立ち向かう力

エピソード文字数 5,248文字

 王に呼ばれて出向いたのは、これまでにも何度か使った会議の間だった。
 謁見殿の一画に造られた部屋は、二十人ほどが着席できるよう、段差をつけた半円状の長椅子が設えられ、向かい合う奥の壁際には玉座が据えられている。三層の壇上にある玉座の足元には、議長の椅子が置かれていた。

 今はアルハーシュ王が玉座につき、長椅子の前列中央付近に三人の長官がそれぞれ秘書官を連れて、適当な間隔を空けて座っていた。誰の顔も一様に険しい。シェイダールは予感が当たったかと気を引き締める。同時に王が振り向き、いつもの温かい微笑を見せた。

「来たか、シェイダール」
「遅参、まことに申し訳ございません」
「さしたる遅れではない、鍛錬に励んでいたのであろう? 後ほど成果を聞かせてもらおう。楽しみが控えていると思えば、難しい議題にも辛抱がなるというものだ」
 王はおどけて言いつつ、手振りで着席を促す。シェイダールが腰を下ろすと、王は真顔になって切り出した。
「では始めよう。先般、水利長官が北部視察を終えてもたらした報告については、各長官に伝えた通りだ。調べを進めるよう命じておいたが、各々の結論を聞かせてもらいたい。しかる後に対策を立てよう。まずはラウタシュ、改めて今一度、視察の結果を」

 指名を受けてラウタシュが起立、一礼する。彼は常から険しい顔つきに陰鬱さを加え、重々しく口を開いた。
「誉れある王、ならびに諸長官、世嗣殿にご報告申し上げる。北部一帯の水路や河川について視察の結果、今年は水不足になる可能性が高いと判断された。この時期にしては水位水量ともに前年を下回り、充分な雪解け水が届いておらぬ様子。過去の記録に鑑み、これより数年は旱が続くでありましょう」

 告げられた内容に、シェイダールはぎょっとなって息を飲んだ。父が殺された年、その前後数年の気候がすぐさま脳裏に浮かぶ。赤い叫びが瞬いた。
 彼が絶望に凍り付いている間に、各長官がそれぞれの管轄における数字を比較検討し、現状と未来の予測を述べてゆく。様々な情報を総合して、やはり旱魃の傾向は明らかであるとの結論に達した。不穏な予測を確認し、アルハーシュ王はため息をつく。だが何もせずただ嘆いてはいられない。すぐに彼は声に力を込めて言った。

「既にドゥスガル大使のもとへ使いをやった。近日中に穀類の緊急輸入について条件の見直しと確認を行うゆえ、リヒト、準備をぬかりなく整えよ」
「御意、承りました」
「ラウタシュ。揚水機の建造計画を前倒しにできぬか。候補地は今回の視察で選定したのであろう。ハディシュと共に土地の整備を急ぎ進めよ」
「畏れながら、そちらはむしろ後回しにすべきではないかと存じます。揚水機の建造は充分に時間をかけて綿密に調査せねば、他の水源を涸らす恐れがございます。むろん既存の水路を見直し、より効率的に配水し損失を少なくする改修工事は進めて参りますが」

 揚水機が戦力にならず、シェイダールは悔しさから反感を抱いたが、堪えて理性で水利長官の論を認めた。各地で使われている灌漑水路は古代の遺産だ。山岳地帯から地下水を導く大規模なもので、どうやって開鑿されたのか今ではもうわからない。性急かつ場当たり的に揚水機を建造して水路を駄目にしてしまったら、取り返しはつかないのだ。
(だからって今ある水路だけでは、賄いきれない)
 シェイダールは眉間を押さえて唸る。そこへ王が呼びかけた。

「何か他に打つべき手を考えられるか、シェイダールよ」
「……少し待ってください」
 さすがに即答できず、シェイダールはうつむいた。ゆっくり深く呼吸し、己の内を意識する。白、赤、緑……ひとつひとつ標を辿って降りてゆく。青、黄、紫……一段ごとに両手で触れて確かめ、遠いささやきに耳を澄ませて。
(旱……水、雨……いや、そっちじゃない)
 チリリ、リ……ン
 知識を探す手掛かりを心に浮かべるが、音色は遠く小さく、反応が芳しくない。探す方向が間違っているのだ。こだわりを捨てて意識を自由に遊ばせる。途端に星がきらめき、標のひとつを打ち鳴らした。

