TWO

文字数 6,167文字

「ひどいよ、お兄ちゃん。私まで何で出かけないといけないの?」
 外は春とは言え、とても寒かった。先日暖かい日があったので、冬物はもうしまっていたので、春物のGジャンを羽織ってきたが、後悔した。
 お母さんには「二人して泊りがけで勉強を見てもらいに行く」と言って家を出た。私も行くということで少し心配はしていたが、お兄ちゃんがそこを説得した。いい迷惑だ。
「人手が必要らしい。あと、女の子もいた方がいいって」
「いかがわしいことじゃないよね?」
 疑わしげに見ると、鼻で笑われた。
「はっ! お前みたいなの、先輩が相手にするわけねぇし」
「うるさい」
 二人とも無言になった。雨が傘に落ちる音がやけに耳につく。街灯で光る雨のラインが、桜の花弁に刺さっていくのが印象的だった。
 結局お兄ちゃんから何も聞きだせないまま、待ち合わせ場所である小学校前に着いた。そこには二人の男女がいた。
「あれ? 修?」
「なんだ、お前らも来てたのか」
 いつの間にか、私達は二人に挟まれていた。
「この子は?」
 セミロングの茶色い髪が可愛くくるっとなっている、華やかな感じの女の子が私を見た。
「俺の妹。陸」
 人差し指を唇に何気なくあてる仕草が妙に色っぽい彼女は、生田(いくた)弥生と名乗った。弥生さんは、お兄ちゃんの所属するバスケ部のマネージャーらしい。
「あたしだけじゃないよ、こいつも、トモも、皆バスケ部つながり」
「トモ……?」
 「トモ」と言われても誰か分からず、ぽかんとしていると、お兄ちゃんが彼女の肩を軽く叩いた。
「あ、佐々木先輩、ね。あたし一応彼女だからさ」
 ちょっと恥ずかしそうに笑うと、もう一人の後ろに隠れてしまった。あの先輩に、こんな可愛い彼女がいたのか。
 弥生さんに押し出されるような形で、男の人も自己紹介を始めた。稲垣(ただし)さん。あの、「稲垣さん」か。会ったことはなかったけど、たまにお兄ちゃんの話に出てきていたので知っていた。身長が高く、彫りの深い顔立ちをしている。
「稲垣、よく一人で夜の学校なんて来られたなぁ」
「バカにするなよ。別に学校の前に待ち合わせだからって、どうってことないだろ」
 兄と生田さんの話についていけずに黙っていたら、弥生さんがひょっこり隣に来て
「稲垣ったら、超怖がりなのよ」
 と、耳打ちしてくれた。その言葉のせいで、余計笑いをこらえることになった。こんなにがたいのいい男性が、恐がりなんて。ギャップがありすぎる。
「そ、そう言えば、入間が来てないな」
 話を逸らそうと必死な生田さんが辺りを見回すと、お兄ちゃんが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あいつも来るのか?」
「う、うん……先輩が呼んだみたい」
 チッ、と大きく舌打ちした。
「入間」。この人の話題もよく出ていた。内容は主に愚痴。一学年下の後輩らしいのだが、一年生の時からレギュラーで、勉強も学年トップクラス。見た目も良く、しょっちゅう女の子から呼び出されているが、「部活に専念したいから」と言って彼女も作らない、嫌味なヤツらしい。つまり、お兄ちゃんはこの「入間くん」をやっかんでいる、ということだ。全く、くだらない。人を妬む前に、努力しろ、と言いたい。顔は仕方ないけれど。
 五分くらい待っただろうか。雨の中、緑のパーカーをかぶった少年が、傘もささずにこちらに走ってきた。
「すいません!」
 ずぶ濡れの少年は、肩で息をしながら、手に持っていた傘をやっとさした。
「遅いよー、入間。先輩待たせちゃダメじゃん」
 弥生さんが軽く叱咤する。それでも自分のハンカチを取り出し、入間くんの髪についた水滴を拭いてあげているところは、彼女の優しさというか、面倒見のよさを感じる。
 私は彼に進藤修の妹だと名乗ると、彼も挨拶を返した。
