5話 赤いお湯

文字数 3,837文字

僕は自分の部屋に入った。

この寮は1部屋を6人で生活している。

僕以外の残りの同室メンバーはバスケ部ではないので、当然今は帰省している。
今頃、みんな自宅で夏休みを満喫していることだろう。

6人部屋を一人で独占できるのも広くていいのだけれど、逆に広すぎてちょっと寂しい。


僕は新鮮な空気を取り込むために、部屋の窓を開けた。

夏休みの間、誰も掃除をしていなかったので、部屋中プランクトンのような埃が静かに舞っている。

今年の夏はどういうわけか、カメムシという、異臭を放つ昆虫が異常発生していた。
ベランダの網戸に、5、6匹おなかをこちらに向けてとまっていて、その内の一匹は上に向かってゆっくりと移動している。


僕は気持ち悪いなと思い、網戸越しに指でピンッとはじき飛ばした。
5匹中、3匹はベランダを越えて闇に消えたが、残りは足を網戸にしっかりと絡み付けていた。


僕は洗面器にバスタオルやシャンプーなどの洗面用具を入れた。
まるで銭湯に行く格好だな。

先に食堂の様子を見に行くのもいいな、と僕は頭の中で思った。

僕はとりあえず部屋を出た。

僕は何となく、食堂に向かって歩き出した。

食堂はとても広く、全校生徒の人数分の椅子とテーブルが並んでいる。

僕はふと、1つの疑問が頭をよぎった。

考えてみれば、いったい誰が夕食を作るのだろうか?
食堂のおばさんは夏休みでいないはずだし、まさか夕食までも市販されている弁当を解凍して
出すんじゃないだろうな。
ドアを開けて中に入ると、カレーのいい匂いがたちこめていた。
と、厨房の方から食器を動かすカシャカシャという物音が聞こえてきた。

見れば、どこから持ってきたのか、食堂のおばさんがいつも着ている、白いエプロンをまとった鈴原が、油で何かを揚げているではないか。
今日もコロッケ、明日もコロッケ
鈴原
あら、弘樹君
鈴原は大きな鍋をかき混ぜながらこちらに気づいた。
夕食、鈴原がつくってくれるの?
そうだよ。今日は特製コロッケカレー。
おいしいんだよ…きっと…ね
…きっと、か…

あ、何か手伝おうか?
僕は洗面用具をテーブルの上に置いて言った。
大丈夫、もうだいたい終わっちゃったから。
それより、先にお風呂に入ってきたら?
あと30分ぐらいで出来るから
じゃあ、そうするよ
楽しみにしててね
僕は軽く手を振って風呂場に向かった。
僕は脱衣場に入った。

天井の扇風機が首を回転しながらまわっている。

プーやんがいて、ちんたらと服を脱いでいる所だった。
よ、プーやん
なんだ、弘樹か
シャツのボタンを不器用にはずしながら、プーやんが無愛想に言う。
そこへ、
お、弘樹とプーじゃねーか!
若宮亮太が騒々しくやってきた。
やっぱ、部活のあとは風呂で汗を洗い流さなきゃな!
そう言いながら、プーやんとは対照的にパッパと服を脱ぎ散らす。
プー、お前また太ったんじゃねぇーか?
若宮がプーやんの裸をじろじろ見て言った。
うるさいな・・・別にそんなに変わってないよ
プーやんはそう言って、
ようやく最後のボタンをはずした。

若宮は疑い深い目でプーやんを見て、
ホントかぁ?
と、腹の肉をつかんだ。
さ、さわるなよ!
ははは、怒るなって、プー
僕は小さなタオルを腰に巻いた。男性は意外とタオルで前を隠したりとマナーが良い。
というか、本当は恥ずかしいからタオルで隠すんだけど・・・
3人は浴場に向かって、すのこの上をパタパタと歩いた。

曇りガラスで出来たドアを開けると、中から湯気がブワッとドアの隙間からもれてくる。

と、そこで僕たちは異様な光景をまのあたりにした。

なんと、バスケ部のみんなが裸のまま立ちつくしているではないか。
どうしたんだ? みんな裸で
若宮が笑って言ったが、誰も若宮に答える者はいなかった。

ただ、じっと浴槽のお湯を見つめているだけなのだ。

天井に設置されてある大きな換気扇だけが鈍い音を立てて回っている。
その中の一人、海老原がつぶやくように、
弘樹、これどう思う?
と、浴槽のお湯を指さした。
僕はのぞき込んだ。
・・・濁っている?
そう、何となくお湯が赤く濁っているのだ。
誰か温泉の元でも入れたんじゃないの?
僕はみんなに聞いた。
しかし、誰も答えない。
それによく見てくれよ、なんか変なものが浮いてないか?
そう言ったのは武藤だった。
僕は水面に顔を近づけた。
確かに白い毛のようなものがわずかに浮いている。
うーん・・・
そしてこのにおい。
どこかで嗅いだことのあるにおいだ。
僕がしきりに、においを嗅いでいると、みんなも顔を浴槽に近づけた。
あ・・・なんか鉄のにおいだ!
プーやんが自分の大発見を自慢するように叫んだ。

