第1話

文字数 2,227文字

「将来、なにになりたいの?」
と彼女に聞かれて即答したのが「作家」だった。

「ふうん」と彼女は言う。
「うん」と答えてみる。

自分の夢を語れば、たいてい傷つけられるものさ。
笑われる。否定される。
その人だけのリアクションであれば、問題ない。
厄介なのは、
『それはいけないよ、それはダメ』
と言い聞かせてくるタイプ。

彼女は黙っているので、おれのほうから、
「書きたいことがあるんだ」
と話し始めてみた。
笑われるなら、それでいい。
どんな言葉が返ってきたとしても、驚きはしない。
厄介なタイプだと判明した場合は、もう今日限りで距離を取ろう。

いずれにしても、おれにとって損はない。
と、思う。


「うん?」彼女が言う、「どんなことを書きたいの」
「え?」
「え? ってなに」
興味を持たれるとは思わなかった。
いや、興味を持たれたわけではないのかもしれない。
ただなんとなく質問してきただけで深い意味もいとも何もないのかもしれない。
だが、作家になりたいと言って、書きたいことがあると言って、そこから先に会話が続いたことがない。初めてのことだった。

「うん」と言ってみる。
「うん、て。書きたいことあるって、どういうことを書くの?」
「ものがたり」
「どんな」
「どんな...考えたことなかったな」
「考えたことないって。書く内容を?」
「いや。違う。こんなふうに会話が続いたことがないんだ」
「じゃあ、どんなふうに続いてたの?」
「作家になりたいと答えて、まともな会話が続いたためしがなくてさ」
「ああ。そういうこと」
「わかるのかい」
「ええ。わかるわ」
「そっか」
「そうよ」
「まさかとは思うけど、ひょっとして君も作家になりたいのかな」
「あたらずも遠からず、ってとこ。私がなりたいのは漫画家なの」
「そうなんだ」
「そうよ」
「そっか」
「ええ」
「なんだか不思議」
「そお?具体的にどのへんが」
「いままで会ったことないから。作家になりたい漫画家になりたい、とか」
「夢を語る人?」
「うん」
「あんまりいないよね」
「あんまりどころかぜんぜんいないよ」
「そうなんだ。私の周りには何人かいるよ」
「へえ」
「興味ある?」
「うん。親に反対されたり先生に怒られたりしていないのかい?」
「それはまた別の話。あくまでも本人が、なりたいっていう話」
「じゃあ」
「まあ私の場合、家族には内緒にしてるけどね」
「そうなんだ」
「うん。いちいち面倒なことに巻きこまれたくないのよ」
「面倒?」
「そ。親に反対されただの、応援してもらえてるだの、そういうの面倒」
「たしかに面倒だよね」
「だから言わないことにしてる」
「それが正解かもね」
「でしょ?」
「と言いつつ、おれは打ち明けてしまったくちだけどね」
「あら。どうだった?」
「どうもこうもめちゃくちゃさ」
「あら」
「言わなきゃよかった。後悔してるよ」
「わかるわあ。一度、言っちゃうと、もうダメよね?」
「その通り。絡んでくるんだよ。何も言っていないのにダメだとか」
「わかる、わかる、わかる。それそれそれ」
「夢のことなんて何も言っていないときでも、どうせおまえは!」
「って、なるわよね?」
「なるんだよね。どうしようもなくてさ。毎日怒られてるよ」
「そっか。自業自得とはいえ気の毒ね」
「ありがと」
「で。何を書きたいの?」
「うん。まあ」


おれと彼女は並木道を歩いていた。
春には早いが、この並木道の桜は満開。
何を書きたい。書きたいことは何。
いつも自問自答していることだ。
けれども、このときはなぜか慎重になった。
言っていいのか。
言わないほうがいいんじゃないのか。
困惑しているうちに時間が過ぎ去っていくのを感じる。
話題を逸らすタイミングも逃した。
風が吹く。
「まだ冷たいね」と彼女が言う。
「うん」
「何を書きたいの?」
「おれ、間違ってるのかな」
「え?」
「おれ間違ってるのかな。自分では正しいと思ってるんだけど」
「と、いうことを書く?」
「うん」
「へえ」
「中学受験の時のことをね」
「へえ」彼女の声が少し変わった。と感じた。
「いろいろ思ったこと考えたこと、気づいたこと。全部、書きたい」
「へえ。私も中学受験したくちだけど。へえ」
「書いたら読んでくれるかい」
「もちろん!いいの?」
「経験の意見を聞きたいし」
「まともな意見は言えないと思うよ」
「反応でいいんだ」
「それならもうまかせてよ」
「うん」
「楽しみ。なんかそう、うん。楽しみ」
「きみの漫画は見せてもらえるのかい?」
「かまわないわよ。でも普段は持ち歩いていないから、いつかってことで」
「うん」
「ねえ。まだまだ先のことになっちゃうんだけどさ?」
「なに?」
「よかったらその小説とかネタにさせてもらえたりする?」
「マンガにするの?」
「うーん。そうなんだけど違うかな。ネタというかキャラクターというか参考に」
「かまわないよ」おれは答えた「よくわからないけど、役に立つなら」
「うれしい。たすかる。私さ、男の子のこと、よくわかんなくて」
「マンガを描くうえで、ってことかな」
「理想はあるんだけど、妄想もできるだけど、等身大っていうか」
「うん?」
「正直どんなふうに思ってるのかとか」
「おれで良ければどうぞ」
「やった!」
「そんなに?」
「ええ!」


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