第二部 第一章 悪夢の時代

文字数 13,048文字

第一章 悪夢の時代

 我々が先ず狙ったのは中華圏だった。弱体化した同盟国に貸しを作っておく為に我々が直接交渉しに行った。先方は勝ち誇った表情で交渉に臨んだ。我々はある文書を突き付けた。
 それは彼らにとって過酷な内容だった。関税における不平等条約、中華の常任理事国脱退、同盟国の国債を無償返還、最後に止めとして中華に軍隊の存在を認めない。
 当然、彼らは激昂した。
 だが、我々の答えは単純だ。サイコキネシスの能力で国家主席の片腕を切断する。そして中華軍の護衛達を木っ端微塵に砕いてやった。全人代の連中がパニックになっている最中、共産党員が我々の能力に依って五体分裂されていく様を我々は眺め、国家主席に向けて言った。
「我々に刃向かうか? 宜しい、ならば戦争だ」
 その時、我々の笑みを見た国家主席の恐怖に怯えた表情をよく憶えている。
 その瞬間、オートマータ軍が太平洋上から攻撃を始めた。海岸線を埋め尽くす巨大な空母、宇宙戦艦、無人攻撃機が一斉に掃射したのは湾岸の大都市と原発だった。
 これは実験だった。同盟国にあるハープを利用して風をコントロールし、中華国内に放射能を汚染させる。それによって生き物がどの様な変化を遂げるのか観察する計画だった。
 我々がこれから宇宙に進出していく為にも放射能に耐える人類を研究する。実験体としては十億以上のサンプルが居り、我々は極微細なナノマシンカメラによって、或いは人工衛星から実験地帯を眺めていた。
 ここで一つ問題が生じた。国際世論の反発。グリーンヒューマン計画は極秘裏に行われ、その見返りとして共産国、欧州連合、英連邦に甘い汁を吸わせることで黙らせたが、これは戦争だ。しかも一方的虐殺とあれば、世界は黙っていなかった。
 だが、我々の言い分はこうだ。
「今回の戦争は我々の独断であり、同盟国の意志ではない」
 戯けた話だ。余りにも巨大化した組織が暴走を始め、同盟国はそれを止めようと交渉中と言う台本は出来上がっていた。脆弱化した本国にはこの事態を収拾するには時間が要すると世界に発表した。つまり、表向きは同盟国の意志ではなく、我々が暴走状態にある。その一方で実験資料は共有していると言う裏向きの事実があった。
 我々は暴走している大義名分の下、大西洋に艦隊を配置した。表向きは中華に対する共産国の援軍をするなら戦争を辞さないと構えだった。
 しかし、この配置にはもう一つの意図があった。それはナトーへの威嚇であった。ナトーがこれ以上騒ぎ立てるなら我々の独断でこれらの国々を粛清すると言う無言の使節でもあったのだ。何しろ、我々は機械の軍をほぼ無尽蔵に生産出来る体制に着手しており、当時の兵力でも十億以上もの自動殺戮兵器を所有していたのだから。
 この暗黙の圧力に加えてナトー諸国のメディアへの干渉を行っていたことが功を制し、内憂外患の内憂をある程度取り除けたと言って良かった。
 しかし、愚かなことに時の共産国の大統領は沈黙しなかった。中華を支援すると大々的に声明を発し、我々に戦争を仕掛けてきたのだ。
 だが、それすらも我々の手の内に踊っていることを共産圏は知らなかった。
 我々は同盟国のシギント・システムを利用し、極めて精密な未来予見システムを創り出した。システムは共産国の戦争介入を事前に言い当てていた。
 我々は宣戦布告と同時に共産国のコンピュータシステムを強制的に破壊した。当然、共産国は混乱が伴った。核も使用出来ず、情報統制も執れない共産国に打った我々の攻撃はただ一つだった。
 極めて微細であらゆる建築材にも浸透する強力な新型の麻薬の幾種類かを高高度から散布したのだ。判断能力に欠けた国の民を拘束し、首都からバルト海の間に放り投げ、軍事兵器を接収し、薬物により判別の付かない大統領に無条件降伏に調印させた。
折しも、季節が冬だった為に多くの人間達が至るところで凍死した。首都を追い出された大統領とて例外ではなかった。これにより領土問題は解決された。我々は共産国の八割近い国土を併合し、莫大な資源を手にした。我々には莫大な富を手にする機会を得た。油田、ガス、金、金剛石、これらの軍を動かす為の資金を得、同盟国に甘い汁を吸わせる。赤字財政の同盟国は我々により多くの権限を密かに与えた。そして、我々は更なるナトー諸国の反感を抑える為に残った二割の共産国の領土の再開発権をナトー諸国に手渡した。