「入間慎吾、今度高二になります」
 入間くんは年下の私にも礼儀正しかった。多分、横で自分のことを良く思っていない先輩がじろりと睨んでいたからだと思う。
「おい、稲垣。なんでこいつも来るんだ?」
「佐々木先輩が人数多い方がいいって……。それに大勢の方が夜も安全だろ」
「びびりが」
 露骨に文句を言った。その様子に入間くんは困惑していたが、弥生さんがうまくなだめ
てくれた。
「はいはい、修もそんなにキレないの。同じチームメイトでしょ。それよりトモ、遅いわね。言いだしっぺのくせに何やってるのかしら」
 彼女が傘を持っていないほうの手で、髪の毛を耳にかけた瞬間だった。
 まぶしい光が私達に近づいてきた。先輩の運転するワンボックスカーは、ちょうど弥生さんの目の前に止まった。
 エンジン音が消えると、運転席からメガネをかけた百八十センチを余裕で越える男性が降りてきた。佐々木先輩だ。
「おまたせー。皆悪いね、いきなり呼び出しちゃって。しかも陸ちゃんまで」
 へらへらと笑いながら、弥生さんの傘に入る。当然、先輩の方が身長が高いので、傘の柄は彼が持つことになった。
「ところで一体何なんですか? 用件も意味わかんないし」
 お兄ちゃんが呆れ口調でつっかかる。しかし、その場にいた全員が同じ心境だったらしく、視線は先輩に注がれた。
「ま、こんなところじゃ寒いし、移動しようか」


 先輩の車に乗り、国道沿いのファミレスに入った。二十四時間営業のこの店は、春休みということもあり混雑していた。私達はドリンクバー、先輩だけ食事をしていないらしく、ハンバーグセット大盛りを注文した。
「で? いい加減話してくれてもよくない?」
 ドリンクを注いで全員が席に着くと、弥生さんが口火を切った。
「そうですよ……、僕らだって暇じゃないんですから」
 アイスコーヒーにミルクを三つ、ガムシロップを四つ入れながら、稲垣さんが同調した。お兄ちゃんはそれを見て、ウーロン茶を一気飲みした。
 先輩は、全員の顔を眺めてから、がばっと頭を下げた。
「頼む! 力を貸してくれ!」
 私と入間くん以外、「またか」といった表情をした。
「今度はどんな問題なんっすか? さすがにもう、バイトと大学関係のことは手伝いませんよ」
 お兄ちゃんは以前、ダブルブッキングした先輩の代わりにバイトをしたり、出席日数が足りないという理由でわざわざ代弁しに大学まで行かされたりした経験がある。私から見たら、いくら先輩だからといって、お兄ちゃんがそこまでやる必要はないと思うのだけど、どうやら本人にはその理由があるらしい。
「大学……っていうか、サークルの関係なんだけど」
 不安そうに先輩は今回私達を呼び出した理由について語り出した。
 先輩は、大学で映研サークルに所属している。わりと積極的に色々な活動をするサークルらしく、自主映画も制作しているとのことだ。
「今度の新入生歓迎コンパで、各自十分くらいの映像を撮ってくるって話になっちゃってさぁ」
 困り顔でテーブルに運ばれたハンバーグにナイフを入れる。肉をほおばると、たちまち
先輩の表情は幸せいっぱいの笑顔に変わった。こういった子供みたいな素直な感情表現で、
周りの人間を和ませてしまうところが、この人のすごいところだ。
「でも、映像を撮るくらいだったら、こんなに人数集めなくてもよかったんじゃない?」
 先輩に紙ナプキンを渡しながら、弥生さんが優しく囁く。普通に話しているだけなのだ
けど、なんだかやけに色っぽく感じてしまうのは私だけだっただろうか。
 受け取った紙ナプキンで口元を拭うと、先輩は弥生さんとは対称的に大声で話し始めた。
「いや! このくらい人数がいた方がいいんだ。なにせ、今から撮りに行くのは、『心霊トンネル』なんだからな!」
「えぇっ!」
