次なる一手

文字数 4,097文字

 ウィルはコーデリアを伴い、フォルカーク砦の地下牢の一番奥の部屋まで足を運んでいた。黴臭い臭いが立ち込める中、今は藁屑が散らばっているだけの薄暗い部屋の壁に、ウィルは顔を近づける。

「これをご覧ください。カイザンラッド軍は、恐らくここからヘイルラントにやって来たのです」

 ウィルが壁の小さな染みの様なものがある箇所へ、カイザンラッド兵が残していった剣を近づけた。すると、剣の柄に刻まれた紋様が壁に呼応して光り、壁には縦に亀裂が入ってゆっくりと左右へと開いていく。

「これは……地下通路?」

 コーデリアの視線の先には、人一人がどうにか入れる程度の洞窟がぽっかりと口を開けていた。ウィルの手にした松明は周囲の岩肌を照らし出しているが、洞窟がどこまで続いているかはこの地点からは想像がつかない。

「まさか、カイザンラッドからこの地まで、この洞窟が繋がっているというのですか?」
「恐らくそうではないでしょう。ヘイザム大森林を超えてこの地点まで歩いてくるのは容易なことではありません。それに、それだけの距離を地下通路を掘れば地脈をも断ってしまうでしょう。それよりも考えられるのは……」
「考えられるのは?」
地底人(ドワーフ)の何らかの古代遺産をカイザンラッドが使った可能性です。もし彼等の技術力をカイザンラッドが手にしていたなら、急にこの地へ現れるのも不可能なことではありません」
「ドワーフの、古代遺産……」

 ドワーフの存在は、コーデリアも詩や伝承の中でしか聞いたことがない。
 古代ハイナム時代においては彼等こそがこの地上の支配者であり、高度な機械文明を築いて人間やエルフをも支配下に置き五百年以上も繁栄を続けたというのだが、史料や遺物の少なさから彼等の実態についてはほとんど知られていない。

「この奥に進めば、何かがわかるかもしれません。付いてきていただけますか」

 コーデリアは無言で頷くと、ウィルの後に従った。
 闇の奥に目を凝らしながらしばらく歩くと、洞窟の先に大きな扉が現れた。
 灰色の扉のつるりとした表面は松明の明かりを受けて鈍く輝いているが、コーデリアが今まで見てきたどのような扉よりも味気なく無機質だ。どんな素材で作られているのか想像もつかない。
 扉の中央部では小さな輪の中に複雑な紋様が描かれ、中心に緑色の光が小さく息づいている。

「これは、何なのでしょうね」

 ウィルが恐る恐るその光に手を伸ばしてみると、不思議なことに熱を感じない。
 この光も、地底人(ドワーフ)の古代技術のもたらしているものなのだろうか。

「同じ原理が働いているなら、この扉もこれで開くはず」

 ウィルはカイザンラッド兵の剣の柄を紋様の前にかざした。
 すると紋様がくるりと回転し、緑色の光が点滅した後、扉が奇妙な振動音とともに左右に開いた。

「ほう……こんなものがあったのですか」

 扉の先には広い空間が現れ、床には大きな光の輪が刻まれていた。
 右手の方向に置かれた台を松明で照らすと、そこには小さな文字の書かれた突起が並んでいる。古代ハイナム時代の文字なのか、ウィルには全く判読することができない。

「ここより先がないということは、おそらくカイザンラッド軍はこの環の中から姿を現した、ということでしょうね」

 ウィルは光の輪の中に立ち入った。涼やかな声が辺りの空間に響く。

「でも、ここは行き止まりでしょう?どこからここにやってくるのですか?」
「あくまで伝承ですが、ハイナムの古代詩によれば、ドワーフは地方で反乱が起きれば帝都よりどこにでも軍隊を送り込み、即座に鎮圧したといいます。これは軍隊そのものを瞬時に移動させることができなければ不可能です。おそらくはこの環が、カイザンラッドとこの地を繋ぐ転移装置なのではないかと」
「転移装置……」

 コーデリアの表情が翳りを帯びた。
 そんなものが存在するのなら、カイザンラッドはいずれまたこの装置を使い、ヘイルラントに軍隊を送り込んでくるかもしれない。

「なら、この装置を壊してみる、というのはどうでしょう?」

 焦りを含んだコーデリアの言葉を、ウィルは背中で聞いている。

「試みる価値はあるでしょうが、恐らくは無駄です」
「どうしてです?」
「ハイナム時代の者達も、そうできるなら既にしていたはずです。それができなかったからこそ、ドワーフの支配は長く続いたのではありませんか」
「では、どうすればいいのです?またカイザンラッド兵がここから湧いて出たとしたら……」
「まずはこの通路を塞いでしまう他はないでしょう。それも一時しのぎに過ぎませんが、何もしないよりましです」

 コーデリアを落ち着かせるよう、ウィルも努めて穏やかに話す。
 しかしウィルも、転移装置から侵入してくるカイザンラッド軍を防ぐ決定的な方法は持ち合わせていない。

(自由騎士とて普段は農夫だ。常時この砦に詰めていることができるわけでもない)