 更に時を同じくして中華において人間が殺虫剤をばら撒かれた蟻の如く死んでいくのを視て我々は実験の第二段階に入ることにした。
 中華においてオートマータ軍による直接統治。既に電磁シールドの開発に成功していた軍にとって放射能は防げるものであった。それと並行してレーザー銃の開発も同時成功していた。放射能に耐え生き残った人間達を支配し、強制労働に従事させていた。皮肉にも機械が人間を使役すると言う未来予見の一部は的中したのだ。我々はオートマータ軍に様々な権限を与えた。中華に所属する人間の生殺与奪権、労働使役権、科学実験する際の披験体の選定権、これらを機械に与えたのだ。放射能により変異した人間は最早人間と呼べる形状を失っていた者もいた。それでも我々は観察を続けた。放射能がもたらす遺伝変異を観察することによって生命進化の様子を見続けた。恐竜の滅亡が環境の激変が原因なら、当時の中華も同じと言えた。過酷な環境で繰り返される淘汰と交配。遺伝の変異が後にどの様な変化を生命にもたらすか? この実験は我々が主導で行った。最早、人間の域を超越した我々の関心の一つとしてこの実験があった。人間が我々と同一の存在に到達出来るのか? それとも新しい進化の道を辿るのか? かつて冷戦下の共産国の原発事故は幾十年の時を経て放射能を好む微生物を誕生させた。
だとすれば、人間にも進化の余地は残されている。我々は慎重に警戒しなくてはならなかった。もし、人間が我々と同一になることが環境の変化のみで可能となるのであれば、我々はそれを脅威として排除しなくてはならない。我々が世界そのものになる為の障害にしかならない。
 邪魔な共産圏を粗方潰し、我々は安泰かに見えるがそうではない。その頃には同盟国は我々を脅威と看做していた。
 しかし、時代の流れは我々に味方した。ナトー諸国は既に一枚岩ではなく、内部から綻びが視えていた。欧州連合は分断され大陸側と英連邦に分かれていた。更に同盟国本国ではファシズムが台頭しつつあった。
 我々は内憂を取り除く為に残った共産国に密かに兵器を売却していた。戦争を起こすのは簡単だ。先人が例を示してくれていた。ただ憎しみを紡ぐ。祖国を護れ、と憎しみを喧伝する。我々は意図的に共産国の扇動者と指導者を選んだ。欧州連合に圧制を敷かれている現状を、疲弊し切った共産国が怒りによって再び起ち上がるのを我々は少し後押しすれば良い。
 こうすると次の問題が出て来る。莫大な利益を得るのは英連邦だと言う事実だ。
我々は英連邦が世界の先導者になることを避ける為に何かと戦わせる必要があった。その為に同盟国の隣国と戦争を開始しなければならなかった。戦争の理由は同盟国国民の自由と平等を侵害しているエシュロンを強引に理由に引き合いに出して英連邦に宣戦布告させた。当然の如く同盟国の情報機関は反対の意志を示した。それに対して我々は建国宣言を引用し、国民の自由と平等が守られていないことを名分にし、同盟国の情報機関を粛清、統合し、英連邦との戦争に臨んだ。
 そして、我々が表舞台に出てきた戦争でもあった。
 我々の持つ圧倒的な力によって英連邦は開戦初日で十億以上の死者を出し、戦意を一気に喪失した。我々の行ったことは単純だ。テレパシーとサイコキネシスによって敵対国の人間共の位置を把握し、身体を細かく捻じ切っただけだ。
 その事実を視て英連邦は三日間で主要な軍、政府関係者を失い、多くの人間が死に絶え、恐怖だけが残った。恐怖に縛られた国に我々は無条件降伏を迫った。
 残された英連邦は絶望の表情で調印に伏した。
 それは同盟国も同じだった。自分達の国にこれ程の上位種が潜んでいた事実に国民は恐怖した。
 この頃から同盟国国民は教会に助けを求める様になった。
 同時に新教会は旧教会と正方教会の生き残り達と密かに連絡を取り始めた。取り分け、旧教会は我々の存在を視て重要な事態だと判断した様だった。教皇、総主教、新教の議長達は国家の枠組みを越えて連帯し始め、我々への抵抗の意志を明らかにし始めた。教皇達はまず米州機構を通じて中南米の枢機卿達を我々の下に派遣した。