今日の試合で審判をしてくれた塩崎がお湯を手ですくってにおいを嗅いで言った。
あー、なんだろうね、うん。
えっと、
あ、そうか、あれだ、
…鉄とかが…錆びたにおいに似てるんじゃない?
再びみんなクンクンにおいを嗅ぐ。
やっぱり温泉の元じゃないの?
ほら、鉄分とか入ってそうじゃん
…えー…
そんな温泉の元、あるのかな?
わかんないけど
じゃあ、仮に温泉の元があったとして、いったい誰が入れたんだよ?
ここにいるみんなは入れてないんだろ?

おおかた、風呂のお湯をろ過する機械が壊れてるんだろう。
きっとそうだ
海老原が強引に結論づけた。
ずっと裸のままだったら、冷えて体によろしくないね。僕は入るよ
そう言うと、プーやんは何のためらいもなく浴槽に身体をザブリとつかった。
俺も入ろう
俺も
みんな、先駆者プーやんの後に続いてお湯につかりだした。

僕もこのままじゃ寒いので浴槽に足を入れた。

肩までお湯につかる。
あまりの気持ちよさにため息が出た。
やっぱりスポーツした後の風呂は気持ちいいな
そして、手を水面上に上げると指先に数本の毛がからみついた。
うわ、なんだこれ。やっぱすげぇ気になる
何でもいいじゃねえか。
男が細かいことを気にするなっつぅの。
出るときにシャワー浴びて洗い流せばそれで良しだ
若宮が足でお湯をバシャバシャしながら言った。
弘樹、シャンプー切れたから貸してくれないかなぁ?
振り向くと、塩崎勇次がシャワーを頭から浴びながらこちらを見ている。
ああ、いいよ
僕は塩崎に向かって、洗面用具一式を、カーリングの選手のように、タイルの上を滑らせた。
ありがとう。

あーそうだ。今日の夜に転校生が来るって、
酒井先生が言ってたねぇ
塩崎は僕のシャンプーで髪を泡立て始めながら言った。
ああ、そんなこと言ってたな
僕は、今日の試合でこわばった脚の筋肉をほぐしながら答える。
そこへ、最速で体を洗い終わった若宮がザブンと飛び込んできた。
カラスの行水タイプ。
転校生?
もし編入してくるならどこの部屋に入って来るんだろうな?
確かにそうだ。
部屋のメンバーというのは、2年生になったときに仲の良い者同士で決めたのだ。
転校生は強制的に人数の足りない部屋に入れさせられる事になる。

となると・・・
弘樹の部屋、5人しかいなくて、ベッドが一つ空いてるだろ。
ひょっとしたらお前の部屋に来るかもしれないぞ
メガネを曇らせながらそう言ったのは武藤純一だった。

武藤はいつもメガネをかけたまま風呂に入る。
メガネがなければ何も見えないらしい。
勉強のやりすぎで視力が落ちたようだ。
じゅうぶん考えられるだろ?
そうかもしれないな・・・
僕は水面に反射する自分の顔を見つめながらつぶやいた。