 カイザンラッドが封鎖した通路を破ることができたとしても、地下牢から出てきたところを襲えば勝つのは難しくないだろう。
 しかし、ナヴァル城にすら自由騎士は常駐することができないのだ。
 このフォルカークにまで人員を割くことは難しい。

「まずは一旦ナヴァル城へ戻りましょう。今後の対応を協議しなくてはなりません」

 ウィルは光の輪に背を向けると、コーデリアに軽く微笑んでみせた。


 夜が更け行く中、ナヴァル城の会議室には四名の男女が顔を揃えていた。
 樫のテーブルの上座に腰掛けるコーデリアの左右に、ウィルとアレイド、そしてカイルが並ぶ。

「──さて、お話した通り、カイザンラッドの脅威はまだ完全に去ったわけではありません。報復のため再びこの地に攻め来る可能性も考えられます。しかし、このヘイルラントの兵だけでは彼等を撃退するには足りないのです」

 コーデリアは努めて冷静に話そうとしているが、その声音は憂いに沈みがちだ。燭台の明かりが映り込む萌葱色の瞳にも、不安の光が揺らめいている。

「また、森エルフの協力を仰ぐってんじゃあ駄目なんですかい?」

 カイルは葡萄酒を煽ると、酒臭い息を吐き出した。

「カイザンラッドも二度も同じ策には引っかからないでしょう。それに、今度は兵も増強して来るかもしれません。そうなったら、エルフ達の協力があっても勝てるかどうか」

 ウィルは酒気で赤く染まったカイルの顔を見据えながら言う。

「詩人よ、その転移装置とやらはどれくらいの人数を送り込めるのだ?」

 アレイドが真っ白な眉の下の目をすぼめた。

「はっきりとはわかりませんが、フォルカーク砦に籠もっていた兵は百人ほどでした。一度に送り込める人数がそれくらいだとしても、何度かに分ければもっと多くの兵を転移させることも可能かもしれません」
「むう……」

 腕組みをして顔をしかめるアレイドに、コーデリアが視線を向けた。

「アレイド、なにか良い案はありませんか?」
「フォルカークに常備兵を置いておくほどの余裕など、我がヘイルラントにはありませんからな……仮に置いておけたところで、カイザンラッドが兵を増強させてくれば対抗するのは難しいかと」
「森エルフ達の協力を得ても、難しいでしょうか」
「彼等はあくまでヘイザムに攻め込んできたカイザンラッド軍を撃退しただけです。果たして森の外にまで出てきてくれるかどうか。さりとてカイルの言う通り、もう一度森の中に誘い込まれるほど、カイザンラッドの連中も間抜けとは思えませんからな」

 アレイドの言葉に、ウィルも心中では同意していた。
 森エルフは、ヘイザム大森林という地の利を活かしてカイザンラッドに勝利した。
 その利点を捨ててまで、ヘイルラントに協力する理由がない。

「──これでは手詰まりですね。騎士(ナイト)兵士(ボーン)も足りないのでは、君主(ロード)は守りきれません」

 コーデリアは眼の前のチェス盤に置かれた槍兵を一歩、君主の側へ動かした。
 この槍兵は、アスカトラ国王クロタール2世がチェスのルールを改変した時に作った駒だ。
 アストレイアの山岳エルフを味方につけたときは英明と讃えられた国王も、ファルギーズの敗戦以来すっかり意気消沈し、暇さえあればこの盤上の遊戯にうつつを抜かす有様だと聞く。

「確かに、向こうは盤の外からいくらでも駒を補充できるわけですからねえ」

 軽く溜息をつくカイルに向けて、ウィルは口を開いた。

「それなら、我々も駒を外から持ってくればいいのではありませんか?」
「それはどういう意味なのです、ウィル?」
「アスカトラの助力を仰いではどうか、ということです」

 コーデリアは目を丸くした。そんなことは考えてもみなかった、といった風情だ。

「白銀協定では、10年間カイザンラッドとアスカトラの兵が干戈を交えることを禁じています。アスカトラ兵をヘイルラントに駐屯させることができれば、白銀協定の期限まではカイザンラッドも手出しはできません」
「でも、アスカトラがわざわざこの地に兵を割いてくれるでしょうか」

 コーデリアの眼差しが不安げに揺れるが、ウィルは彼女を安心させるよう笑みを作った。

「ヘイザムの森エルフ達を説得したように、アスカトラも説得すればいいのです。このヘイルラントがカイザンラッドに取られれば、次はアスカトラが攻められると」

 声に自信を込めつつ、ウィルは正面からコーデリアを見つめた。

「アスカトラへ行くのですか?行くのはいいとして、誰を説得すればいいのか」
「まずはお隣のクロンダイト公にお願いしましょう。それでも駄目なら……」

 ウィルはチェス盤の外に置いてあった兵士(ボーン)の駒をつまみあげ、君主(ロード)の前に置いた。

「クロタール王を説き伏せればいいのです」

 さも当然のことのように言い放つと、ウィルは不敵に微笑んだ。
 
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