3 いきさつ

文字数 2,214文字

 誤って一ノ谷先生を殺してしまった後の話をする前に、私がいかにして、南條に対し、殺意を抱き、しち面倒くさい殺人計画を練り、彼を殺した後、どのように振る舞うつもりでいたのかを説明いたします。
 今となっては、屈辱でしかありませんが、南條と私は、劇団黄色い家の看板男優と女優であり、恋仲でした。
 東京出身とはいえ、女学校までお嬢様育ち。両親の反対を押し切って、芝居の世界に進んだ私は、意志は強けれど、世間知らずの小娘でした。ですから、南條のような顔だけは良い女たらしに引っかかってしまったのです。
 見苦しい言い訳をもう一つするなら、私は舞台の上での出来事と現実を混同し、南條幹雄に恋愛感情を抱いていると錯覚してしまっていました。
 私、神宮寺恭子は憑依型の女優です。演じる役柄が恋をしているなら、本気でその相手のことを愛します。それはもう、架空の登場人物が乗り移ってしまったかのように、役に入り込むのです。そして、看板女優という立場上、与えられる役は看板男優の南條の相手役ばかり。次第に、劇のヒロインと私自身の区別が曖昧になってしまっていたのです。
 公私ともに南條に入れあげ、いつかは結婚して、二人で劇団を立ち上げたいなどと他愛もない夢を語った時期もありました。ですが、あの男はいとも簡単に私を捨てました。
 他に新しい女が出来たのです。
 うちの劇団の二番手女優、坂巻(さかまき)波子(なみこ)のことは、記者様も御存知でしょう。あの子も、あれからとても有名になりましたから。南條は、私と関係を持ちながら、一方で新進気鋭の若手女優波子に手を出していたのです。
 おまけに、波子との関係を指摘した私に、あの男は開き直り、「波子ちゃんと正式にお付き合いをしたいから、別れてくれ」と宣いました。
 嗚呼、私がどれほどの辱めを受けたことか、記者様は想像できますでしょうか。怒りに我を失い、近くにあった花瓶で南條を殴り殺すところでした。すんでで立ち止まれたのは、看板女優としての矜持があったからです。二番手の後輩に男を奪われ、発狂し、衝動的に殺人を犯してしまうなんて、一流女優には似合いませんからね。
 でも、私の誇り高さ故に、自分が命拾いしたなんて、馬鹿な南條はちっとも気づきませんでした。あろうことか、言い争いがあってからというもの、彼は私を公演の主役から引きずり下ろし、代わりに波子を主演に置こうと一ノ谷先生はじめ、劇団の運営の方々や他の役者に根回しをし始めたのです。
元より頭の悪い男ですので、やり方は非常に稚拙で、「波ちゃんの方が、この役が似合うのじゃない」と口にしたり、明らかに嘘だと分かる私の悪評を流したりといったものでした。
 相手にするのも馬鹿馬鹿しい、子供じみた手口です。けれど、あまりにも彼がしつこいものですので、ついに監督が「次は試しに波子に主役をやらせるか」と言い始めたのです。
 彼がどこまで本気だったのかは分かりません。だけど、私は南條なんて安く、薄っぺらい男を取られるのは我慢できましたが、血の滲むような努力を重ね、両親から勘当されてでも手に入れた看板女優の座を、単に男を垂らし込んだだけの小娘に取られるのが我慢なりませんでした。いっそ死んでしまった方がマシです。
 この時、私は南條幹雄の殺害を決意しました。但し、南條なんぞを殺してしまって、警察に逮捕され、裁判でさらし者にされ、監獄に入れられるなんて、格好が悪いです。
女優なら、幕引きまで完璧に美しく演出すべきです。
 だから、私は南條を殺した後、自殺するつもりでした。女学生時代に読んだ心中ものの小説の如く、清らかで気高い愛の最終目的地に到着した女として遺書を残し、シャンデリアに潰された哀れな美男子の側で、真っ赤な薔薇の花弁のようなドレス姿で毒を飲むのが、神宮寺恭子という女優の物語の幕引きのはずでした。
 なのに、間違えて、私の美貌だけでなく、女優としての演技力や可能性を認め、引き立てて下さっていた一ノ谷先生を殺してしまったのです。大失敗でした。
 趣味の悪いジャケットだけで、舞台上にいた男を南條と判別してしまい、早とちりをした己の軽率さを大いに後悔しました。先生に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 計画通り、死体の横で自死する訳にもいかなくなってしまいました。殺したい男は、何故だかのうのうと生き長らえております。私だけ死ぬなんて割に合いません。
 完全犯罪なんぞ、最初からするつもりがなかったので、アリバイも巧妙なトリックも何も考えていません。キャットウォークに指紋も残したままです。殺人犯として逮捕されるのは時間の問題だと、混乱した頭でも分かりました。
 改めて南條を殺す計画を練ることや、今回の殺人の罪を彼に着せてしまうことも考えましたが、行き当たりばったりでは無理だと考え直しました。日本の警察は優秀ですからね。
 先生の死体を見下ろしながら、私は必死に考え、一つの答えを導き出しました。
 逮捕されるまでに、私にふさわしい物語を作り上げ、かの妖婦阿部定のような歪んだスター性を放ちながら、警察署に連行されよう。
 私は、決して、南條と間違えて一ノ谷先生を殺してしまったドジな女なのではない。誰にも知られていない因縁が、私と先生の間にはあり、結果、私は先生を手にかけてしまった。そんな物語を作ろうと決意しました。
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