もしそうであるなら、なるべく温厚な性格な奴がいい。
いくら仲がいいと言っても、ひとつ屋根の下で
毎日暮らしていれば、ケンカだってする。

僕たちのB-1号室は今のところ平和だが、その平和に亀裂を走らせるような転校生じゃなきゃいいんだけど・・・

僕はシャワーを浴びてさっぱりすると、風呂場から出て部屋に戻った。
部屋に戻ると、ほてった身体を冷ますために、扇風機を『強風』に切りかえた。

ブーンと扇風機の首が回る。
網戸にとまっていた残りの虫が風に負けて闇の彼方へと消えていった。

僕は、まくら元にある電気スタンドをつけ、ベッドに腰掛けた。

と、胴体が親指ぐらいの大きさの、モスラ級の巨大な蛾が窓ガラスにバチンと体当たりした。

行き場を失ったそのモスラはよろよろと落ちてゆき、網戸を見つけるとそこに足を絡み付けてとまった。微妙に胴体が蠢いているのが見える。

僕は太股に急に何かがとまった気がしてパチリとたたき、爪でかきむしった。
別に虫などがとまったわけではなかった。

僕はモスラやカメムシや小さな虫を見て思った。
 ・・・こいつら、俺がつけた電気スタンドの
光を欲してやがる。

僕ゾクッとした。
昔から虫が嫌いなのだ。

今、窓を開けたら大量の虫が僕めがけて飛んできそうな気がした。
窓ガラスの端っこの方は蛾に付着している粉のようなものがビッシリとこびりついて汚れている。

僕はそれを見て、何となく昔のことを思い出していた。

小学生の頃、昆虫の触角をふざけてハサミで切り落としたことがある。
子供は残酷なことを平気でするものだ。

その虫はそのとたん、ぐるぐるとその場で回りだした。

この虫は考えて行動しているのではなく、この触覚だけを頼りに、条件反射で動いていたのだ。
生きている、というよりも、コンピューターのプログラム通りに動いている、といったほうが正確なような気がした。

そのときの虫の動きが脳裏に焼き付かれてから無視が苦手になった。
弘樹
突然、塩崎勇次が部屋に顔をのぞかせたので、僕は我に返った。
あー、あのさ、ペンペンの散歩、今日は弘樹が当番だったと思うけど。
もう行ったのかなぁって思って?
つづく

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登場人物紹介

「小川弘樹」

主人公。密かに鈴原あゆみに恋してる普通の高校生。でも鈴原が好きな事はみんなにバレバレ。鈴原が近いと少し声が大きくなるからだ。

最近、ワックスは髪型を自由に変えられる魔法の練り物だと思ってる。

「鈴原あゆみ」

バスケ部のマネージャー。とにかく明るくて、いつも笑顔を絶やさない。
明るすぎて悩み無用と思われてる。そんなわけないでしょ! と一応怒った事もある。
弘樹は怒った顔も可愛いと思った。

「海老原さとる」

バスケ部キャプテン。力強くみんなを引っ張っていく。多少強引なところもある。

あまり女の子の話とかしないので部員に疑われた事もあるが、普通に女の子が好き。らしい。

「武藤純一」

文武両道で、バスケもうまく、頭脳明晰。優しく、皆が熱くなった時も冷静に答えを導こうとする。殴られたら殴り返す男らしい一面も。

いつもメガネがキラリと光る。人の3倍くらい光る。風呂に入る時もメガネをつけるので、体の一部と言われている。横顔になるとメガネのフレームの一部が消えたりはしない。

メガネが外れると3みたいな目になる。

「若宮亮太」

ヤンチャな性格で、言いたい事はズバズバ言う。プーやんをいつもいじってる。背が少し低い。そこに触れると激怒するのでみんな黙っている。

「人をいじっていいのは、逆にいじられても怒らないこと、お笑いの信頼関係が構築されてることが条件だ」と武藤に冷静に指摘されたが、その時も怒った。

沸点が低い。というより液体そのものが揮発してる。

いつもプーヤンをいじってるが、格ゲーでボコられてる。すぐにコントローラーを投げるのでプーヤンにシリコンカバーを装着させられてる。

怖い話とか大好き。

「長野五郎」

略してプーやん。いや、略せてないけど、なぜかプーやんと呼ばれてる。いつも減らず口ばかり叩いてる。若宮にいじられながらも一緒にゲームしたりと仲が良いのか悪いのか謎。ゲームとアニメ大好き。犬好き。

将来の夢はゲームクリエイター。意外と才能あるのだが、恥ずかしいのか黙っている。

エクセルのマクロを少し扱えるので、自分はハッカーの素質があると言った時は武藤にエクセルを閉じられなくするマクロを組まれた。

「塩崎勇次」

おっとりした性格で、人からの頼みは断れない。心配性。
心配しすぎて胃が痛くなる事も多く、胃薬を持ち歩いている。

キャベツは胃に良い、だからキャベジンはキャベジンって言うんだよ、というエピソードを3回くらい部員にしてる。

黒いシルエット。それはが誰なのか、男なのか女なのか、しかし、人である事は確か、という表現ができる。少なくとも猫ではない。

だいたい影に隠れて主人公たちを見てニヤリと笑い、だいたい悪いことをする。
この作品では初っ端からアクティブに大暴れしてる。

酒井先生。バスケ部の顧問だが、スポーツに関する知識はない。

奥さんの出産が近いため、そわそわしている。

織田切努(おだぎり つとむ)。謎の転校生。

夏休みで、寮に慣れるためにやってきたらしい。 

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