「種子を」
 ぱっと顔を上げると同時に声が飛び出す。危うく《詞》を使いそうになり、シェイダールは咳払いすると、路の残響を静めてから言い直した。
「籾や種に術を込めて、少ない水でも枯れにくくできそうです。今すぐ始めたら、この秋に蒔く麦には間に合うでしょう。全部は無理にしても、一部は。それで余裕ができたら、春に植える他の作物にも広げていけます。大掛かりな工事も必要ない」

 素晴らしい解決策が見えたとばかり、意気込んでまくし立てる。だがそこまで言って、彼は自分に向けられた複雑なまなざしに気付き、当惑して口をつぐんだ。
 三人の長官はいずれも落ち着かない様子で、あるいは胸を押さえ、あるいは顔を背けている。王が微苦笑をこぼし、玉座の肘掛を軽く叩いた。

「さても頼もしきことよな。そなたは既に『王の力』を使いこなしておるわけだ。代々の王が直観を頼りに苦心して掬い上げた知恵を、そなたは自ら探し求め的確に引き出した。余の内なる標もひとつ、震えておる。そなたの申した手法、確かに可能であろう」

 言われてやっとシェイダールは、己が何をしたのか自覚した。長官らの態度がおかしいのも、内なる路が共鳴したためだろう。今までならばその感覚は、唯一、王によってのみ与えられるものであった。だがこれからは違うのだ。彼は声を弾ませた。

「他にも同じ標を読み解ける者がいれば、作業を手伝ってもらえるでしょう。間に合わせて見せます、やらせてください」

 既に『王の力』は王だけのものではない。皆で取り組めば、良い方法も見付かるし作業も進む。どうだ、これぞウルヴェーユを広く知らしめる意義だ、と一同を見回した。が、やはり反応は鈍い。彼が眉を寄せると同時に、リヒトが吐息を漏らした。

「ふむ。なんとも……落ち着かぬものですな、アルハーシュ様。王ならぬ者が王のごとき力を振るい、我らの魂を揺さぶる。理屈としては、路と標の何たるかを承知しておりますが。ともあれ、王のご決断やいかに?」
「むろん、すぐにも取り組ませよう。リヒト、必要な種籾を用意してやるが良い。ハディシュ、都の近郊で試験的に栽培する圃場を選定せよ」

 話が進むにれ、シェイダールは戸惑いを深めた。どうも王は、小規模な実験を想定しているようだ。誤解を正すべきかと口を開きかけたところで、ラウタシュが水を差した。

「それよりもまず、供物と祈祷の準備でしょうな」
「何を言って……」
 思わずシェイダールは呆れ声を上げたが、王に手振りで制され、ぐっ、と抗議を飲み込む。不満もあらわな世嗣の前で、王はラウタシュに向かってうなずいた。
「うむ。旱を弱め水を呼ぶ祭儀を執り行うよう、祭司長に使いを遣る。そなたはとりわけ早くに水が涸れそうな土地から改修を急がせよ」
「御下命、承りましてございます」

 置き去りを食ったシェイダールは呆然とした。なぜ王までが儀式などに頼るのだ。ウルヴェーユによる耐乾性の付与に賛成していながら、それをまともに活用しようとせずに。混乱する彼に、アルハーシュが不意にひたと厳しいまなざしを据えた。

「シェイダール。屈辱を堪え、祭司長に頭を下げよ。余と共に儀式を執り行い、神々の情けを乞うのだ」
「な……っ!?
「さもなくば、民は旱をそなたの罪とするぞ。父と同じ目に遭いたいか」
 痛烈な一言が胸を刺した。シェイダールは喘ぎ、喉元を押さえて叫びを飲み込む。
 ――神様がいるとかいないとか、どうでもいいのよ!
 ヴィルメの叫びがこだまし、彼はぎゅっと目を瞑った。そうだ、どうでもいいのだ、大勢の民にとっては。災害を誰かのせいにして、憎しみと不安と苦しみを全部その者に押し付けたい、ただそれだけ。
(そんな愚かさを終わりにしたくて、俺はここまで来たのに。結局、膝を屈するのか)
 砕けそうなほどに歯を食いしばる。

「冗談じゃない」
 抑制した怒りがこぼれる。彼は決然と顔を上げ、挑むように声を張り上げた。
「それで良いのですか。アルハーシュ様、それに御三方も! 神々など関係なく、今までにも繰り返されてきた自然の変動だと、その目で確かめ記録を調べて結論を出されているのに、それを『神の機嫌を損ねたから』なんていう愚にもつかない理由で片付けられて! あなた方の理知と努力をすべて無視されるのを、黙って見過ごされるのか!」