 我々は微笑んで枢機卿達の首を胴体から離して中南米諸国に送り返した。
 これに対し、旧教会側は当然激怒し、中南米諸国も抗議した。
 その反応に対し、我々は冷徹な対応を採った。オートマータ軍による中南米諸国の大規模爆撃を行い、一ヶ月足らずで中南米諸国の都市群を廃墟と化させた。密林や山腹に逃げ込んだ人間は英連邦と同じ手口で追い詰めていった。ただ、やり口が違うのは野生の生物達も使ったことだった。密林に逃げ込んだ人間は我々の干渉により武器も使えず捕食される側となり、日々を怯え、狂い果てていった。命懸けで南米大陸より脱出した人間が旧教会の本国に南米の現状を伝えた時、教皇は沈黙した。それから沈黙を続け、やがて失踪した。
 だが、我々は教皇の足取りを掴んでいた。
 こともあろうに、教皇は我々の本拠地に乗り込んできた。幾人か教会の関係者を伴いながら。一見すると人間には荘厳な顔触れに見えるだろう。総主教、新教の指導者を伴っての訪問だった。
 我々はこれから死ぬ老い耄れの為にささやかな催し物を用意した。いわゆる酒池肉林と言うものだ。ただの酒池肉林ではない。我々の一部には嗜好が攻撃的な者もいる。そういった者達は老若男女問わず、陵辱したり、殺戮をしたりしていた。家族同士を殺し合わせたり、まだ年端も往かぬ少年少女を弄りながら絶望と言う香辛料を与えていた。だが、老人達は何を想ったのか眼を瞑りながらそれらの為に祈って我々の祭壇に向かって来た。やがて、教皇は我々の前に到着すると一言尋ねた。
「あなたがジ・オーダーですか?」
 ジ・オーダー。その称号は我々にとって特別な意味合いを持つ。我々の最初の理念を形成した者。オーダー・オブ・オーダーの根幹を形成する者。即ち、世界を憎しみによって紡ぐ思想を完成させた者。その者が我々であり、ジ・オーダーなのだ。
「我々がそうだ、と言ったらどうするかね? 教皇聖下?」
 すると、教皇達は皆一様に平伏して懇願した。
「あなた方を狂気に走らせたのは私達の責任です。赦す必要はない。私達を弄り殺せば良い。ですが、あなた方の兄弟である人々には手を出さないで欲しいのです」
「あなた方に我々の何が解るのかね?」
 老人は慎重に言葉を選び、釈明を始めた。
「私達なりにあなた方がどの様な出自を辿られたのか調べさせて頂きました」
「ほう、それは死罪ものだね。人間の分際よ。我々がお前達の国を滅ぼすには十分な理由だ」
 我々の言葉に教皇はたじろぐことなく言葉を続けた。
「私達に解ったのはあなた方が皆熱心に神を信じ続けておられた事実です。ですが、愛するもの達との死別、社会から隔絶、孤立、絶望こそあなた方が味わった人生だった。あなた方は必死になって生きようとした。ですが、私達はあなた方を放置した。言葉だけの慰めで行いを以って救おうとしなかった。それが私達の罪であり、今日の世界を創り出す原因になったのです」
 伊達に年老いていた訳ではなかった。それが教皇に対する我々の印象だった。
 実に第二次世界大戦も根本とする原因は同じことなのだ。ヒトラーは初めから狂っていたか? そうではない。ヒトラーも初めは夢見る善良な少年だった。貧しさが、劣等感が、疎外感が、絶望こそが彼を創り上げた。環境が善良な市民を悪魔に仕立て上げる良い歴史の証明であった。ただ、総統と我々が違うところがある。総統は国民の憎しみを煽り、戦争に敗北することで悪魔の烙印を押された。
 だが、我々は世界中の憎しみを煽った。例外を一つたりとも認めなかった。そして、ありとあらゆる戦争に勝利した。故に我々は悪魔などではない。
「人間よ、その事実に気付いたところで世界は変わらんよ」
 教皇は微かに震えていた。そして、我々だけにではなく何処かの誰に向かって罪の告白をした。
「主よ、私達をお裁き下さい。私達が蒔いた不寛容が憎しみを宿らせ、世界中を憎悪に満たしたのなら、彼らが主の憐れみの根に再び立ち返り、救いを確信させて下さいます様に」
 愚かで愚かで愚かだ。暗愚な教皇に我々は慈悲深い言葉を投げ掛けてやった。
「愚かだな。そして、惨めであろう? 人間よ、嘗て、お前らの占めていた玉座を我々が専有した事実を知って偽善に走った。その愚かなまでの滑稽さに免じて欧州大陸にいる人間共を制圧してやろう。これは慈悲だ。根絶ではなく制圧の道を選択してやった我々に感謝するが良い」
