第1話
文字数 995文字
日本には身の回りの品が年月を経て妖怪化する伝承があり、つくも神と呼ばれるが、衣食住のうち、館に霊が取りつくのは欧州が本場である。日本古来の木造建築と石造りの建物では耐用年数の点で勝負にならないのかもしれない。もちろん日本にも怪奇現象が生じる建築物はある。廃墟で起こる怪奇実話は定番のジャンルだし、座敷童もそのひとつだろう。存在感がある建築物は、世界中どこでも霊にとっては住み心地のよい場所なのだ。
三津田信三の『そこに無い家に呼ばれる』は、幽霊屋敷をテーマにした連作長編の最新作である。ストーリーは、主人公が空地だったはずの場所に家を発見し誘い込まれる、というものでタイトルにすっぽり収まってしまうほどシンプルなものだ。見知らぬ家に迷い込むというのは『遠野物語』の迷い家や「浦島太郎」など、民間伝承には珍しくないシチュエーションである。
その家がなぜ出現するのかはわからない。だが、容易に原因が突き止められるような怪異であれば対策が講じられ、主人公は解決に向けて行動する。対策が功を奏するかはともかく、物語は大なり小なり整合性に向かって進行し、整理され意味づけられた恐怖はたちまち類型化する。しかし、怪奇現象は人知を超えているから恐ろしい。恐怖とフィクションの特性は時として対立することがある。
このジレンマを解消するために本シリーズは実話仕立てになっている。作者の三津田信三が作中に登場し、身辺雑記を織り込みながら、編集者が持ち込む怪しげな手記を紹介するというのが一連の長編連作の基本的な構成である。ドキュメンタリーの手法を採用したホラー小説は小野不由美の『残穢』などが思い浮かぶが、この方法は物語と日常の境界を曖昧にする。読者は作品世界に囚われたまま抜け出すことができない。
本格ミステリーの書き手でもある作者は、怪異を推理によって理屈づけすることで現実に立ち戻ろうとする。その試みはプロットのなかに込められた謎が解明されるというカタルシスにつながるものの、実話の持つ理不尽なまでの恐怖は最後まで残る。
実話とフィクションを融合させた『そこに無い家に呼ばれる』は、小説を超えた生々しい恐怖を提供する。本作だけなく『幻想と怪奇』に収録されている怪奇譚は時空を越えた世界に読者を誘い、戦慄によってひととき現世を忘れさせるだろう。だが、ページを閉じて日常に回帰しても、恐怖はすぐそばにある。
三津田信三の『そこに無い家に呼ばれる』は、幽霊屋敷をテーマにした連作長編の最新作である。ストーリーは、主人公が空地だったはずの場所に家を発見し誘い込まれる、というものでタイトルにすっぽり収まってしまうほどシンプルなものだ。見知らぬ家に迷い込むというのは『遠野物語』の迷い家や「浦島太郎」など、民間伝承には珍しくないシチュエーションである。
その家がなぜ出現するのかはわからない。だが、容易に原因が突き止められるような怪異であれば対策が講じられ、主人公は解決に向けて行動する。対策が功を奏するかはともかく、物語は大なり小なり整合性に向かって進行し、整理され意味づけられた恐怖はたちまち類型化する。しかし、怪奇現象は人知を超えているから恐ろしい。恐怖とフィクションの特性は時として対立することがある。
このジレンマを解消するために本シリーズは実話仕立てになっている。作者の三津田信三が作中に登場し、身辺雑記を織り込みながら、編集者が持ち込む怪しげな手記を紹介するというのが一連の長編連作の基本的な構成である。ドキュメンタリーの手法を採用したホラー小説は小野不由美の『残穢』などが思い浮かぶが、この方法は物語と日常の境界を曖昧にする。読者は作品世界に囚われたまま抜け出すことができない。
本格ミステリーの書き手でもある作者は、怪異を推理によって理屈づけすることで現実に立ち戻ろうとする。その試みはプロットのなかに込められた謎が解明されるというカタルシスにつながるものの、実話の持つ理不尽なまでの恐怖は最後まで残る。
実話とフィクションを融合させた『そこに無い家に呼ばれる』は、小説を超えた生々しい恐怖を提供する。本作だけなく『幻想と怪奇』に収録されている怪奇譚は時空を越えた世界に読者を誘い、戦慄によってひととき現世を忘れさせるだろう。だが、ページを閉じて日常に回帰しても、恐怖はすぐそばにある。