虹の朝に 2021年7月

文字数 3,142文字

その朝、ブラインドを開けたら外が黄金色に輝いて見えた。冬に入ったメルボルンの冷気が澄み切って、きらめいているような。

あまりの美しさに、いつもならまず朝の家事を始めてしまうところだけれども、庭でコーヒーを飲んだら気持ちいいだろうなぁ~って気持ちになった。

以前は毎朝庭に出て、夜明けの空や朝焼けに染まる空を眺めながらコーヒーを飲むのが習慣だった。それが足の平を骨折して暫くは裏庭に出るのも難しくなった。今では足もそれなりに回復して、相変わらずムーンブーツを履いてはいても、松葉杖なしで歩けるようになった。なのに、朝空の下でコーヒーを楽しむ習慣はいつの間にか抜け落ちてしまったのだった。

今日は急ぎの仕事もなかったし、子どもたちは冬休みで、朝からテレビの前でカウチを陣取ってゲームに興じている。毎週金曜日は友達数人とランチをとるので、スケジュールも余裕をもって組んでいる。

そうだ、久しぶりに朝焼けの空を見上げコーヒーを飲もう、って気になった。しかもインスタントではなく、コーヒーメーカーで淹れたカフェラッテとかカプチーノを。それから午前中は書こう、と。

子どもたちがまだ小さかったころは毎朝4時に起きて、早朝2時間ほど書く時間を作っていたものだった。けれど子どもたちが成長するにつれ子どもたちの朝もどんどんと早くなってゆき、早起きしても大した朝活の時間も取れなくなった。

とりわけ数年前に病気をしてからは、まず睡眠時間の確保の方が重要になってきて。それがやっと治ったら、今度は夫が癌を患っていたことがわかったのだった。慌しい生活に追われ、いつの間にか早朝執筆の習慣も毎日の暮らしから抜け落ちてしまった。

「ママ、虹が出てるよ!」と息子が声を張り上げた。

窓の外を見れば、大きな虹が出ていた。鮮やかな虹の架け橋に、息子と一緒に外に出て空を仰いだ。

眺めているうちに虹の上にもう1本、虹が現れたではないか! かなり大きく、鮮やかで― 

Wレインボーだった! 

思わずカメラを取りに中に戻った。その間に消えてしまうかもしれないと思ったけれど、虹は相変わらずそこに在った。2本とも。

2本のうち下の虹はずっと太くて、何色もの層に輝いていた。良く見ればそれは1本の虹ではなく、2本の虹がくっつくようにして掛かっているのだった。下半分の色は儚なくはあったけど、それでも14色の太い虹が青空の端から端へ掛かっていたのだ。その上にもう1本、下の虹に比べれば細い虹がくっきりと。

Wレインボーだと思ったそれは、実はトリプルレインボーだった! 虹の架け橋は3重に掛かっていたのだ。

こんな虹を見たのは初めてのことだった。娘も呼んで、家族3人で虹空を眺めてしまった。かなり長いこと見ていたのに、虹はいっこうに消えなかった。子どもたちが家の中に引っ込んでからも私はずいぶん長いことそこにいた。虹が消えるまでは見ているつもりだった。

虹空の下でカプチーノを飲んだら素敵だろうなぁ、ふと思った。虹はまだ三つとも掛かっている。

急いで家の中に戻って、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れてミルクを泡立て、チョコレートパウダーまでしっかとかけて―。カプチーノを淹れてテラスに戻ったら、さすがに虹はもう消えていた。

「虹、消えちゃったんだね」と、背後から息子。

「やっぱり虹を見ながらカプチーノまでは無理だったわ」

「でもママ、ガッカリすることはないんだよ。あんなにすごい虹を見ることができたんだから、そのことに感謝して、そしてまた次の嬉しいことや素晴らしいことを見つければいいんだからね」

