その3 悲劇を呼ぶワキガ

文字数 3,530文字

 アパートの住人のそれぞれの玄関先に、おかしな落書きが描かれた。
 その落書きは、部屋に住んでいる住人を象徴するようなものであった。
 落書きを発見してからしばらくして、住人たちが謎の死を遂げた。

 203号室  金曜日に焼き肉を食べる、弐区月金太郎 (29)。
 落書きは、「Fri 夕 ブタ 」。

 102号室  (推測だが)パンツが散らばる汚部屋の、有馬芽衣(24)。
 落書きは、パンティー印。

 いずれも殺害後、玄関先の落書きに、大きくバツ印が付けられていた。

 ……。

 警察がきて、ひととおりの尋問を受け解放された我々は、面白い番組が終わり、全然面白くなくなったテレビをつけっ放しにして、無言で飲みかけのビールを眺めた。

 亡くなった有馬芽衣の彼氏は、鼻をたらして泣きながら、未だ警察につかまって根掘り葉掘り聞きほじられていた。
 「ほんとに俺知らないです。芽衣の部屋に来るのは今日が初めてで、外で軽く飯食ってから泊まることになってたんですよ。これから外食に行くのに迎えにきたら、カギがあいてて――入ったら、そしたら芽衣が」
 後頭部を殴られて、亡くなっていた、と。
 探るような目の、ヤセと太の警官二名に囲まれ、彼氏は当分うちに帰してもらえそうもない。

 「大変なことになりましたね」
 青ざめた顔で、ワキガ氏は言った。
 「本当に……一体だれがこんなことを」
 わたしと友人は顔を見合わせた。
 こんな安普請、変事があれば物音ですぐ分かるはずなのに、二件の殺人の二件とも、誰も気づかなかった。
 立て続けに、二件の殺人が発生したアパートに住み続けるというのも、なかなか気味が悪いものである。

**

 今、この安アパートに住んでいるのは、201号室のワキガのおやじ、脇香誠一郎(38)と、103号室のわたしの、たった二名になった。

 「で、どっちが犯人なんだ」
 突然、友人がとち狂ったことを言った。
 血走った目で飲みかけのビール缶を睨んでいたが、にゅっと手を伸ばしてそれを取り上げ、ぐびぐびと煽る。
 「わたしではないし、ワキガさんだって、動機がないじゃないか」
 溜息をついてわたしは言った。

 変に名探偵ぶりやがって、この。
 友人は親指を顎に当てたりして、さりげなくポーズを取りながら酒を煽っている。その寝ぼけた頭の中で、独創的な推理を組み立てているというわけだろう。

 「パンツ女子が亡くなった時は、うちら二人で酒飲みながらテレビ見てたろ……」

 友人は答えずに、ぶつぶつと口の中で呟き続けている。

 豚肉を喰ってるような奴が、突然国産牛を喰い散らかしたものだから、妬ましさのあまり殺された。
 可愛らしい若いOLが彼氏を連れてくるというので嫉妬に狂って殺した。
 いやまて違うか、OLが部屋に散らばったパンツを突然片づけてしまったものだから、目の保養がなくなった腹立ちのあまりに、殺した、と……。

 「行くぞ」
 いきなり立ち上がる友人。
 握りしめた缶からビールが吹きこぼれ、わたしはティッシュで拭くはめになる。
 そのまま戦車のような勢いで部屋の外に出る。

 パトカーやら、報道車やら、てんやわんやの状況の駐車場を横切り、髪の毛を振りみだして走る彼女は、まさに「逃亡する犯人」。たちまち件の刑事二人が走ってきて、我々の前に立ちふさがった。

 「まあ、こういう物騒な事件が起きましたしね、今夜はうちで静かにしておられるのが良いかと思いますよ」
 やんわり言われるが、わが友人は屈しなかった。
 「ゴミステーションですよ、調べましたか」
 は、と刑事が聞き返すので、友人は早口でまくしたてたのだった。
 「あのOL女子、彼氏が来る前に、部屋の中をすごい勢いで掃除して、大量のごみがつまったゴミ袋をいくつもステーションに運んでました。その中に、大量のパンツが詰め込まれているのではないかと思って」