 現実は物語っていた。力なき指導者に選択権はないのだ。愚かな指導者に世界を動かす権威はないのだ。
 その日、我々は教皇を投獄し、欧州連合に宣戦布告した。
 この我々の行動に国際連合は遂に痺れを切らした様子で事務総長が抗議の声明を出す為に各国の安保理と非安保理を集めて我々に対する決議をしようとした。非難決議を採択しようとする代表達をサイコキネシスで破裂させると事務総長達は青ざめた。我々は用件だけ伝えに来た。
「これまで国連が提案してきた国際規約、条約は全て廃止とする。これより国際連合は我々の下部機関として存在する。国際真理機関を創設し、聖典、コーラン、仏典、その他の宗教の聖典を廃止する。これらを所持する者は国連の敵国条項ならぬ敵対条項に加える。又、これらの思想を持つ者達が大勢いる国は敵国条項に加える。その国々の人間共が根絶するまで国連軍による戦争を継続することだ」
 事務総長達は表情を青ざめながらも決して首肯しなかった。そこで我々は一つ見せしめを用意した。
「我々の言っていることが真実だと判って貰えない様で残念だ。そこでだ」 
 我々はリアルタイムで映像を流した。
 そこには幾つかの場所が映し出された。聖なる使徒の大聖堂や凱旋門、欧州大陸の街々が映し出されていた。それらに共通するのは逃げ惑う人間共と警報の喧しい音だった。
 教皇には根絶ではなく制圧と宣言したが、我々は約束など守る気など更々ないのだ。約束とは力ある者同士で成り立つものだ。
 一方で、映像はアジア諸国やアフリカ大陸を広く映し出していた。それらに映し出される人間も又焦り、逃げ戸惑っている。
「お前達は間違った。我々の言うことには皆『然り』で答えるべきなのだ。だが、お前達は『否』と沈黙を以って示した。これは罰だ」
 映像から響く轟音に我々以外の皆が恐怖した。容赦なき爆殺に我々以外は唖然と映像をただただ見せ付けられていた。昔から良くある戦法だ。無差別に加えた絨毯爆撃と言うものだ。使徒の大聖堂が無残にも砕け、焼かれていく様をある者達は涙と嗚咽を以って悲しみの想いを表していた。
「これがあなた方の望んだ世界なのですか?」
 事務総長は慙愧の念に耐えられない表情で我々に問い質した。これに対する我々の答えは明確だ。
「『憎め』、憎め。憎いだろう? 自分達の大事な者が奪われていく様を晒されると。お前達は立派な制服を着て豪華な食事を楽しむ。だが、世界の多くの者共は貧しさ故に誰を憎んで良いか判らない。だから我々は誰が悪いか指し示してやった」
 そう、オーダーは秩序であり、憎しみの代行者でもある。
 我々は世界が憎い。だから破壊する。我々を我々足らしめるのは旧世界の不条理がもたらした憎しみと言う根だ。貧困が憎しみを産み出した。後はそれが誰のせいか煽れば良いだけだ。お陰で地球最後の開拓地と呼ばれた大陸は暗黒大陸と化した。一つの火種を点けて憎悪を煽げば、後は自然と殺し合ってくれた。
 世界の何処も例外などない。各地で自爆テロが日常茶飯事に起きていた。
「教皇方もあなた方が……」
「安心しろ。殺してはおらんよ。老い耄れに堪えるのは大切な仲間の死だろう? 『家族』を殺されるのが教皇共やお前らが何よりも耐えられんことだ。違うか?」
 我々が微笑むと事務総長は青ざめた。我々の答えを知ったからだ。
「そう、お前らの罪は子々孫々共が贖うのだ。血と恐怖でな。これより後の時代に安息はない、少なくともお前らにはな。あらゆる人間が恐怖と憎悪を抱き生きる時代になるのだ。我々すら例外にならない、少なくとも憎悪と言う面ではな」
「憎しみは何ももたらさない」
 事務総長はそう言った。それは的を射た発言だった。それに対する我々の答えは単純だった。
「だから、どうした?」
「そんな世界を産み出し、あなた方に何の益があるのですか?」
「益など何もない。だが、それは同時に最大の強みだと思わんかね? 護るべき者達すら、添い遂げたい者達すら居なくなった。我々にとって世界を壊していく作業なんぞ益にも何にもならない」
 嘗ては居た。護るべき、支え合うべき、大事な『家族』が。
 だが、神は最初から居なかった様だ。
 我々の最も愛する『家族』を世界は奪った。
