第59話豚カツ弁当の力を借りよう

文字数 2,799文字

その三澤さんの予測に辰男は一時、思考能力が停止してしまったのであった。
「え、それはどういう事だろう?
その数字をどのようにして捉えれば良いのかな?」
そこで、いま聞いた数字を、もう一度頭の中で反芻してみる事にした。
「先ずは、ほぼ百パーセントに近い確率で真知子の癌は完治するんだな。
よしよし、それはとても喜ばしいことだ。
しかしだ、ほぼ百パーセントの確率で真知子の脳に障害が起こり、今までに蓄積してきた記憶がすべて失われてしまうんだ。
これはとても、耐え難いことだぞ。
そして、この現実味を帯びてきた内容を娘たちに話しても、果たして理解してもらえるのであろうか?
しかしである。
恐らく真知子の命はこのままだと、あとひと月ぐらいであろう。
もったとしても、ふた月が限度だと思う。
このまま何もしないで死を待つよりも、あの混合液に懸けてみるしかない。
あとは娘たちを、どう説得するかだ」
辰男の考えは固まった。
その後、三澤さんと日程の調整をすることになった。
辰男の希望としては現在の真知子の病状を踏まえると、一日でも早く行いたいという願望が有ったのだが、娘たちの考えも尊重しなくてはならないとも思った。
そこで今日のうちに東京の家へと戻り、娘たちを説得してみようと決心したのであった。
そして三澤さんには明日の朝、電話で連絡をさせてもらう事にして、その場で厚く御礼を言い、堅い握手を交わしてから二人して部屋を後にした。
その後辰男は、4階にある研究ルームへと一人で向かい、無菌室に保管してあった、不思議なマリモと孔雀の羽から抽出して作成した混合液の残っていた分を、クーラーボックスの中に入れてから会社の正門を出ていった。
そしてそのまま駅へと向かい、つくばエクスプレスに乗り、東京に向かっている車内で色々な想いが頭の中を駆け巡ってきていた。
「真知子、もう少しの我慢だ、お前の命を助けてあげるからな。
そして姉さん、貴女の無念さを晴らす時も近づいて来たよ。
癌という病気も治せる時代がやって来るんだ。
少しでもいいので貴女の力を貸してくれ。
それから梓と祥子、これからも大変なことが続くとは思うが宜しく頼むな」
そんな想いを持ち続けたまま、最寄り駅へと到着した。
そして会社を出発する時に、梓にメールで伝えた約束通りの豚カツ弁当3個を、商店街で購入してから家へと帰ってきた。
そして辰男が、その豚カツ弁当を選んだのには訳があった。
長女の梓の大学受験の時や、次女の祥子が東京都の合唱コンクールに出場して優勝した時にも、その前夜にはこの豚カツ弁当を購入して、家族4人で食べていたのである。
その結果、良い成績を上げる事が出来たのだと辰男は思っていた。
そこには縋れる物には何にでも縋りたいという気持ちが有るのと同時に、験を担ぐという意味合いもあった。
そこで
「真知子が病に勝つ、今度の治療の副作用にも勝つ」
と言った願いも込めて、豚カツ弁当を選んだのであった。
そして「ただいま」
と言って玄関を開けると、二人の娘たちが
「お帰りなさい」
と普段よりも明るい声で迎えてくれたのである。
すると辰男は冗談で
「流石に二人は鼻が利くなあ、大好物の豚カツ弁当の匂いに釣られて出て来たな。
それも揚げたてだぞ」
と言うと娘たちも反撃をしてきた。
「そうなの、お父さんの加齢臭にも敏感なんだけど、大好物の匂いには超敏感なの、アハハハハ」
その娘たちの笑顔が、緊張感を和らげてくれた。
その後、遅い夕食を3人で食べ始めたのでは有るが、辰男はなかなか真知子の治療の話を言い出すきっかけが掴めずにいた。
そして、弁当を食べ終わってからでいいやと腹を決めたのであった。
すると娘たちも、何かを察知したのであろう、3人して黙々と箸をすすめて行き、数分で早くも食べ終わってしまったのである。
そこで辰男はお茶を啜りながら重い口を開いた。
「今日、つくばの研究所で、このあいだお前たちにも話したことのある研究途中の混合液を、お母さんの治療に使わせてもらえないかと聞いてみたんだ。
すると会社側としては、極秘のうちに自己責任で使用するのならと、渋々とだが了解してくれた。
しかしその物質は、まだ開発途中で癌に対しての効果は優れているのだが、その反面、強力な副作用が起きてしまう確率も高いんだ。
ただし、今のお母さんの病状からしてみると、これが最後の手段だと俺は思っている。
このまま放っておくと、お母さんは間違いなく絶命してしまう。
そこでお父さんは、この治療に懸けてみたいのだが、お前たちはどう思う?」
すると暫くしてから、長女の梓が口を開いた。
「やはり、そうだったのね。
私は前にも言ったけれど、賛成だよ。
だって今の医学では、お母さんの命を救うことは無理なんでしょ?
一日ごとに弱っていく、お母さんの姿を見ているのが辛いんだもん。
当然、予測されている副作用のことは怖いけれども、たとえ何が起きたとしても私はお母さんのことを支えていくよ」
すると続けて次女の祥子も言った。
「私も大賛成だよ。
今のお母さんの、やつれていく姿を見るのが、とても辛いんだ。
お母さんには一日でも長く生き続けて欲しいと思う。
もし、その治療で記憶が無くなったり、脳死状態になってしまったとしても、それでもいいんだ。
私はお母さんの近くに居られるだけで幸せなんだもん」
その二人の言葉を聞いて、辰男は嬉しかった。
そして、こう言った。
「有り難うな、家族4人で助け合い、そして協力しあって生きていこう。
お前たちには、この先も苦労をかけるとは思うけど宜しく頼むな」
すると梓が、こう返してきた。
「そんなの当たり前じゃない。
だけど私は苦労だなんて思ってないよ。
大丈夫よ、なんとかなるから。
とにかく、その治療に期待してみようよ。
もう、お母さんの苦しむ姿は見たくないから」
そして祥子も
「そうよそうよ、私もその治療が楽しみになって来たわ。
ところで、その治療はいつやるの?」
と聞いてきた。
そこで辰男は、自分の中で考えていた日程を、娘たちに伝えることにした。
「俺としては一日でも早く、その治療を行いたいと思っている。
出来れば明日、病院に一時帰宅の申請をして、明後日にこの自宅へとお母さんを連れてきて、ここでその治療をしたいと思っているんだ。
お前たちは、どう思う?」
すると娘たちは揃って「賛成、賛成、一日でも早いほうがいいわ。
お父さんが買ってきてくれた豚カツ弁当も、食べたしね。
これで病にカツ、絶対にカツ。
そしてこれからも家族4人で助け合っていこうよ」
と返してくれた。
辰男はその言葉にウルッときてしまい、そして最後に3人で気合いを入れたのであった。
「エイエイオー」




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