第四章 ゴールデン・リボン(14)

文字数 3,239文字

 7回戦がスタートした。

 前回トップの沙織は3番目スタートを選択した。
 前回3位の商社が1回戦以来の2番目スタート。
 いよいよ最終戦。泣いても笑ってもこれで全てが決まる。

 この最終戦、沙織は自分以外のプレイヤーはできるだけプラスリボンを引いてスタートすることを望んだ。特に2番手スタートの商社はプラスであって欲しい。
 6回戦でピンク・リボンの早引きを見せてしまっただけに、マイナススタートだとそれを真似される怖れがあるからだ。
 自分の作戦を横取りされて負けることほど屈辱的なことはない。
 
 勿論、沙織自身も1巡目に「-30P」や「-25P」を引けば2巡目にいきなりピンク・リボンを引く覚悟はできている。
 少しでもリードして、リボン引きのガチンコ勝負に持ち込む。
 ここまで来たら論理や確率を超えた強運の持ち主が勝利に結びつく。
 
 そう考えていた矢先、その強運を持つ者がいきなりに現れた。
 1巡目、トップバッターよしえの選んだレッド・リボンの先に、眩いばかりに輝くゴールドのリボンが見えた。
 ここぞという時のこのよしえの強運に沙織は思わず舌を巻いた。
 自分以外のプレイヤーはプラススタートであって欲しいと願ってはいたけど、まさか「50P」とは……。
 これではピンク・リボンの早引きをせずとも50メートル進んだ状態でゲームを始めるのと同じだ。
 当面よしえは大きなマイナスだけを避け、ホワイト・リボンを引いていればいい。

 対して、置いていかれた2人は追いかけるしか手がない。
 2番手商社もレッド・リボンを引いてきた。
 よしえの「50P」を見るまではホワイト・リボンを考えていたかもしれないけど、「50P」が出てくれて安心したのか、とりあえずホワイト・リボンなんて悠長なことは言ってられないと判断したのか、果敢に攻めてきた。
 狙いは勿論大きなマイナスポイントに違いない。
 だけど無情にも、リボンの先には「15P」とあった。
 2番手には厳しいプラススタート。
 今のところ神風はよしえに吹いている。
 
 沙織、1巡目の引き番。
 プラスでもマイナスでもいいから大きな数字、と願ってレッド・リボン⑬を選択した。リボンの先に書かれてある「-25P」を見て、よしっ! と力強く肯いた。
 
 同時に迷いも生じた。
 予定では1巡目に大きなマイナスを引けば2巡目にピンク・リボンを引いて、リボン引きガチンコ勝負に持ち込むというプランだった。でもよしえの「50P」を見て、ここでピンク・リボンを引いても効果が薄いという気持ちが生まれた。
 
 このままプラスに転じてもよしえに逃げ切られてしまう。
 ここは最終戦、逃げ切られたらおしまいだ。
 
 幸い商社は1巡目プラスだ。彼がピンク・リボンを使ってくることはない。
 ならば勝利を掴みとるため、もう一度だけ気合でマイナスを引き当ててからピンク・リボンを使いたい。
 論理を超えなきゃ、優勝を勝ち取れない。
 ここは勝負! 
 プラン変更よ!
 
 2巡目。
 予想通りよしえはホワイト・リボンを選択。
「-10P」と大勢には影響はないマイナスを引いた。

 ピンク・リボンの押しつけを回避するためにもマイナスを引きたい商社はレッド・リボン⑳を選択し、希望通りの「-20P」を獲得した。
 
 巡ってきた沙織の引き番。
 ここで意地でもマイナスポイントを引き寄せ、次巡のピンク・リボン引きでよしえに追いつきたい。
 願うは「-30P」。これを引けば一気に逆転まである。

 お願い「-30P」よ、来て!! 
 他のマイナスでもいい。プラスだけはやめて!
 