 端的に言えば、我々は世界に見捨てられたのだ。故に『憎め』と言う言葉は必然だ。世界が我々の愛する『家族』を見捨てたなら、我々も又世界を見捨てるのは自明の理であった。
 元々、決まっていた道筋から外れたが、世界殲滅は順調だった。
 そもそも、オーダーには世界同時多発テロから世界の殲滅を始める算段もあった。
 世界中にいた我々はある特定の地域にジ・オーダー達を配置し、七人の執政官を下に世界各地で爆破テロを行う。その最初の対象は市街地であり、次にモスク、寺、教会であった。市街地で大規模なテロを起こすことで世界に衝撃を与え、次に各地の聖域である教会などを狙う。そうすると自然と精神の支柱から人々が離れ、不安が増大していく。多くの者は政府機関に頼るだろう。すると我々が次に政府機関の中枢コンピュータシステムを陥落させる。同時に食料供給を維持している畑を焼き尽くす。ここで要なのは富裕層とネットシステムの維持だ。富裕層だけ安全圏に籠もっていると言うニュースをネット上に流す。憎しみを正当化させるには論拠が必要なので富裕層と貧困層の激突を煽るには建国宣言などを引用させてやれば良い。それを世界中に引き起こし、世界の疲弊を待つ。更には代替案として各国の民族状況を利用した戦争扇動案もあった。例えば、中華にはイスラム教徒の住んでいる地域が広大に存在する。我々が中華のコンピュータシステムに介入して大陸間弾道ミサイルをイスラムの聖地に叩き込むと言う案もあった。そうすれば、中華とイスラム圏が全面戦争を始める切っ掛けともなった筈だ。これらも初期に想定していた手の一つだった。
 だが、そんなものは杞憂だった。我々の想像以上に現実の計画は順調に推移していた。我々の一部は嘗ての旧世界の疲弊を案じ、国際社会に向けてメッセージを送った。 それはこんな下らない内容だった。
「各国代表の皆様方、国連の主要機関の長なる方々、ここに集って下さったことに感謝を致します。私達が纏めた報告書に既にお眼通し下さったかと思います。率直に申し上げます。これは最悪の事態です。皆様方の一部は『もうヒトラーの様な悪のカリスマは現代には現れない』と仰っていますが、それを改めて頂きたい。お手元にある資料にある通りならば、現代はジニ係数が年々悪化する一途を辿っています。加えてテロリズムによる不安感の増大、難民の大量発生、民族浄化、世界各国の対立が複雑化しています。嘗ては中東諸国の情勢は比較的単純だったものが同じ宗派で対立、加えてアフリカ大陸諸国への大国介入、そして世界的な食料問題。これらに根を張る様に貧困層が憎悪の感情を掻き立てているのです。表向きにこそ現れていません。しかし、英国の欧州連合離脱、同盟国の国粋主義、現実は物語っています。世界は大戦前夜に戻りつつある。皆様方はお気付きだと思います。ネットワーク上などで、ある多くの人々はこう考えている節が視られます。『準備は整っている。後は悪の救世主が現れるのを待つだけだ』と吹聴しているのです。お判り頂けますか? 皆様方はヒトラーの青年時代を学ばれた筈です。ナチズムがどの様にして産まれたかも御存知の筈です。今の時代はそれより酷い。皆様方、どれ程言葉で取り繕っても無駄なのです。このまま時代の流れが悪しき方向に流れるなら必ずやヒトラー以上の悪のカリスマが現れるのです。これは予言などではない。預言に近しい事実です」
 その言葉を聞いた代表達はその場は重々しい空気で頷いたが、その後の晩餐会に和気藹々に贅沢な食事を味わい、塵の様に棄てている様を晒した。
 その危機感のなさにショックでメッセージを送った者達は失望し、我々の活動にのめり込む様になった。
 我々は『憎め』の他に我々の中である種の危機感ある思想を根付かせた。
 それは世界の致命的欠陥であり、世界を成り立たせているものだった。
 個々人の信条、それらの根底に敷かれている歴史と言う流れと言う宗教の教義こそ世界を成り立たせているものだ。
 皮肉にもそれは歪んでいるのが自明なのだ。西ローマ帝国の終焉と共に不戦と言う教会の持っていた究極的な理想は退廃し、代わりに国と教会を護る為ならば戦争も止むを得なしとした世界。
 その正当性を愚かにも聖典から見出そうとした賢人達の働き。
 これらが今日の世界を腐敗足らしめたのは歴然とした事実であった。
