(四)

文字数 1,978文字

「諦めたまえ、かなちゃん。やあやあアキちゃんは実に賢い」
「簡単に言うな! こんな何があるか分からないことに身を置かせたくない。アキちゃんは普通の大学生なんだ」
「べぇつに危険なことなんてありゃしないさ。なっちゃんなんて死のうとするくらい弱い子だったんだから」
「今俺を引き合いに出さないで下さいよ」

 けど、と叶冬はまだうんとは言ってくれなかった。
 それほどまでに考えてくれているのは嬉しいけれど、秋葉はもうやると決めている。

「宮村さんみたいに店長の手足として働きます。金魚の回収なんてきっと一人じゃ大変ですよ」
「そうそう。金魚屋店主にはアルバイトが必要なんだあよ。そこの二人みたいにね」
「神威君もアルバイト?」
「そうだよ。俺はよりに雇われてるんだ」
「正しくは僕の上司ね」
「あいつは元々金魚屋じゃねえだろ」
「あはは。よりちゃんの店は複雑なんだ」
「金魚屋も色々なんですね。ならうちもうちなりにやっていきましょうよ、店長」

 ね、と秋葉は明るく笑って見せた。後ろでは全員がそーだそーだ、と援護射撃をしてくれている。
 叶冬は困った顔をしたが、横では雪人もいいじゃない、と笑っている。そして、ふうと溜め息を吐くと苦笑いを浮かべ、すっと手を差し伸べてくれる。

「……よろしく、アキちゃん」
「はい。よろしくお願いします。雪人さんも」
「うん。よろしくね、アキちゃん」

 ようやく伸ばしてくれた手を握り返し、そこに雪人の手も重ねさせた。
 叶冬と雪人は恥ずかしそうにしているけれど、そんな顔ができるこの時がとても嬉しく感じた。

*

 翌日、秋葉と叶冬、そして雪人も連れてドキドキしながら黒猫喫茶に入ったが、中は何も変わっていない。きょろきょろと見渡すと、ふとテーブルの上に分厚い冊子が置いてあった。
 そこには『金魚屋マニュアル(管理者用)』と書いてある。いかにも怪しいが、あ、と声を上げて雪人がひょいっと手に取った。

「これ八重子さんが持ってたやつだ」
「ゆき知ってんの?」
「うん。昔かなの弔いをした時に八重子さんが持ってた。どの店も共通なんだね、これ」
「こっちに金魚帖もありますよ。さっそく名前が載ってますよ」
「もう働けって?」
「そうみたいですね」

 マニュアルによると、各店舗で金魚を回収したら八重子の店舗に集めるらしい。それを八重子がまとめて弔うのだ。

「なんだ。じゃあ僕らの仕事は回収だけなんだね」
「そんな簡単に行きますかね。大体こういうのには裏があるんです」
「そうだよね。そういえばこの仕事って給料どうなるのかな」
「あ、それは十五ページに記載があるそうですよ」

 雪人は秋葉が思っていたよりも明るい性格のようだった。
 儚げな見た目をしているからきっと繊細に違いないと思っていたが、まるで同年代の友達ができたようで秋葉は楽しく感じた。

「回収する金魚ってそんなに多くないですね。これなら大学の帰りに回収できそう」
「金魚すくいだよ、アキちゃん」
「あ、そうだった。けどそれ恥ずかしくないです? 宮村さんてロマンチストですよね」
「確かにね。でもいいじゃない。必殺技みたいで」

 あははと笑い合っていたけれど、叶冬は一向に話に入ってこなかった。
 どうしたんですか、と振り向くと、ほんの少しだけ俯いている。

「どうしたの、かな」
「店長?」
「……アキちゃん。本当にやるのかい?」

 もう吹っ切れたのかと思ったが、やはりまだ秋葉が金魚屋に身を置くのを良くは思っていないようだった。
 けれど秋葉はそれに従うことはしない。
 秋葉はカウンターの中からがさがさと何かが入っているビニール袋を引っ張り出した。べりべりと開けると、それはエプロンだった。黒猫のプリントがされている、黒猫喫茶のエプロンだ。 

「紫音ちゃんが作ってくれたんですよ。これうちの正装にしません? だってその着物はもういらないでしょう」
「アキちゃん……」
「雪人さん。どうですか?」
「いいね。うん、凄く良いと思う」
「決まりですね。そうだ。せっかくだから真面目に喫茶店もしましょうよ。ほら、社員にしてくれるんでしょう?」

 秋葉はぽんっと叶冬の背を叩いた。いつも叶冬がしてくれるように、同じように。
 叶冬はそれをどう思ったのか、クスッと笑ってからエプロンを手に取った。

「ああ、そうだったね。じゃあ新装開店だ」

 ショーケースには既に黒猫のシュークリームが陳列されている。
 価格は飲み物とセットで三千円だったが一個三百円に訂正した。それを今まで使われなかった黒板に大きく書いて通りに向けて出した。
 するとその値段と叶冬の姿を見つけた主婦の二人連れが黄色い声を上げて駆け寄ってきた。
 叶冬は一瞬驚いた様子だったが、にこりと微笑んで手を差し伸べた。

「ようこそ、黒猫喫茶へ。あなたが来るのをお待ちしていました」

 それは八重子の台詞によく似ていて、けれど全く違う言葉だった。
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