第1話 漆黒の男

文字数 3,411文字

男が郊外の道を走り、飛び上がると走る車にポンと足をつき、街灯に乗って風の匂いを嗅いだ。
漆黒の髪をなびかせ、黒いスーツ姿に黒いコート、黒い手袋、黒い瞳と黒尽くめに、青白い肌。
整った顔は人間ならまだ若く、青年というのに美しい。
だが、その肌の色は死人のように青白く、吐く息も死人のように冷たかった。

走る車の波を避けるようにポンと街灯から街灯に飛び移り、川沿いの道に出ると明るく輝く繁華街の空を目印に走る。
彼は息も切らさず、ひどく急いでいた。

ぬるい風が吹いて立ち止まり、空を見上げ目を閉じる。
鼻を立てて空気の匂いを嗅いだ。

「汝、マズい、ニオイが、変わった。
何か、あった、な」

暗闇の宙に黒いモヤのかかる文字を書く。
それをピンと指ではじいた。
文字は1匹の蜂となり、風上へと一気に飛ぶ。
男はそれを追いかけ始めた。

郊外を抜けて夜の繁華街に入ると、人混みを避けて縦横に走る電線を飛んで渡り、人々の頭上を一瞬で通り過ぎて行く。
蜂が止まって男を待ち、ニオイの主が近いことを知らせる。
男は繁華街のはずれにあるそのニオイを嗅ぎ分けると、パチンと指を鳴らし蜂を消し去った。

路地に入り、街で唯一ここに集まる木々の、ざわめく音に顔を上げる。
目指す香りが強くなると歩き始めた。

小振りの赤い鳥居をくぐり、石の階段を上って行く。
上へ上へと行くごとに、男の歩みは早くなる。
もう、すでに、手遅れである事はわかっていた。

「ふうふうふうふう、んんんんーーぐうう……」

熱に浮かれるような、女の声が聞こえてくる。
男は革靴で足音を立てながら、最上段をダンッと踏みしめた。

「ううう、ううううう、んぐううううう」

女のうめき声に目を向ける。
人気の無い真っ暗な境内で、身もだえる赤いワンピースの女に青年が抱きつき、口づけを交わしていた。
女は涙をボロボロ流し、奇妙なほどに喉は膨らんで腹がうごめいている。

「ん?」

男の足音に、青年が女から唇を離すと、口からあふれるようにボタリ、ボタリとゲル状の固まりが落ちた。

「ひいいいい!!げあああああ!!」

女がうずくまり、ゲエゲエと数個を吐き戻す。
吐き戻されたゲルからは、もぞりと蜘蛛が現れ、男は苦々しい顔でその蜘蛛に向けて指を向けると、ボッと青白い火が付き燃え落ちた。

「汝、下賤、の、虫か」

「なんだ、花の主か。
ククク、アハハハハハハ!!ここまで育ててくれてありがとう!
素晴らしい!素晴らしいよ、実を付ける直前の花を見つけるなんて!」

ククッと笑いながら、青年が女から一歩離れた。
女は舌を出して喉と腹をかきむしり、苦しそうにもがいている。

「ああ、お前に産み付けた同胞なんて聞いたことが無いよ。どんな子が生まれるんだろう?
きっと……きっと……最強だ!!」

「あああああ、助けて、助けて、うああああああ……」

泣きながら女は胸から腹をボコボコと膨らませながら、そのまま小さく身体を丸めて球根になる。
じっと見ていた男がけわしい顔でスッと前に手を伸ばすと、パキンと指を鳴らした。
指先に火が灯り、スウッと横に一閃する。
球根の端に青白い火が付き、線を引いたように火が走る。
青年が火の付いた箇所を鮮やかに手刀で叩き切った。

「危ない危ない、こんな幸運めったに無いのに」

ゆらりと一歩踏み出し、踊るように大きく手を広げて、縦横に走らせ、一瞬で見えない結界を紡ぎ出す。
フッと男に向け、口から何かを飛ばした。
男の袖に白い糸が張り付き、キュンッと音を立てて男の身体に巻き付いて行く。
それはまるで、蜘蛛に捕らわれた虫のような様相だったが、男は奇妙なほど落ち着いていた。

「汝、宿り、蜘蛛か。運の悪、い事よ」

宿り蜘蛛は、メスから預かった卵に受精させ、それを他の種のメスに産み付けて孵化させる。
他の種のメスが強力であるほど、その子は強力な力を得るのだ。
だからこそ、男が大切に育てていた花を見つけた青年は狂喜した。

「こんな素晴らしい宿主を見つけるなんて、僕は幸運だ。
どんな子が生まれると思う?
素敵な僕の子供たち。ああ、楽しみだ」

男が表情を変えず、捕らわれたまま、また指を鳴らす。
身構える青年の、足が大腿からはじけ飛んだ。

「うおっ!!くそ!なんの、こんな足は飾りだ!!」

青年が地に手をつき、脇腹からも左右に4本の蜘蛛の足が生える。
髪が伸び、顔が蜘蛛へと変貌して男に飛びついた。

「汝、触れ、るな、虫ごとき、が」

巨大な蜘蛛が男の身体を捕らえようとした瞬間、ドンッと空気が震える。
蜘蛛は跳ね飛ばされ、形を崩す球根にぶつかると、ぐしゃりと球根が潰れた。
中から、無数の小さな蜘蛛があふれ、親である青年の蜘蛛に取り憑く。

