六時限目(終業)

文字数 1,821文字

「イマーゴの混乱、だ」

 声の主は、わかっている。
 今日の朝、聴いたばかりだから。
 それどころか、姿が見えている。
 スーツを着た刑事。
 GWP能力者対策課の、津島という男だ。
 こいつは、うっちーの顔になってない。
 津島は睨みをきかせながら、周囲を見渡している。
 おれの居場所がわからないらしい。
 おれが殴りはじめたのをきっかけに、そこら中で殴り合いの暴動が起き始めている。
 それでライブが中断されている、その只中で。



「フロイトによれば」

 津島が犯人に聞こえるように、声を上げる。
 遠くまで、届くように。

「イマーゴとは、個人を把握する際に、モデルとなるイメージのことを呼ぶ。それは、無意識的なイメージでもある」

 津島は上を向いて、吠える。

「聞いてるんだろう、犯人! おまえは想像界においてイマーゴが上手く発動できなかった。だから、他者と自分の間で身体が引き裂かれてしまってしまったんだ」
 津島はそう言うと、うっちーの顔をした観客ひとりひとりの顔を覗き込むように見ながら、歩き出す。
「ジャック・ラカンによれば、子供には、発育の段階でわけて、それは象徴界、想像界、現実界の三つに分類ができる。象徴界とは、イメージの世界。想像界とは言語の世界。そして、言葉によってもイメージによっても把握できない次元の現実界がある。この理論の中に、鏡像段階と呼ばれるものがある。幼少時、子供の自己の身体像には、母親、つまり外界との、その接触の媒介となる目、口、鼻、耳、手などの諸感覚イメージがバラバラの寄せ集めのままであるイメージしかない段階があるのだ。鏡像段階に入ると、鏡を見て、自分の全体像をそこに見いだすことになる。だが、鏡像段階において、子供は攻撃的になる。〈自他の境界がはっきりしない〉からだ。だから自分で他者を叩いておいて〈あいつがぶった〉と発言することがある。他者のイメージが自分のものになるのならば、反対に自分のイメージが他者のものになるからだ。他者のイメージを巡って他者との間で争い、〈おまえか、おれか〉を繰り返す」


 津島は立ち止まる。
 だがそこは、おれのいるところからは離れていた。

「自分のイマーゴを自分以外の者に取り上げられ、分断されたイメージが再来し、苦悩に襲われる。鏡の中の自分が他人の干渉によって統一性を失い、混乱する。いいか、よく聞け。GWP能力とは、『周囲の位相空間化』をする能力だ。自分のための、特別で自分勝手な〈場〉を妄想して、現実でつくりあげ、他人を引き込む能力だ。おまえは『追いかけてるアイドルの顔と自分自身の見境がつかなくなってしまった』んだよ。アイドルを愛し、大衆として顔のない想像を経て、それから〈アイドルから愛されている〉という妄想に耽って、それを現実に拡張させてしまったんだ」
 そこまで一気にしゃべり終えると、津島は息を吐き、一瞬、下を向いて、

「そこだ!」

 と叫ぶと同時に顔を上げてピストルの引き金を引いた。
 耳をつんざく発砲音がして、人間の頭が吹き飛んだ。
 だが、吹き飛んだ頭は、おれの頭じゃない。
 おれは笑いをこらえて、心の中で舌を出した。

「なーんちゃって」

 背後からおっさんの声。
 谷崎だ!
 おっさん刑事、谷崎の声が聞こえ、おれが振り向こうとするより速く、ピストルの弾丸がおれの脇腹にぶち込まれた。
 間髪おかずに、腕と足にも弾丸はぶち込まれる。
 おれは倒れた。
 谷崎がおれを見下ろしながら言う。

「他の奴らと違って、おまえの身体は分断したイメージのまま見えるんだよ。話、聞いてなかったのか。おまえの混乱がそのまま能力にも反映されてんのさ。ちなみに津島が撃ったのは気をそらすために、津島が自分の拡張妄想力で具現化させたマネキンだ」
「ガッ……グガガ……ッ」
 おれの視界がブラックアウトする。


   ☆☆☆


 スクリーンの中での出来事のようだった。全米が泣いた、みたいな。
 現実は残酷で。
 おれはGWP能力者だった。
 檻の中にいるおれは、GWP能力者を使った実験の被検体として、これから国連の収容所へ送られるそうだ。

 能力者であるおれは大衆なのか、特別な一人なのか。しかし、考えたところですでに、そんな問いは無効化される。

とにかく、地底人なのがバレなければいいのだが……。


〈了〉

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