 使用済みの、おパンティーですよっ。
 まくしたてる友人に対し、刑事二人は鋭い眼光を向けている。
 「まだ分からないのですかっ」
 友人は人差し指を刑事に着きつける。
 おいやめろ、と、わたしは引き留めたが、気分はエルキュール・ポアロの友人の口は止まらなかった。
 「玄関の落書きが、二件の殺人の二件とも、バツ印で消されているじゃないですか。豚肉喰いが国産牛を喰ったから殺されて、部屋中パンツだった奴が急にそうじしたから殺されたんですよ」
 で、と太った刑事がギラギラした目で促した。勢いに乗り友人は言いやがる。
 「だがわたしたちは、OL女子の部屋が果たして本当にパンツまみれの汚部屋だったか実際に見たわけではない。だから、ゴミステーションに行き、ゴミの中身を拝見しようかと」

 我々が、やります。
 きっぱりとはねつけられ、友人は強制的に部屋に戻される。
 背中を押されるようにして歩く友人。その後を、はらはらしながらわたしが追った。

 「……牛肉に、部屋の掃除か」
 ぼそりと背後で太いほうの刑事が呟くのが聞こえた。
 振り向くと、しきりに首を捻っていた。
 刑事にも謎なんだから、友人なんかに分かるわけがないんだ。


 よせばいいのに友人は台所の小窓からしじゅう外を眺め続けた。
 疲れ切っていたわたしは友人を放置し、布団にもぐって寝てしまった。翌日は、トイレの水回りを直しに業者が来るんだから、だらだらしていられないんだよ。
 外が騒がしいのと、死体を目の当たりにしたせいで、眠りは浅くて苦しいものだった。
 まだ十分に眠りを堪能しないうちに、激しく揺さぶられ、わたしは目を開ける。
 ……朝になっていた。
 昨晩よりいっそう目が血走った友人が、わたしの上に乗っかって息を切らしていた。

 「警察が、パンツのつまったゴミ袋を押収していったぞ、おい」

 酒臭い息だ。
 寝ていないし、あれからまた飲んだのだから、抜けていないのだろう。
 いい加減にしてくれと言いたいのをこらえながら、わたしは身を起こす。
 友人は、寝もしなかった布団の上で胡坐をかき、わたしの顔をまじまじと見つめていた。
 穴があくじゃねえか。

 「おどろいたな。パンツを目隠しもせず、ゴミ袋にそのまま放り込んで捨てたってのか」
 わたしは呟いた。
 可愛い容姿で、実はかなりがさつだったということだろう。
 「やっぱり、OL女子の部屋はパンツまみれの汚部屋だったんだ」
 友人は酒臭い息で言った。

 「……要するに犯人は、アパートの住人にレッテルを貼っており、そのレッテルどおりじゃなくなると、許せなくなるらしい」

 203号室の男は、一生、金曜日は豚肉を喰っていなくてはならなかった。
 101号室のOLは、一生、パンツにまみれた生活をしていなくてはならなかった。

 ……。

 そんなアホな殺人があるもんか。

 「じゃあ、何か。今日、業者がきてこの部屋のトイレが直ったら、次はわたしが殺されるって」
 「そのとおり」
 「アホかー」

 何でもいいから、今日はうちに泊りな。
 友人はきっぱり言うと、いきなりスポーツバッグに雑多なものを詰め込み始めた。
 わたしはタンスから自分のパンツやらブラやら着替えが取り出され、くちゃくちゃに詰められてゆくのを茫然と眺めていた。
 確かに、この状況でこの部屋に一人でいるのは薄気味が悪い。……が。

 「あんたの推理には裏付けがないよ。あの変な落書きにそぐわない事をしたら殺されるなんて、まだ分からないじゃない」

 友人はぴたりと動きを止めた。
 息が詰まるような静寂が流れ、唐突に友人はまた動き始める。
 わたしのノートPCを開き、立ち上げ、何かしているようだ。
 「Amazonで今頼んだら、最短で明日届くから……」
 ぶつぶつ言っている。
 人のパソコンで何をしてるんだよ、と覗き込むと、友人はネットショッピングをしていた。
 「……これで、よし、と」
 作業を終え、わたしを振り仰ぐと、相変わらず血走った眼でにたりと笑う。

 「わたしの推理が正しいかどうか、はっきりさせようじゃないか」

 わたしは友人の手元を覗き込む。
 別のタグでGmailを使っており、まさに今、Amazonから確認メールが届いたところだった。
 友人はそのメールを開き、内容を確認し、満足そうにうなずいていた。

 なにを、考えているんだ。

 わたしは開いた口がふさがらなくなった。
 友人が頼んだもの。
 それは、超強烈なネット限定の、ワキガジェルだったのである。
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