機械が取り付けられてあり、少年はそれに何かを装填した。

 ―――次の瞬間、辺りを黒い霧が包む。

 響く、爆音。

 そして、数秒後その霧が晴れた中を見ると、少年の姿は影も形も消えていたのだった。


 それを見て、コウイチロウはふと言葉を(こぼ)す。
 その言葉は誰にも届くことはない音量で、だがだからこそ。

 ―――彼への心からの想いが詰まったものであった。



「―――達者で生きろよ」




 ◇◇◇



 病室の戸がガラリと開く音。

 その音で、わたしの意識は現実へと引き戻された。
 なにを、していたんだっけ。

 ―――そう、兄が、鳴瀬ユウが帰ってきたのだ。

 一瞬でこれまでのことを理解したわたし―――鳴瀬ハルカは、いつも家でしていた出迎えの挨拶をする。

「おにいちゃん……お帰りなさい」



「―――ただいま、ハルカ。身体の具合はどうだ?」

 兄、鳴瀬ユウは無理したような笑顔を浮かべながら、わたしの体調を気遣ってくれる。

 ―――あの日の、原因不明の崩落事故から1ヶ月。

 突如として崩れた家は、平和な休日を送っていた大切な両親をその瓦礫の下に埋め尽くした。

 かくいうわたしも、巨大な柱に押し潰されかけ、

「うん……やっぱり、片腕がないっていうのは慣れないかな」

 ―――左腕を、喪った。

 だがむしろ、この程度の怪我で済んだこと自体は幸運とも言える。

「……だよな」

 兄はわたしの言葉に、その表情を一層暗いものにする。

 家に居なかった兄に責任はないというのに、彼は事故後ずっと自分で自分を追い詰めているように感じる。

 だが、どうしようもなかったのだ。
 だってあれはただの災害。人の手でどうにか出来るものでは、決してなかったのだから。

 ―――そしてそんな事故の中、なぜわたしだけが助かったか。

 それはわたしの異能力が、ここぞという場面で発現したことが原因だった。

 そもこれまでの人生の16年間、わたしに異能力はまだ発現していなかったのだ。

 ―――未能力者。

 覚醒前の能力者を表すその区分の中に、わたしは分類されていた。
 とはいえ、この街では能力の有り無しで生活に影響がでることなどそうはない。

 学校では基本的に能力使用は禁止されているし、わたしの学校は他の未能力者も数多くいた。

 能力者だけが入校できるような超エリート校もあるにはあるが、少なくともうちは極々平凡な学生生活を送るに十分すぎる環境にあったし、わたしも満足していた。


 だけど、あの日。


 家が崩れる数秒前に、わたしの能力は突如として覚醒(めざ)めた。
 居間のソファーで寛いでいたその時、見えたのだ。

 ―――自分が巨大な瓦礫に押し潰される、数秒後の未来のビジョンが。

 わたしは咄嗟に身を捩った、そして両親にも声をかけようとして。

 ―――間に合わなくて。

 そして押しつぶれていく両親を、わたしはただ見つめるばかりで―――


「……ねぇ、お兄ちゃん」

 これ以上は、思い出したくなかった。

 あのとき、早く二人に「逃げて」と伝えられていたら。
 もしかしたら、一家全員無事な未来もあったのかもしれないと思うと、わたしは―――


「なんだ?」

「―――どこにも、行かないで」

 わたしの目元から、一筋の涙が流れる。

「おとうさんもおかあさんも、皆しんじゃった……もうわたしには、おにいちゃんしか……」

 その言葉は、どうしようもなく事実であり真実だった。
 もう、わたしにはお兄ちゃんしかいない。

 この十数年間「情けない」、「男らしくない」などと散々からかい、弄ってきたお兄ちゃん。

 でも今はその存在があまりにも尊くて、大切で、喪いたくなくて。


「……大丈夫だ、俺は絶対に死なない」

 ―――どうしようもないほどに、頼もしく見えるのだ。

「今は仕事があるからずっと一緒に居ることはできないけど、出来うる限り会いに来るから」

「ありがとう、おにいちゃん……!」

 わたしは頭を撫でてくれるお兄ちゃんに笑顔を向ける。

 ―――あぁ、笑ったのなんて一月ぶりだ。

 そんなことを考えながら、わたしは考えることをやめた。


『―――次のニュースです、狭瀬(せませ)(がわ)下流にて、撲殺された成人男性の遺体が発見されました』

 そんな折、聞こえてきたニュース。

『遺体は人間のものとは思えない腕力によって滅多うちにされており、警察では能力者の若者による犯行とみて、『英雄達(ブレイバーズ)』との合同捜査を行うことを発表しました』

 その伝わってくる情報は、あまりにも凄惨で、わたしは事故のことを一瞬連想しかけて。

『被害者の名前は―――』


 ―――そのとき、突如としてTVの電源が落とされて。

「……おにいちゃん?」

 そのことを疑問に思い、兄を仰ぎ見る。

 その手元にはテレビのリモコン。



「あぁ、ごめん。あまりにも痛ましいニュースだったから、つい」

 そう語る兄は苦笑しつつ、リモコンをベッドの横へと置く。

 だけど、わたしは見逃さなかったのだ。


 ―――その次の瞬間の兄の表情とつぶやきが、一生忘れがたいほどに冷たく、暗いものだったことに。




「―――本当に、つまらない男のニュースだ」






―――chapter1,END
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