「ひっ!」

巨大な蜘蛛が、慌てて身を起こそうとするが、見る間に子蜘蛛に食われ、足が外れて身動き出来なくなった。

「クソッ!クソウッ!こんな所で食われてたまるかっ!」

蜘蛛がうめき声を上げながら、青年の顔に戻り目を見開き歯を食いしばる。
男は身体に巻き付く糸をはらりと落とし、それを見てククッとほくそ笑んだ。

「汝ら、一族、オスが、その身、を、食わせる、とは、いつ見ても、愚かな、事よ」

「ううううるさい!こっ、これが、これが、定めだ!
次に、命を繋ぐ、この、尊い行為を……ぐううう、うううああああ」

「汝、助け、て、やろうか?」

「は?は?た、たす、ける、だと??」

子蜘蛛は容赦なく青年の身体を食い尽くして行く。
腹が無くなり、胸へ、そして頭へとかじりついた。
その食われる恐怖に、とうとう蜘蛛の青年が声を上げた。

「ひい!ひいいい!!助けて!助けてえ!」

「汝、さて、今、助けて、良き、ものか?
汝を我の、眷族、とする、ならば、さて……、対価を、寄こせ」

「対価?たいかぁぁ……いやだ……いやだ……死にたくない……」

青年が、すでに首だけになって小さく口を動かす。
男は声にならない声を聞いて、はてと考えた。

「汝、ふむ、なるほど。うーむ、だが、その、なりで、命と、言われても」

黒衣の男が、すがりつくような目の青年に、ニイッと笑った。

「汝、我が花、を、台無しに、した、お前には、丁度良き、死に、方では、ないか。

死ね」

だが、そう言った時には、すでに青年蜘蛛の姿はかけらも残さず食い尽くされていた。

ザワザワザワ

子蜘蛛たちが、次のエサを探して男に群がって行く。

「汝、さて汝、我が花、を、よくも食って、くれた。礼をせねば、ならぬ」

ニイッと笑う男の全身が、赤く光る。
小さな目が身体中に現れ、そして黒い眼に赤い瞳の目が見開き、取り付く子蜘蛛たちに妖しく光を放った。

「汝ら、共食い、せよ。同胞を、食い、尽くせ。最後の一匹、を、我が下僕、に、してやろう」

男の全身にまとわりつき、かじりつく蜘蛛たちが、次の瞬間ボロボロと身体から落ちて行く。
そして、目に入った兄弟を、ガツガツとむさぼり食い始めた。
蜘蛛は急速に数を減らし、やがて残りが数匹となり、最後の二匹が互いにかじりつく。
残った一匹が瀕死の状態で、男の革靴に残った3本の足で這い上り、すがりついた。
男が宙に黒くモヤがかかる文字を書き、ピンとはじく。
それが虫の背中へと張り付くと、ズルリと臓器を引き抜いて消えた。

「汝、蠱毒(こどく)、の虫よ、お前の心臓、は預かった。
我が命(めい)を、聞き、我が指示、に従い、我が為に命(いのち)を落とせ。
その命、汝の物では無く、我が物、で、ある」

蜘蛛はビクビクと引きつって転げ落ち、そして大きく膨らんで形を変えると、一人の全裸の少年になった。
漆黒の長い髪を垂らして、手をつき起き上がって顔を向ける。
その目は真っ黒で、白目が無い。顔にポッカリと空いた闇のようだ。
口は開いたまま、よだれを垂らし、4本の牙を見せていた。
男が苦い顔で、顎に手をやり考えると、少年の顔を指さした。

「汝、もっと、上手く、化けよ。我が花、のごとき、美貌を、成せ」

「うぃ、うぃ、うぃぼう」

牙で閉まらない口でつぶやく。

「汝、我が横、に、はべる、なれば、相応、の、美貌」

「うう……」

悩む少年に、プイと背を向ける。
どうでもいいのだろう。
大きくため息を付き、日課から解放されてしまった絶望感に空を見る。

「汝、……汝、唯一の友、なんと、言うべき、で、あろう……きっと、怒る……怒られる……

ハッ……  きっと、怒られる??!!怒る、怒られる?!!はああああぁぁぁ!!」

なぜか、自分を抱きしめるとブルリと震える。
男は、境内の階段から飛び降りると、そのまま上着を羽根のように広げ、闇夜ヘと飛び立った。
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登場人物紹介

・黒い犬(ベルクト)

花を育てている。自分の身体は花に食わせた為に決まった形を失い、とりあえず犬の姿をしている。

精神体のようなものなのだが、身体を失っただけで生きている。

真っ黒いスライム状の姿が本来の姿。

・花

美しい女の姿で、男を誘惑して食う。

毎日1人食って花を咲かせ、枯れ落ちて違う場所に現れる。

愛情を持って育てると最後に実を付け、何かいいことがあるらしい。


この花を育てるのは制約が多く、実を付けるのは至難の業だと言われている。

花を咲かせる前に、主は必ず愛の言葉を捧げなければならない。

よってどこに咲くかわからない花を、毎日追う必要がある。

実を付ける時期が近づくほど、花を狙う者が増える。

花は浮気を許さず一途な愛情を求め、制約を破ると呪いの実を落とし災厄が降りかかる。

・黒衣の男(アルファス)

緩やかなウエーブの黒髪に青白い肌、常に黒いスーツとコートを着ている。

美的センスにこだわる美しい顔の青年。ベルクトとは同族。

言葉の頭に必ず「汝」を付ける奇人。ベルクトが唯一の友人。その為、特別な感情を持っている。

真っ直ぐに意味を受け取らず、ねじれて納得するので非常に付き合いにくく友人は皆無だったので、ベルクトを大切にしている。

それを逆手にとって、ベルクトは彼にもう一つの花を託していた。

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