(二)

文字数 2,275文字

 叶冬は重い瞼を持ち上げると、瞳に突き刺さる灯りが眩しくて目を細めた。
 ひどく頭がぼんやりとしていて、何を考える事も無くぼうっとしていると頬に水滴が落ちて来た。視線を上に向けるとそこには見覚えのある顔があった。

「かな! 叶冬! 聞こえるか!?」

 幼馴染の声と顔だという事は分かったけれど、それにリアクションしなければいけないという考えには紐づかない。
 しばらく名前を呼ばれ続け、数分してようやく返事をしなければいけない事に気が付いた。

「……ゆき……」
「かな! 分かるか!? 見えてるか!?」
「見えてる……」

 雪人が押していたナースコールを聞いて看護師が数名と医師が駆けつけた。
 医師が具合はどうですか、と質問をし始めたがやはりまだぼうっとしている。
 問診が終わり、もうしばらく安静にするようにと言い医師と看護師は病室を出ていったが、叶冬の頭はゆらゆらと水中を漂っているようだった。

「かな。金魚の事覚えてる?」
「……雪祭りは金魚すくい無いぞ……」

 雪人は不思議そうな顔をして、けれど安心したようにほっと溜息をついている。
 ついこの前まで雪人を思い出すと苛立っていたのに、今日はやけにその顔を見れることが嬉しかった。

「……いや、意外とあるかもよ」
「無いって」
「じゃあ確かめよう。雪祭り再来週だから早く退院してよ」
「何だ。結局俺と行くの」

 叶冬は拗ねたように口を尖らせた。雪人はくっと唇を噛むと、そっと叶冬の手を握った。

「ごめん。ごめん、かな。一緒に行く。一緒にいさせて」
「……雪祭り、楽しみだな」

*

 一通り話終わり、叶冬は俯きぎゅっと手を握りしめていた。
 何か声を掛けなければいけないけど、何を言えば良いのか分からない。
 けれどそんな人間らしい感情は無意味とばかりに八重子はわははと笑った。

「つーわけで僕が弔ったんだよ」
「でも何でですか。店長は生きてるじゃないですか」
「だからイレギュラーだ。イレギュラーその一! ごくごくごくごくごくごく稀にたまにごく稀に仮死状態で金魚になる子がいる。百年に一匹くらい。それがかなちゃん」
「でも生きてますよ」
「アキちゃんはどうも勘違いしている。金魚の弔いは殺すんじゃない。魂をあるべき場所に返すんだ。肉体が無いから昇天するけど、肉体があればそこに戻るんだ」
「叶冬君の肉体は大怪我してたけどちゃんと生きてたんだ。だからそこに戻ったってわけだね」
「けど金魚になっていた間や金魚屋に関わった時間の記憶は消える。だからかなちゃんは記憶が曖昧なのさ。巨大な水槽やぐるぐる回った記憶があるだろう」

 ならば叶冬が回転恐怖症なのはそのトラウマだ。
 弔われた記憶の断片が金魚鉢と回転するものに恐怖を植え付けたのか。

「忘れるって全部忘れるわけじゃないんですか? 鹿目さんは全く覚えてないみたいですけど、なんで店長は部分的に覚えてるんですか?」
「あ~……そりゃあまあ色々あってねえ~……」
「八重子さん」
「う……」

 げえ、と八重子は不満げに唸り口を尖らせた。夏生がじいっと睨みつけていて、まるで教師と生徒のようだ。

「……イレギュラーその二」
「違います。八重子さんのミスその二です」
「うう」
「その二? 一は?」
「叶冬君を追い出したことだよ。本当なら金魚屋に来た段階で弔って終わりだったんだ。でも八重子さんがそのイレギュラーケースを把握してなくてね」
「うっかり追い出しちゃったんだよねえ」
「はあ……」
「で、ミス二つ目が金魚鉢。叶冬君が金魚鉢を持ってるよね。雪人君が持っていたあの金魚鉢だ」
「それなんですけど、どうして雪人さんが持っていたんですか?」
「八重子さんが叶冬君の病室に忘れていったんだよ」
「ゆきちゃんはそれをそのまま隠匿したんだあね」
「忘れた八重子さんが悪いですよ」

 ということは、叶冬が金魚は勝手に宿主の魂を食うと言ったのは実体験からきたものなのだ。
 ならば雪人がやつれて病死したというのはそのせいなのか――それはここで明らかにしてはいけないような気がして秋葉は口をつぐみ話題を変えた。

「それと金魚屋を覚えてるのはどう繋がるんですか?」
「金魚鉢は魂を昇天させる、いわばこちらとそちらを繋ぐ物。繋がったままだから忘れなかったんだ」
「けど所詮は備品さ。僕が正式に招いたわけでもない。それなのにそんだけ覚えてりゃあ十分なこったい」

 では金魚鉢さえなければ叶冬は金魚などという正体不明なものを追ったりせず、ただ御縁の家で妹を可愛がる兄として平穏な生活を送っていたのだ。
 それをかき乱したのは金魚鉢で、それは何の意図もなくただ八重子が忘れただけ。
 金魚のことはともかく、掌握の根源は目の前の女のように思えた。

「そして最後。これが最大のイレギュラーだ。かなちゃん金魚がゆきちゃんの魂を喰ったまま肉体に戻ったことで二人は魂が混ざってしまったんだ」

 ぺらぺらと言われて即理解できず、ええ、と秋葉は少し考え込んだ。
 魂を食うというのが具体的にどういう行動なのかは分からないが、人間に置き換えてみれば食事をして消化をして己の血肉となっていくのが『食べる』ということだ。
 そうなったら食材の原型がなんだったかなどは関係無く混ざり合ってしまう。つまりそういうことなのだろう。

「じゃあ店長の中には雪人さんの魂もあるってことですか?」
「そうそう。そういうこと」
「じゃあ雪人さん本人はどうなったんですか? 失踪したんですよね」
「ナイスアシストだよアキちゃん!」
「え?」
「ようし! 大詰めだ! さあおいで!」
「え、え」

 秋葉は八重子に後襟を掴まれずるずると引きずられた。
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