ニホンアマガエル

文字数 3,953文字


「はい、これ。あきらくんの分ね。発表会までに、好きな色とか模様でかざってきてね」

保育士がやってきて、正方形の紙を差し出した。

その手にあった色紙(カラーペーパー)を見ても、あきらの表情は冴えなかった。

じっと見つめること5秒。ようやく先生から色紙を受け取った。

あきらに渡されたカラーペーパーは、単色の黄緑色。薄くて1枚の何の変哲もない紙片だった。

寝汗で濡れたシャツを着替える為、あきらはいちど色紙をフローリングの床に置いた。

新しい上着を懸命に引っ張って、袖口から大きな頭をずり出した。ズボンをたくし上げ、シャツを中に入れる。

着替え終えたあきらは、木の床にペタンと座り込んで、カラーペーパーと睨めっこをしていた。

やがて緑の紙に手を伸ばし、つまみ上げる。両手で持ち替え、お腹の高さにかかげた。

「でろ」

あきらは無感情に言った。

言葉をうけて、緑の紙の表面がフワリと波立った。中央で起こった小さな波紋が四角い紙の全体に広がっていき、端まで染み伝わって、消えた。

やがて間をあけて、中央に光の粒子(パーティクル)が浮かび上がった。最初は1つ、次に2つと増えていき、やがては数えられなくなる。クルクルと星たちが渦を作り始めて、最後にピカッと光った。

光はあきらの瞳に反射したが、彼の表情に驚きとか感動の兆しはなかった。

粒子が何かを形作っていく。それが完成に近づくにつれ、明るかった光は徐々に消え失せた。

先ほどまで何もなかったカラーペーパーの中央に、黄緑色の生き物の姿が、浮かび上がっていた。

『ケロケロ』

それ(・・)がけたたましく、鳴いた。

あきらはうんざりとした様子で、その――生きていない――生き物を見て、ため息を漏らした。

『カラーペーパーの世界へようこそ。この映像および音声素材は、子供の未来を創造するマデル社がお届けします』

生き物の映像が水平にゆっくりと回り出す。あわせて女性の声で生態の解説が始まった。

『ニホンアマガエル。20XX年に絶滅。大きさは2センチから4センチぐらい。オスよりもメスのほうが大きく…』

「すきっぷ」

ぶっきらぼうなあきらの声で、女性の声が消えた。ゆっくりと回っていたカエルの映像が、背を向けて止まった。

なんせあきらはその解説を聞き飽きていた――内容を覚えてしまう程に。

その時、不愉快そうな声が聞こえた。

『おい、いつも言うことだけどな。《かいせつ》はちゃんと最後まで聞けよ』

それはカラーペーパーの中央に浮いている、映像のカエルが喋りかけてくる声だった。

『まったく、あいかわらず、俺の言うことを、聞いていないんだな』

あきらに背中を向けていたカエルは、懸命に手と足を動かして、自分の位置を修正した。3度目の水平回転でようやく正面を向き、あきらと顔を向き合わせた。

「なんだよ、またおまえか」

せっかく視線を合わせたカエルの苦労も顧みず、あきらはそっぽを向いた。

「もういい、お前とは、しゃべりたくない」

『つれない事を言うなよ、《ぼっちゃん》』

「ぼっちゃんって呼ぶの、やめろよ! みんなにからかわれるんだから」

『へぇ。じゃあ、ヒナちゃんみたいに、《あきらくん》って呼べばいいのかい?』

カエルは皮肉たっぷりに言って、ケロケロと笑った。アマガエル特有の目の横の縞模様が、ピクピクと動いた。

「うるさい!」

あきらはかっとなって、このたちの悪いカエルの映像を睨みつけた。

けれどイライラとする気持ちは全然、おさまらなかった。

マコさんがいけないんだ! あきらはこの前も、保育士の先生にお願いしたばかりだった。


「マコさん! ぼくの【ぴーえー】のきおく、はやくキレイにしてよ!」

「あー、あきらくんのね…え、えーと、ちょっと待ってね…説明書…説明書…えーっと、ここの所を押して…」

保育士の喋りと手つきが、どんどん怪しくなる。あきらの目が疑いの光を帯びていく。


ここ近年の教育玩具のほとんどは、標準でPA(パーソナライズド・アシスタント)機能に対応していた。

子供は一般的に、気に入ったおもちゃを見つけると、より長い時間かけて遊ぶ傾向がある。

そして男の子も女の子も、個人ごとに独自の遊び方を発見したり、自分とおもちゃだけの会話を楽しんだりするものだ。

ひとりの時間が長い保育園の子らにとっては、特にその傾向が強くあった。

この「個人の遊びの記憶」の方が、玩具自体の機能より大事だというのが、今の教育玩具業界の通説になっていた。

それを実現するのが、PAの役割になっていた。

玩具が子供と会話できるのは当然の事だが、PAがあれば、その遊びの記憶――会話や映像――は蓄積され、買い替えた場合でも、次のおもちゃの知能に、記憶を引き継ぐ事ができた。
(だから新しいおもちゃを買ってきても、子供は寂しい思いをせず、両親はほっとし、玩具業界も売上への貢献を喜ぶのだ)