もちろん、ママはRejoice!ですよ、って言葉は飲み込んだ。意外だったから。この子がそんなふうに物事を考えるようになっていたなんて…。

ムゥは、ファジーで柔軟なお姉ちゃんと違って、何かちょっと自分の思い通りにならないことがあるとヘソを曲げて投げ出してしまうような子どもだったのだ。まぁ、親からすれば「ちょっと」でも、当時の本人にとっては「大問題」だったんだろうけど。鼻水が出れば「お鼻が出ちゃった~ もうおしまいだ~ ごはん食べない~」とスプーンを手に泣きわめいていた幼いムゥの姿が浮かぶ。って、違うか(笑)。

それにしても両親とお姉ちゃんに構われて我儘いっぱいの男の子だったのに、この子もずいぶんと成長したものだ。癌と格闘していた父親を見送って、今年は母親まで車椅子生活になったりして…。中学生の彼もいろいろと頑張っているんだなぁ、としみじみしてしまった。

「ほんとにそうだよねぇ。ありがとう」と、カプチーノを手に空を見上げたとき―

消えたはずの虹がまたくっきりとかかっていた!

「ムゥ、見て! 虹だよ! 新しい虹! 虹がまた出たよ~」

「へぇ、縁起が良いねぇ。綺麗だねぇ」と娘まで外に出てくる。

今回は1本の虹で、さっきほど長い時間ではなかったけれど。虹に見惚れ、久しぶりにゆったりと朝のコーヒーを味わった。贅沢な朝に感謝しつつ―

時間もまだたっぷりとあって、そのまま執筆に入るはずだった。

だけどその前にまずワンコたちに朝ご飯をあげなくては。24時間食欲旺盛のチャー君はともかく、お婆ちゃんで歯が悪く胃潰瘍気味のポーポーちゃんに朝食を用意して完食させるには2、30分かかってしまう。それから溜まっていた洗濯を片付けて、洗濯物をたたんで、子どもたちが食べ散らかした食器を洗って。

やっとパソコンを開けたとき、やり残していた事務処理のことを思い出した。それらを片付けて、そういえば息子が冬休み中に家族で出かけたいと言っていた。この足で子どもたちをどこに連れて行けるだろうかとグーグルし始めて―

気がつけば、友達が迎えに来る10分前になっていた。結局、執筆の方は1行も書けていない。つーか、全く手を付けてもいなかった。

さすがに思った。何やってんだよ、自分。それにどう考えてもこの場合、プライオリティがおかしいだろ。

我ながら自分にうんざりしてしまった。仕事や家族や愛犬や友達や、相手がいることは、やらずにおくわけにはいかない。けれど自分との約束を守るのは案外難しい。相手がいて明らかに「やらねばならないこと」をやっているうちに、簡単に後回しになってしまうんだ。そうしていつか「やらないこと」が習慣になってゆく。

気がつけば早朝執筆の習慣どころか、いつの間にか執筆の習慣自体が毎日の暮らしから抜け落ちてしまっていたのだった。

いつもどこか急いでいて、自宅の階段から転げ落ち、車の運転もできなくなって、そろそろ2か月半になる。できなくなったぶん以前より時間に余裕ができたせいか、最近また小説を書きたいと思うようになっていた。自分の中に溜まった表現されずにいる物語。それらを書きたい、小説にして昇華したい、と。

小説、とりわけ長編は、思いついた勢いで完成できるようなものじゃない。少なくとも私にとっては。登場人物や構成を考えプロットを練って、日々こつこつと書き続け、筋トレのように取り組んでいかなくてはならないんだ。その物語が終わったときにはキャラクター達との別れが名残り惜しくて、いつまでもずるずると編集してしまうような― 

それが私にとっての長編小説の執筆だった。それには、たとえ30分でも1時間でも書くことを毎日の習慣にしなくては。

トリプルレインボーを見たこの日、決めた。少しずつでいいからまた執筆を生活に習慣付けてゆこう、と。顔を洗うように、仕事をするように、夕食を作るように、書くことが、物語の人物たちと過ごす時間がまた1日の習慣になるように。

夫を見送って、実感している。私たちのジンセイは儚いものだ。青空に掛かる虹のように。本当にやりたいことはやれるうちにやっておかなくては、と改めて思うのだ。

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