 そう、世界は愛を唱えながら人間を殺すと言う矛盾を抱えて生きて来た。その矛盾が人類社会に貧困と憎しみをもたらすと知っていても尚根底を変えない世界。
 我々はこの歪な構造に気付いていた。嘗ては危機感を抱いて声を挙げる者もいた。
 だが、理想は現実に勝てない事実に我々は未だ気付かなかった。事実に気付いた時、我々の信仰は死に絶え、我々は世界をより良い世界に変えるのではなく、寧ろ構造を逆手に取って我々が支配者になる道を選んだ。
 一秒にも満たない思索から我々は国連事務総長を嗤って凄んだ。
「まあ、そんな絶望的な顔をするな。お楽しみはこれからだぞ?」
 各地の映像から流れるきのこ雲の画像に我々以外の全てが呆然として事態を見ていた。事務総長が戦慄き、唇を噛み締め、我々に吠えた。
「核を使ったのか! 長い時を経て軍縮にまで持ち込めたのに! あなた方は戦火を拡大させた! これが如何なる意味合いか理解しておられるのか?」
「ああ、とても良く理解出来ている」
 次なる世界に生きる為に選定は必要だ。
 遺伝子が傷付いたとしても次の世代に新しい種を残せる新種が必要なのだ。
 現行の遺伝システムはほぼ全て解明出来ていた。残るのは未知の領域なのだ。遺伝子に劇的に変化を与え、進化の過程を観察する。
 これはオーダーがより強大足る為の宿業なのだ。
 我々の冷静さを目の当たりにした事務総長は事態の重大性を訴える。
「いいや! あなた方は何も解っていない! 人類が最悪の事態を避けようとした先人達の辛苦を全てに無駄にした! これは世界平和に対する重大な罪だ!」
「ほう、何が世界平和なのかね? 幾千万の難民が発生した世界が平和かね? 世界の冨の大部分を一部の者が占めているのが平和かね? 苦しんで喘いでいた者達を見捨てた世界が平和だったのかね?」
 我々が凄むと事務総長はごくりと生唾を飲み下した。我々は再度同じことを繰り返して言う。
「言った筈だ。これより安息の時代はない。全てが手遅れだったな。お前達が飢え苦しんでいる者達の叫びに耳を貸せば、この時代は来なかった。ヒトラー以上の悪夢は起きない? 残念だったな。お前達の予測は外れた」
 再三言葉を重ねる。
「これより安息の時はない。お前達の子々孫々が対価を支払い終えるまでな」
「嘘吐きが……」
 良く解っているではないか。そう、その為に国際真理機関を創設するのだから。ただ、誤解されているのが我々は旧世界の不全を糺した、そう思われておらず、乱逆者と言う印象を持たれていることだった。
 旧世界は間違った。だから滅んだ。これは必然の理だった。
 新世界はオーダーが秩序を正しく保ってやろうと言うのだ。ここにいる老い耄れ共もいずれ気付くだろう。
 老い耄れ共の安泰の下にどれ程の犠牲があったか。その犠牲者達の怨嗟が蓋をされて閉じ込められていた。だが、憎しみの方向を一つに向けさせてしまえば、怨嗟は憎悪と変わり世界に牙剥く事実に旧世界の支配者は未だ気付いていなかった。いや、気付いていたとしても知らぬ存ぜぬを貫いた。
「どうすれば、あなた方は止まってくれる?」
 事務総長は縋る様に訊ねてきた。それも単純な答えだ。
「事務総長、お前は暗愚だな。一つ、善い助言をしてやろう。『憎め』」
「それは答えになっていない。私が訊ねているのはどうやったらあなた方は止まってくれるのか? これだ」
「だから言っただろう? 『憎め』、隣人を妬み、苦しみをもたらす者達に憎悪を向けて武器を取って殺しまくれ。お前達も我々と同じことをすれば良いではないか」
「それがあなた方の答えなのか?」
 彼は懇願する様な口調で問い質した。まるでその答えが嘘であって欲しいと願っているかの如く偽善者の態度そのものだった。
「何故、善人面をしている? お前達はそういう存在ではないであろう? 隣人が飢え苦しんでいても平然と綺麗な言葉ばかり述べる偽善者が」
 そもそも、冨を独占する者達が少しでも隣人に冨を分け与えたら問題など解決していた。
 今更、正しいことを述べようとも彼らは遅過ぎた。彼らは破滅する。
 これは確定事項だ。
 彼らが聖典を利用して世界を支配してきた様に、今度は我々が新たな聖典を創り出し世界を支配するだけだ。
「ふむ」