 だけど沙織の渾身の願いも届かず、リボンの先に書かれていたのは「20P」。
 マイナス貯金が水泡のごとく消えた。

 最悪の展開だった。
 『ゴールデン・リボン』というゲームはプラスとマイナスを交互に取り続け、0の辺りをうろうろするのが一番まずいパターンだ。
 特に今回のようによしえ1人だけが抜け出したような場合は、リードを保ちながらリボン消化を進めていきたい彼女の思惑通りのゲーム展開となってしまう。
     


 3巡目。
 安全策のよしえがホワイト・リボンを選び、再び「-10P」を引く。
 2回連続のマイナスだけど、玄も商社も0の周りをうろついているので、彼女にとっては想定内の進行だと思われる。
 次にプラスを引けばいいわ、ぐらいにまだ安穏と構えているのでしょう。
 ったく、腹立つわ。

 だけど、次の商社の引きで状況は一変した。
 沙織も喉から手が出るほど欲しかった「-30P」を引き寄せ、次巡にピンク・リボン引けばよしえを逆転、までに至った。

 沙織はひくひくと自分の頬が痙攣するのを感じた。
 苛立ちが瞬間的に沸き上がり、拳をデスクに叩きつけた。

「何で私はあれを選ばなかったのよ!」

 せっかくよしえが2回連続マイナスを引いて停滞してくれているというのに、今度は商社がトップに立とうとしている。
 自分の勘の悪さに腹が立ってしかたがなかった。

 残っているレッド・リボンは4本。
 「-20P」と「-25P」と「10P」と「30P」。
 マイナスの自分が追いついていくためには「30P」を引くしかないけど、誤ってマイナスを引いてしまえば、次巡に商社がピンク・リボンを引いてしまうため優勝の可能性が遥か彼方に遠ざかってしまう。
 プラスを引ける確率は5割。
 
 それならばホワイト・リボンは? 
 沙織は視線をホワイト・リボンに向けた。
 よしえが連続でマイナスを引いているため、プラスが多く残っている。確率的には悪くない。
 さらにホワイト・リボンを先になくしておけば、まだ残っているレッド・リボンの大きなマイナスを彼らに引かせることもできる。

 ここは我慢。
 じっと耐えて、彼らが落ちてくるのを待つ……。
 よし、ホワイト・リボン引きで行ける!

 自分の判断に手を叩いて喜びたくなった。
 チャンスは寝て待て!
 果報も寝て待てよ!

 だけど…………、そんなに都合よくいく?

 急に疑問が胸に突き刺さってきた。
 
 都合よく2人共がマイナスを引き、落ちてきてくれる?  

 悶々とする空気の中、締めつけられるようなプレッシャーを感じながら、沙織は懸命に思考し、自分の心と格闘した。

 勝つしかないという状況で2人に先行され、その2人が共に落ちてくることを期待するのは、努力も工夫もない、ただそうなったらいいなあ、と勝手に願う私の希望的観測に過ぎないんじゃないのか? 

 私はまた、同じ過ちをしようとしている。
 楽な選択肢を選ぼうとしている。

 これもまた、“毒リンゴ”や“蜃気楼”と同じ類の罠であることに、沙織は寸前のところで気が付いた。
 1人は落ちてきても、2人共は落ちてこない。

 ならば、私にできることは……。

 背中にゾクッとした悪寒が走った。
 沙織には見えてしまった、全身が凍りつくような怖ろしい選択肢が……。

 それは自分が最初に決めたピンク・リボンの早引きのプランを初志貫徹決行できなかった意志の弱さを糾弾する、己への制裁ともいうべき選択肢だった。

 主催者からはヤケになったと思われるかもしれない。
 他のプレイヤーからは「そこまでするか! 意地汚い」と罵られるかもしれない。
 それでも私にはこの道しか残されていない。

 沙織は悔しくてたまらなかった。
 2巡目、何故私はピンク・リボンを引かなかったのか!
 よしえのゴールデン・リボンに惑わされず、当初の計画通りピンク・リボンさえ引いていれば、よしえとのマッチレースを展開できた。
 そうすればこんな屈辱的な選択をしなくてもすんだ。
 
 全ては私欲と意思の弱さが招いた惨劇。
 その代償をこれから払う。
 
 沙織は心を鬼にし、屈辱という感情を消した。

 わずか-5Pからの涙のピンク・リボン引き。

 -5Pから5Pに変わっただけ。
 たったこれだけだけど、反撃ムードの商社を撃墜し、相手をよしえ1人に絞り込むことができた。
 あとはここからよしえに届くかどうかだけ……。



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