 先輩の発言に、私と稲垣さんは否定の声を上げた。
「俺は車の運転があるし、他にカメラマンが必要だろ? あと、恐がりまくる人間……要するに稲垣、アンド稲垣だけじゃ画面に花が無いから、同じく恐がりそうな女の子、陸ちゃん! 雑用で修と入間がいると助かる! 計算すると、やっぱりこのくらいの人数になるってこった」
「あれぇ? あたしは?」
 さらっと名前を飛ばされた弥生さんが、意地悪そうに微笑んだ。全員がからかうような
視線を、先輩に送る。
「……彼女連れてきて悪いか?」
 開き直った。そんな先輩を、弥生さんはいとおしそうに見つめていた。


 ファミレスを出ると、一同心霊スポットとして有名な「牛頭トンネル」まで向った。道中車内は大騒ぎだった。稲垣さんはファミレスを出ると同時に逃げようとしたが、佐々木先輩にあっさり捕まった。それからずっと「下ろせ! 下ろしてくれー!」と喚き続けている。
 私はというと、もちろん心霊トンネルに行くこと自体は恐かったが、取り乱しまくる稲垣さんの姿を見ていると、あっさり諦めがついた。それに、映画好きとしては映研サークルの撮影にも興味があったのだ。
 弥生さんと先輩、お兄ちゃんは牛頭トンネルで起こったと言われている様々な心霊現象について話していた。ラジオから読経が聞こえるとか、お婆ちゃんがすごいスピードで追いかけてくるとか、窓ガラスに女の霊が映って、事故が起こるとか。もともと事故多発地帯なのでわりとベタな話が多かった。
 その中で、一人沈黙を守っていたのが入間くんだ。特に怯えているようにも見えないし、ただずっと、窓を流れる風景を見ていた。なんだか不思議な雰囲気を持っている人だ。スポーツも勉強もできて、モテるのに、何故だかこの面子の中では目立たない。それが私もは謎だった。別に仲間はずれにされている訳ではないのに、自分から輪に入っていかないタイプ。私にはそう見えた。
 一時間ほど走り、牛頭トンネルの入り口に着いた。車の通りも全く無く、いるのは私達だけ。近くに街もないから、静かすぎるくらいだ。当然、辺りは真っ暗闇。先輩は持参した懐中電灯をつけて、車から降りた。
「さぁて、これからカメラ回すぞ」
 そう言って、カメラをお兄ちゃんに渡した。
 お兄ちゃんはカメラの機能を一通り確認すると、先輩に一言告げた。
「思ったんすけど……先輩が撮影しないと、意味なくないっすか?」
 確かに。映研サークルに所属している本人が車の運転で、後輩に撮影をさせるのはおかしい。稲垣さんも弥生さんも頷いている。それに、こういった撮影をするなら、高校の後輩なんかを使うより、同じサークルの仲間に頼んだ方が効率はいいはずだ。
 その質問を素直にぶつけると、先輩はあっさりと答えた。
「だって、車の運転できるの、俺だけじゃん。同じサークルのやつに応援頼んだら、ネタバレしちゃうだろ? 皆が驚くようなものを見せつけたいんだ。だからサークル外の仲間に頼んだの」
 要するに、周りを出し抜きたいということか。よくも悪くも素直な人である。私達は反論するのもバカらしくなり、そのまま撮影の作業にうつることにした。
「まず、トンネルに線香を手向けるぞ」
 車から線香とライターを出して、火をつける。全員でそれに手を合わせる。一応、何もないように、という祈願の意味を込めて。お兄ちゃんだけはその様子をカメラに収めていた。
 祈願が済むと、再び車に乗り込んだ。いよいよトンネルに突入だ。牛頭トンネルは内部の明かりも暗めな上、距離もそこそこある。全員が緊張した。もし心霊現象が起きなくても、事故が起きやすいところである。そこは先輩の運転技術にかかっている。
「運転なら楽勝でぶっちぎってやるぜ!」
 なんて軽口を叩いていたせいで、逆に心配になった。だけどもう行くしかない。エンジンをかけると、車は勢いよくトンネルに吸い込まれていった。