 激しい言葉を叩きつけられ、王と長官らが驚きをあらわにする。反発は予想しても、こんな風に論を持っていかれるとは思わなかったのだろう。その隙にシェイダールは、大きく槌を振り上げて楔を打ち込んだ。

「俺はごめんだ! 神を信じようが信じまいが、人は本来、理性で現実を理解できるはずだ。不安や無知で目に覆いをされていなければ、取るべき行動が見えるはずなんだ!」

 しばし、沈黙が場を支配した。シェイダールは拳を握り締め、一人一人を順にじっと凝視する。最後に王を見つめ、目をそらさぬまま力強く語りかけた。
「戦いましょう、アルハーシュ様。人間を苦しめる試練に正面から立ち向かい、勝ちましょう。身を屈めて心をごまかし、人が死ぬのも諦めたふりをして、悪魔になぞらえた災害が通り過ぎるのを待つのはやめるんです。今の我々には武器がある。相手は強大ですが、無慈悲な一撃を受け止めて逸らすだけの盾がある。あなた方が、歴代の王や長官が、これまでずっと蓄えてきた知識、倦むことなく維持し改良してきた技がある!」

 敢えてウルヴェーユを持ち出さず、長官らが手がけてきた仕事を、自分たちの武器だと言う。その主張は確実に彼らの心を動かした。シェイダールはしばし口を閉ざし、一同の表情が変わってゆくのを確かめてから、今度はややうつむいて、低い声で告げた。

「必要とあらば、頭を下げて神に祈りましょう。でもそれは、他に打つ手がないからじゃない。神殿に気象を変える力があるからでもない。戦うための時間稼ぎになるからです」

 ――あなたにとっては祭儀なんてどうでもいいんでしょう……
(ああ、どうでもいいさ。そうとも、上辺だけ祈る真似をするぐらい、何でもない)
 ――神は在る。神は在らぬ。どちらも等しく成り立つのではないかと……
(人間の都合で救いや罰を与える神など在りはしない。だが一人一人が心に神を持つのなら、それを認め力を与えるのは、人を励まし支えることと変わらない。ならば)

「人が皆、戦う力を奮い起こせるように。自らの持てる力と知識を、頼もしい武具だと信じて前へ進めるように」
 そしていつか来し方を振り返った時、もはや迷信の杖などとうに打ち捨て、己が力で歩みを進めてきたのだと気付く、その日を目指して。

 シェイダールの強い願いが通じたのか、アルハーシュが瞑目し、そっと息を吐いた。三人の長官もそれぞれ思わしげに目を伏せ、沈黙する。書記官や従者らは完全に心を奪われたように、若い世嗣を見つめていた。

 長い沈黙の末に、王が決定を下した。
「良かろう。水乞いの祭儀は執り行う。だが同時に、水路の改修工事や、ウルヴェーユによる試みをも大々的に知らしめよう。我々には祈る以外の手立てがあること、そしてその成果を、祭儀よりも強く印象付けるのだ」
 シェイダールが破顔し、土地管理長官と財務長官も姿勢を正して拝命の礼をする。ラウタシュ一人が最後まで渋った。
「祭司長は神殿に対する挑戦であるとみなすでしょうな」
「事実そうではないか」
 くっ、とアルハーシュ王は笑い、楽しげに続けた。
「だが表向き和解を演出するために、傲岸不遜の悪名高い世嗣が折れて頭を下げると申しておるのだ。おかげで水利長官の功労が知れ渡るのだから、悪い話ではあるまい」
 揶揄されて、シェイダールとラウタシュ双方共に苦い顔をする。王は朗らかな笑声を上げ、活力の宿る目を世嗣に向けた。
「そなたはすぐにウルヴェーユに取り組め。上手くいけば近郊のみならず、広い範囲に種籾を配布させよう。そなたの故郷に届けて、母親や知己の命を救うことも叶うであろう」

 さりげなく添えられた一言に、シェイダールははっとなった。神殿がどうの民がどうのと大きな話に目を奪われていたが、水不足で飢饉になれば、故郷の村でまた何人もが死ぬのだ。それは顔見知りの誰かか、あるいは母ナラヤかもしれない。
(そうだった。俺は……もう誰も死なせないと決めたじゃないか。馬鹿げた生贄の儀式をやめさせるってだけじゃない。そんな儀式をしなきゃならない状況そのものを、打開しなきゃならないんだ)
 ぐっと顎を引き、決意を新たにする。彼の表情が改まったのを見て取り、王もまた強い意志を込めてうなずいたのだった。

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