第18話

文字数 1,194文字

「ドロシーが部屋を出ると、心配になったのか二人もついて来た。

 ここ数日、階段を上り下りすると必ず、あの首をつかまれそうになった感触が蘇る。ドロシーは首回りを手でさすりながら、そのときはもうしっかりとした足取りで、下へとおりていった。

 二つ目の踊り場を通り過ぎようとしたとき、壁にかかった一枚の絵が目にとまった。

 誰かの肩でもぶつかったのか、それが心持ち斜めになっている気がしたんだ。
 ドロシーが絵をまっすぐに直していると、追いついたミカエルが声をかけた。

『僕のお爺さんだよ』
『えっ』初めて知らされた事実に、ドロシーは驚きの声を漏らした。

 若々しい男性が、何だろう、小さな蓄音器のような物に向かって、何かをささやいている構図。
 もちろんここを通るたびに、ドロシーも何度も目にしてきたはずだった。しかし、あまりにも古ぼけたその絵に気を取られたことなど、これまで一度もなかった。

『この絵に描かれた男の人、ミカエルのお爺さんだったの』
 やがて同じように意外そうな顔をしたノーラも加わると、ミカエルが得意げに話しだした。

『そうさ。ちょうど僕が生まれる頃に亡くなってしまったんだけどね。このレストランを創設したとき、記念に絵師さんに描いてもらったんだそうだよ』

『これは何をしてるところなの』ドロシーが率直な疑問を口にした。
『変てこな道具でね、店の前で誰かと話をしてるらしい。ある日、お客さんとして来た魔女がプレゼントしてくれたんだって』
『ふうん』
『でももう壊れてしまったみたいで、店のどこかにまだあるらしいけど、それがどこかは僕も知らない』」

 ここで若月は一旦話を切り、聞き手三人の顔を順番に眺めた。それぞれが話の荒唐無稽(こうとうむけい)ぶりに戸惑っているのを、探偵は心底楽しんでいるようだった。

「これだけははっきりさせておくがね、今言った『魔女』はもうこの先出てくることはない。言い換えれば、話の筋とは無関係ということだ」

 だったら何故そんなものを登場させたのか、と田切は聞きたくなった。そして他の二人も明らかに同じことを考えているらしかった。
 統一された疑問をよそに、探偵はそれまでと変わらない優雅な口ぶりで再開した。

「『それにしても』今度はノーラが言った。『ドロシーを捕まえようとした犯人は、どこへ行ったのかしら。おかみさんの部屋の鍵もかかっていたし、あの日私が起こしたお客さんも、何も見なかったと言っていたのよ』

『階段室には僕ら以外、誰も出入りしなかった』ミカエルが尋ねるように言う。

『ええ。寝ていたお客さんは、ミカエルもドロシーも知ってるでしょうけど、常連さんでしょ。昨日、おかみさんと二人で聞いてみたけれど、あの日階段室から出てきた怪しい人物なんてなかった、って』

『ふうん』ミカエルが、先ほどのドロシーのような声を出した。

 冷たい水に溶け残る塩のような疑問を残して、三人はまたその日の仕事に戻っていった」
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