 世界各国の状況を視ると電力関係がほとんど駄目になっている様子だ。石油採掘所も破壊され、核兵器の効果により電気系統がやられているならば、各国は一年と保たないだろう。
 だが、問題はなかった。オーダーは既に選定を終えているからだ。
「残念ながら、お前は次の世界に不要だ。去れ、事務総長」
「私は何処にも行かない。私達は世界と共にあなた方に抵抗する」
「そうか」
 次の瞬間、場に居た一部の人間、国連の職員共が破裂した。突然の出来事に驚いた事務総長はこちらを凝視した。
「次は七の七十倍分殺す。それでも逆らうなら更に七の七十倍分殺す。それでも尚逆らうなら更に七の七十倍分殺す」
 我々の意思を理解したのか、最初こそ決意が固かった様に観えた事務総長は大人しく引き下がって行った。
「さて、仕上げ時だな」
 我々は空に浮かんで天蓋を破壊し、その足で国連総本部から同盟国首都に行った。
「大統領閣下」
 我々を静かに見詰め、微かな怒りの表情で彼は詰問した。
「誰がここまでやれと命じた?」
 我々が惚けると大統領は一言命じた。
「オーダー・オブ・オーダーは解散だ」
「それが軍産学複合体の御意思ですか?」
 我々は敢えて敬語を使った。目の前にいる道化に訊ねたのではない。真の世界の支配者に対して訊ねたのだ。
 すると大統領は硬直した。いや、硬直したのではない。正確には時自体が止まったのだ。
「そうだ。汝らは行き過ぎた」
 目の前に現れたのは老人の集団だった。
「何とお呼びすれば良いですかな? 軍産複合体など隠れ蓑位なものでしょう?」
「好きに呼べば良い。名は幾らでもある」
 ある時は大企業の創設者の名を、秘密結社の名を、神々の名を僭称しているであろう老人達。古くはヘルメスと言う錬金術師に起源を持ち、世界の東西に渡って資本と技術を支配した者共。ある時は全盛期のエジプト王朝に隠れ、その後、アケメネス朝に隠れ、アレクサンドリア帝国に隠れ、ローマ帝国に隠れ、イスラム世界に隠れ、スペインに隠れ、大英帝国に隠れ、今は同盟国に隠れている訳だ。最も強かで計算高い老人共。 今の時代では三百人委員会の上位に立つ者ら。十二人委員会などと言う神にあやかって僭称している名前だ。
「成程、真の世界の支配者は人智を超越していらっしゃる様ですね」
「汝らは人を超越したと思っておる。じゃが、それは過ちじゃ。汝らはわしらの掌の上にいたに過ぎんよ」
 成程、同盟国が半世紀以上前に異なる文明と接触したのは嘘ではなかった。神の名を利用し、功妙に使い分け、強かに世界を支配し続けた意志達。
「しかし、残念です。我々に責任を押し付け、同盟国の繁栄を謳歌しようとされておられる老い耄れ共が判断を誤った事実が」
「何が言いたい?」
「同盟国はこれまでお前ら共の為に戦争して荒稼ぎしてきた。これが何を意味するのか判らん老い耄れ共に世界を統治する資格なんぞない」
 我々の無礼な態度の裏を読もうとするのか老人共は眼光を鋭くさせ、同じ科白を吐く。
「だから何が言いたい?」
「我々は完成しつつある。そして数は力である」
「オートマータ軍のことか、だとすれば無駄じゃな。わしらも無限に生産出来るオートマータ軍を保有しておる」
「呆けたか、耄碌共。我々は言った。数は力である」
 老人共に微かな動揺が見られた。
 我々の言わんとすることの意味を取りあぐねている様子だった。
 なので、我々が端的に説明してやる。
「お前達は今死ぬ」
 次の瞬間の老人の一人が破裂した。老人達は何が起きたか計りかねている。
「何をした?」
 老人共は努めて冷静さを保とうとしていた。
 だが、我々には判る。
 老人共は得体の知れない、底の知れない、何かに触れた恐怖する人の表情を一瞬浮かべたのだ。
 まるで覗き込んではならない深淵を見てしまったかの様な恐怖が老人達から漂うのを我々ははっきりと感じ取っていた。
「怖いだろう? 支配者から引き摺り下ろされた気分は如何かね?」
「何をしたと聞いておるのだ」
「『憎め』」
 そうして、人間は恐怖するのだ。このどうしようもない感情から逃れる術などないことに気付くのだ。そして、更に恐怖は矛先のない怒りに変わり、やがて怒りは憎悪に昇華していくのだ。この老人共とて例外ではない。
 我々は老人共の感情が憎しみや虚無に変わり続けていく為に一つの提案をしてやる。
