不安定な支柱

文字数 2,256文字

 女の撃った弾は床に落ち、射撃の反動で拳銃を取り落とす有様だった。
 しかし、確かめてみると、弾丸はコンクリート板の床にめり込んでいた。
 春月は報告書に、鎮圧銃射撃試験を実施する必要はない旨を書き、特殊能力試験を行うべく医務課に連絡を入れた。だが、予定を前倒しにする事を医務課は認めなかった。
 そこで、特対課内の医務係に連絡先を変え、本人の診察も同時に出来るかと尋ねたところ、医務官の池田は今すぐにでもと返答をした。
 訓練室と外部を仕切る最初の扉を開け、春月は昇降機の前に戻る。
「医務係の方で特殊能力の検査を行います。付いてきて下さい」
 春月は昇降機の操作盤に手を伸ばし、医務係の執務室が置かれている二十一階への籠を呼び出す。

 無機質な空間を数階層降りた先にあったのは、水耕栽培されているらしい幾つもの植物が置かれた空間だった。
「なんか、また増えたみたいですね」
 花房は苦笑する様に言うが、女にはそれを眺める余裕が無かった。
 さして早足でも無い春月に付き従って歩くだけで、息が上がっていたのだ。
 春月は扉の開いている部屋を覗いた。室内には白衣姿の男性が座って居る。
「急に申し訳ありません」
「構いませんよ、ひとまず、中に」
 春月は振り返り、女を見る。
「中にはお医者様が一人だけですから、入って下さい」
 促され、女は室内へと進む。
 白衣姿の医師は息切れしている様子の女を見て立ち上がった。
「大分顔色が悪い様ですし、こっちに」
 医師は女を診察台に座らせた。息が上がっているだけではなく、体幹の支えが不安定になっている様子だった。
「落ち付くまで、少し横になっていて下さい」
 革靴と上着を脱がせ、ネクタイを解いてその身を横たわらせる。

 池田は診察室を出て、廊下に立つ二人に声を掛けた。
「此処に来るまでに、何か激しい運動をしていますか?」
「いえ。直前に行ったのは射撃訓練です」
 春月の返答に、池田は首を傾げる。
「それにしては、息が上がった様な様子でしたが……ところで、診察をと仰っていましたが、貴方から見て気になる点が何か、教えて頂けますか」
 春月は眉を顰めた。
「神経か筋肉に、何か異常があるのではいのか、と……握力測定で右手の初回が十二キロ、その後、十キロ以下に落ちました。左手は初回から十キロに満たない数値しか出ていません。加えて、ハンドボール用のボールを片手で持たせれば、持ち上げた勢いで取り落とす様な調子で、立ち幅跳びは飛ぶ以前に尻餅をついたり、反復横跳びでも受身も無しに倒れてしまい、花房君が念力で危険な倒れ方をさせなかったなら大怪我をしていたかもしれない状況で……」
 池田もまた眉を顰めた。
「しかし、(ボタン)を掛ける事や、道着の紐を結ぶ事、袴に着替える事は何の支障も無い様子で、拳銃の引き金を引く事も出来ていましたから、奇妙なんです」
「確かに……では、射撃の時に、立った姿勢を見て、違和感はありませんでしたか? こう、体が片側に傾いているだとか」
「それはありませんが……少々猫背ではありますね」
「では、喋り方に違和感があるとか、手が震えている、物を取ろうとして取り損ねるといった症状は」
「それも無いですね」
 見当がつかず、池田は小さな溜息を吐いた。
「地下の診察室のCTが使えるか確かめます。脳に病変があるとすれば、それで分かります。ついでに血液検査の依頼をして、筋肉の疾患の兆候が無いかも確かめます」
「分かりました」
 春月は花房に向き直る。
「花房君、申し訳ありませんが、能力検査はおそらく出来ません。君は執務室の方に戻って、もし、兼定君が居れば、この事を伝えて下さい。正式な報告書は追って提出します」
「それはいいですけど、大丈夫なんですか?」
「この状況で能力検査をしても、正しい測定は出来ませんよ。それに、検査結果によっては、研修どころではなくなりますからね」
「伝えるには伝えますよ。それじゃあ、僕は戻りますね」
 花房は踵を返し、十三階へと降りてゆく。

「地下の検査室には検査着が有りませんから、此処で着替えて下さい」
 CT検査の予約を入れ、池田は特殊能力試験室から検査着を持って診察室に戻る。
 検査着を女に渡すと、蛇腹折りの仕切りを広げた。
 女は忌々しげに服を脱ぎ、生成(きなり)色の検査着に袖を通す。仕切りの向こうで、池田は女が姿勢を崩して倒れないかと耳を(そばだ)てていたが、杞憂に終わった。
「あの、靴は……」
「スリッパを持ってきますから、靴下も脱いで下さい」
 言って、池田は診察室の隅から紙製のスリッパを取って、包装から出す。
 仕切りを閉じて診察台を見ると、トラウザーズとシャツは枕元の衣類籠に放り投げられていた。
「検査室は地下にあるので、非常用のエレベーターで直行します。検査自体は二十分もかかりませんし、横になっている間にエックス線で撮影をするだけです。ただ、放射線を浴びると後から能力の暴発を起す事があるので、頓服の鎮静剤を処方します。それと、血液検査も依頼しましたから、CT検査の後、採血させて下さい」
 スリッパを床に揃え、池田は女に立てますかと問う。
 女は頷き、診察台から足を下ろす。池田は隣に立っていたが、姿勢が崩れる様子はなかった。
「では、行きましょうか」
 池田は女の背に手を回し、診察室を出る。
 確かに猫背ではあったが、体を支えられていない様子は見受けられなかった。
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