「まずはラジオをつけるぞ」
 先輩は、読経が流れると噂のラジオ局にチャンネルを合わせた。お兄ちゃんは、ラジオをつける先輩の手を、後ろの座席からズームアップする。
 特に異常はなし。ラジオも教育について熱く討論するコメンテーターのやり取りしか聞こえない。
「な、何も起きないよねっ? ねっ?」
 今度は隣りで怯える稲垣さんにレンズを向ける。
「そういえば、霊の話をしてると、寄ってくるって言うよね」
 弥生さんは、そんな稲垣さんをからかう。佐々木先輩はそれに悪ノリする。
「ここはいっちょ、恐い話でもするかぁ?」
「や、やめてくださいよぉ!」
 稲垣さんはパニック状態だ。お兄ちゃんはカメラ越しに稲垣さんの様子を笑っている。
「じゃ、入間! 何か話してくれ」
 先輩が、なかなか輪に加わってこない入間くんに話題を振った。カメラを持つ手を変え、斜め後ろに座っている入間くんを映す。少しの沈黙の後、彼は静かに話し始めた。
「俺が知ってる話ですか……トンネルの中で車を時速四十四キロで走らせていると、人が追いかけてくるそうです」
「それはさっき似たような話題が出ただろ」
 カメラを一度下げて、お兄ちゃんがとげとげしい言葉を投げつける。が、入間くんはそれに動じず、話を続けた。
「追いかけてくる人数は、一人、また一人と増えていき……全員が車に追いつくと、窓ガラスを血まみれの手でバンバン叩き割って……」
 無表情で淡々と話す入間くんに、私は恐怖を感じた。
 その時、何かがドン、と車にぶつかる音がした。
「な、何! 今の音!」
「んー、なんだろうなぁ。修、ちゃんと撮ってるかー?」
 真っ青になる稲垣さんをよそに、待ってましたとばかりに嬉しそうな声を上げる先輩。お兄ちゃんはバックミラーを通してOKサインを出した。
 音は鳴り止まない。段々と激しく、私と入間くんの背後を何者かが手のひらで叩くような音が響く。
「い、入間くん……」
 さすがにただならぬ気配を感じ、彼の袖を掴んだ。お兄ちゃんはそんな私の行動も逃さずカメラに収めていた。
 車内はクーラーをつけていないはずなのに、寒く感じる。全員が無言になった。ただ、後ろを叩く音だけが響く。音の数が増えていく。バン……バン……という間隔から、バン、バン、バン、バン、と連続で衝撃が来る。
「マ、マジかよ」
 お兄ちゃんがカメラを落とした。弥生さんが振り返る。先輩がミラー越しに後ろを確認する。稲垣さんは耳を塞いでうずくまっている。
「ど、どうなってるの!」
 恐くて後ろを見ることができない私の代わりに、入間くんが振り向いた。
「……俺の話通り、ってところかな」
 その言葉で、私は反射的に彼に抱きついた。そのままの姿勢で、動けない。指一本まで
凍りついてしまったようだ。
 バン、バン、バン、バン。音は車の横からも響いてくる。
「皆、ごめん」
 先輩が低く、かすれた声でいきなり謝罪した。これ以上ないくらい悪い予感がした。それは当然の如く的中した。
「アクセルが戻らない」
「ちょっと! ブレーキは?」
 助手席の弥生さんが必死にサイドブレーキを引くが、車のスピードはどんどん加速していく。車が速くなっているのにもかかわらず、叩く音の数は増えていく。そのうち音は、ドンッ、ドンッ、と車を揺さぶる振動に変わった。
「いやああああっ!」
「これは洒落になんねーよ!」
 騒然となった。私は必死に目の前の人間にしがみついた。声なんて、死への恐怖で出なくなっている。入間くんはそんな私の体を、そっと優しく包んた。
「と、とりあえずどこかに突っ込むから、皆、衝撃に備えろ!」
 先輩が叫んでハンドルを勢いよく回した瞬間、フロントガラスに大勢の人間の真っ赤に染まった手が見えた。


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