「老い耄れ共、奇術の中身を明かすと白けてしまうだろう? 時の牢獄の中で永遠に考えるが良い」
 次の瞬間、老人共を瞬間移動させ、銀河の遠く彼方にある巨大ブラックホール群の特異点に置き去りにした。
「哀れなものだ。永遠に牢獄の中に居ると言うのも考え物だな」
 我々はそう呟いた。
 時が動き出し、大統領が声を発した。
「そうだ! それが世界の意志と知れ!」
「その世界の黒幕とやらは死んだ」
「な……」
 そんな馬鹿な、と言いたげな顔をする大統領。
「試しに呼んでみれば良い」
 我々の嘲笑に大統領は愕然とした表情で状況を察した。
「本当に殺したのか……」
「愚かだな。教会と言うものがありながら、神を信じず、偶像を拝し、道化を演じる。それがお前の役割だった訳だ。道理で新教会や旧教会、そして正教会の危機にも沈黙する訳だ」
「何が望みだ?」
 後ろ盾を失った大統領は苦虫を噛み潰した様な顔で我々に訊ねる。
「望みなんぞ何もない。お前に望む必要などないからだ」
 突如、地響きが蠢いた。
「何をした?」
「我々は火に脂を混ぜただけだ。憎しみの火に憎悪と言う脂をな」
 大都市圏では次々と爆破テロが起きていた。これも想定通りであった。
「最早、事態を『使徒』に阿るしかないか……」
「ほう」
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登場人物紹介

自分……教会の信徒であり、介護職であり、同時に同盟国の末端でもある。同時に精神的な病も患っており、無気力な人物。少年との出会いで諦めていた人生と信仰に一つの灯火が与えられ、『全てに救い』の信条に触れていくことになる。



少年……風の様に現われ、風の様に去る可愛らしい少女の様な凛々しい少年の様な少年。語り部である『自分』を受け容れ、『全てに救い』の教義を教えることに力を貸す。同時に語り部である『自分』の危機的状況を救ったりもしてくれる不可思議な少年。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)





少女……同盟国の関係者らしいが、実体は不明な少女。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)





ウォリアー……同盟国の重要人物で『使徒』と呼ばれる存在。重々しい口調が特徴的な牧師の格好を纏った軍人の様な男。実際に軍人でもあり、新しい計画にも携わっている。典型的な戦闘型の『使徒』で実際には星一つ滅ぼせる程の力を保有していると思われる。少年と付き合いは古い。(アイコンはあくまで参考用のイメージ像です。読者様のお好みの姿を思い描いてお楽しみ下さいませ)



 



ジューダリア……ユダとマリアを合わせて取られた名で『イスカリオテ』の中でも別格の存在。祈りを具現化する能力に長けており、『使徒』の番外と呼ばれる。

ジ・オーダー……第二部の語り部。オーダー・オブ・オーダーの中核。自分のことを我々と称する。「人は『全てに滅び』をお与えになる」の信条を創り上げたと言われる。世界の破壊者。

クリストフォロス……第二部の登場人物。『使徒』である。ジ・オーダーにとって先が読めない人物と考えられている。恩恵能力『絶対結界』(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ソロモン……第二部の登場人物。『使徒』の一人。恩恵能力『ソロモン・システム』但し、精確には恩恵能力ではない。より厳密に言えば彼女の家系が築き上げた。『ソロモン・システム』については第一部参照。( アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ジョシュア・エイブラハム・ノートン……現代の最古の『使徒』の一人。恩恵能力は不明。判ることは通信系の能力。古典的な通信手段のみならず現代の科学水準を以てしても理解出来ない通信手段を使用している様子。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

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