けれど、あきらにとっては、そんな便利な機能が、邪魔で仕方がなかった。


マコ先生とのやり取りの結末は、いつも決まっている。

「…あ、電話! ごめーん、あきらくん、後でやっておくから!」

前回、そんな約束が交わされてから、もう1週間は経っている。

おかげで、彼が遊ぶどの玩具にも、この憎たらしく、皮肉好きなAIとのやり取りが付きまとった。

特に今日は、マコ先生が休みだったので、あきらは文句も言えなかった。

「きょうもカエル? どうせ緑色なら、たまにはカマキリとか出してみろよ」

あきらは精一杯作った、いやそうな声で言った。

『そいつは、無理だね』

アマガエルはぴしゃりと言った。

『説明ファイルに書いてあるだろ。カラーペーパーは、使う子供と紙の色の組み合わせで、出てくる生き物が決まるんだ。そんなに見たければ、違う色を選べよ。金とか銀はオススメだぜ』

「ふん」

あきらはチラリと部屋の中央を見て、それから鼻を鳴らした。

それと同じぐらいのタイミングで、部屋の中央の方から、子供たちの歓声が上がった。

「クワガタだ!」

「カッコいい!」

「ひろくん、すごい!」

聞こえるのは、称賛の声ばかり。

ひろくんと呼ばれた背の高い男の子は、得意げだった。その手には、金色に輝くカラーペーパーを持っている。

彼はサービス精神を発揮して、両手をあげて、映し出された映像を仲間の園児たちに見せていた。

金色の紙の上には、かつて南の国に生息していた、金色に輝く美しい、クワガタの映像が映し出されていた。

『オウゴンオニクワガタ。20XX年に地球上より絶滅』

そして、さらにもうひと歓声が、すぐ隣りであがった。

「大きい! それにキレイなトンボ!」

「タカくん! みんなに見せて」

力の強そうな肩幅の広い男の子が、同じく銀色の紙を頭上に掲げていた。

紙の上に浮かんでいるトンボは、ひときわ立派な体を持ち、尾の付け根あたりに、美しい水色の筋が入っていた。

『ヤンマの仲間、ギンヤンマ。20XX年に絶滅種に指定』

クラスの大半の子供が集まるなか、あきらはぽつんとひとり、ロッカーのそばに座り込んで、その様子を表情無く見つめていた。

『あーあ、だから言ったのに。今回もあいつらに、いい色を取られちまった』

アマガエルの冷やかしに、あきらは特に応戦しようとしなかった。

拍子抜けしたカエルは、四本の指のついた右の前足で、自分の目の回りを拭き始めた。

園児とカエルのAIは気づかなかった。その彼らの背後から、昼寝の時に声をかけた子が、ゆっくりと近づいてきた。

同じたいよう組の女の子、ヒナだった。

「わあ、あきらくんのアマガエル、かわいいね」

ヒナの褒める声は、あきらの肩の後ろから、覗き込むように届いた。

カラーペーパーに表示された緑のカエルを見た少女は、心底羨ましそうにしていた。

あきらはヒナをちらりと見たが、答えようとしない。

代わりに彼のカエルが、照れたように言った。

『へへ、ありがとう。ひなちゃんは、何をもらったんだい?』

「ヒナはお花。オシロイバナ、だって」

嬉しそうに笑い、手もとのカラーペーパーを開いて、2人に見せた。

緑の葉に、ラッパのような形をした花びらを持つ植物が、その場に回っていた。

『へぇ、赤色の紙に花か。女の子らしくて、いいね。そうだろ、あきらくん(・・・・・)

「…ああ、そうだね」

カエルにうながされて、あきらは渋々、返事をした。

そんな浮かない様子の友達を見て、ヒナは何か言いたげな素振りを見せた。

いったん止めて、少し考えてから、再度口を開く。

「ヒナ、ほんとうは、金とか銀の紙が欲しいの。なのに、いつもあの子たち2人が、先に取っちゃうでしょう?」

少女は腕を組んで、怒ったポーズを取った。

「だからこんど先生に言おうと思ってるの。私たちにも、ちょうだいって。もしもらえたら、あきらくんにもあげるね」

その台詞は、あきらの気持ちを考えたもので、早熟な女の子が考えた、お姉さんらしい優しさだった。

けれど残念なことに、あきらには真意が通じていなかった。

「いらないよ。僕はあんな色の紙に、興味ないんだから」

あきらは自分の色紙もそのままにして、そこから立ち去っていった。

残されたヒナは、とても悲しそうな顔をしていた。

『馬鹿だな、本当は欲しいくせに…頑固なやつ』

主人に聞こえないよう、ぼそりとつぶやいた後、カエルは喉を膨らませ、コロロと鳴らした。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み