第3話 旅立ちの朝に☆

文字数 3,419文字

マミは定期的に酒場に自作の胃薬を卸している。二日酔いにも効くと評判だ。

胃薬の材料を天日干しする時はエミリーもよく手伝った。

今日は物干しざおの横にピカピカに洗った大きな鎧が置いてある。

持ち主は近くの切株に腰をかけているが眠そうだ。

「おじいちゃんはなんで鎧をずっと着てるの?」

「うーむ。習慣のようなものじゃ。わしの人生はこの鎧と共にあったからのう」

「そうなんだ。でも、こんな平和な村でも着る必要があるのかなって」

「平和か。確かに、このままの暮らしが続くなら不必要じゃな」

お気に入りの服のようなものかとエミリーは解釈した。

「今日もこのあと、パパの手伝いに行くの?」

「うむ。わしの手先の器用さを買ってくれての。暇しとったので助かるわい。それに比べて本当に使えぬわ、あやつは」

老人は角のオジサンに聞こえるように声を張った。

「まあ、まあ。パパが言ってたけど、なんでも得意、不得意があるって。角のオジサンは狩りが得意みたいだし干し肉でも作って売ったらみんな喜ぶかも。オジサン、聞こえてる?」

「考えておこう……」

聞こえていたようで、魔王は小屋の窓から顔を出し、意外と素直な返事をした。

老人は「ケっ」と不愉快そうに顔をそむけた。

「私も勉強が得意なことだったらよかったんだけど」

「勉強は好きか?」

「マミ姉との時間は好きだよ。でも私はなりたいものがあるから勉強をしてるのであって、すぐに得意になるなら、今すぐに得意にしたい」

「好きなものが得意になるまでは時間がかかるものじゃ」

「おじいちゃんも時間がかかったの?」

「いや、わしは天才じゃったので何でもすぐに出来た」

「え、それじゃ説得力ないよね……」

「……」


村の酒場は塔が出来てから繁盛していた。

辺境の街へ向かう行商人の中継地点として、塔が目印になるらしい。

その日、マミとエミリーの父は酒場のカウンターに腰をかけていた。

酒場のマスターがカウンター越しに言った。

「馬車の乗り賃、都での宿泊費、入試にも金が要る」

マスターはこの村で唯一の受験情報を集めることが出来る立場だ。

嫌な顔ひとつせずに協力をしてくれる。

「受験料はどれくらいなんだ?」

「銀貨150枚。小金貨なら3枚。足りないなら貸すが……」

「ありがとう。大丈夫だ。それくらいは払える」

エミリーの父は一日におよそ銀貨1枚程度の稼ぎがある。

(なんとかなるか。家には売れる物もあるだろうし)

マミは懐から銀貨の袋を取り出した。

「あのね。これはエミリーが手伝った胃薬のお金。銀貨で50枚。少ないけど足しにして」

父は少し驚いた顔をした。

「手伝いじゃなくて、稼ぎの全部じゃないだろうな。それに、マミには勉強を教えてもらった。授業料を払いたいくらいなのに受け取れない」

「あの子は、私の子供のようなものだよ。それに、きっと彼女も天国で応援してくれてるはず」

マスターも優しげな眼差しで金貨を1枚、そっと懐からとりだして置いた。

「村の子供たちの将来は、我々の将来につながる。横から口出しして申し訳ないがこれを使ってくれ」

エミリーの父は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。

「……ありがとう」

涙がこぼれた。


その夜、家に帰ると父はエミリーに話を切り出した。

「14才から受験は出来るらしい。エミリーはもうすぐ15だから、すでに資格があるということだ」

「そうなんだ!ついに受験かあ」

「エミリー、よく聞いておくれ」

いつにない真剣な表情の父にエミリーは座り直した。

「なあに」

「今日、マミから話を聞いたが、おそらく受験をしても落ちるだろう」

「やる前からそんな」

「いや、違うんだ。俺は学がないから分からないが、こういう都のものは、俺達の想像を超えたところがあるんだ。エミリーは何年くらいマミに教わった?」

「3年ちょっとかな」

「そうだ。マスターに聞いたが、都でも3年くらいは勉強をするらしい」

「だったら……」

「エミリーは都の建物は見たこと無いよな。俺は子供の頃に一度だけ帝都に行ったことがある。同じ大工道具から生まれたとは思えないような建物がいたるところに建っていた」

「うん」

不安を伝えたいつもりでも、期待を伝えたいつもりでもない。

「おそらく、受験の勉強でも、俺達の想像出来ない何かがあるはずなんだ……」

(だめだ、上手く言えない)

父は頭をかいた。

油が切れたようで、ふっと蝋燭の火が消えた。

思いのほか強い月明かり窓からにさしこむ。

父は火をつけなおして座った。

二人はしばらく黙っていたが、エミリーは笑顔を作って言った。

「大丈夫だよパパ。私、真剣に、全力で受験をしてくるよ。パパが用意してくれた大切なお金を使って都に行くんだもん」

「うむ……」

どうにも幼く頼りない娘だが、少し大人びて見えた。

「受験後は三日で合否が発表されるらしい。結果も見てくるんだよ。その分の宿代も入れておいた。受験が終わったらそれまで都を見物するといい。珍しいものや美味しい物も沢山あるよ」



旅立ちの朝はあっという間にやってきた。

荷馬車の荷台に乗りこんだエミリーにマミは杖を手渡した。

「これ、私が村に来た時に握ってたらしいの。必要ないから、ずっと物置にしまってたんだけど、良かったら使って」

「ありがとう。蛇のような形だ」

「おまじないもかけておいたから、困った時は相談するんだよ」

「相談?杖に?」

「うん。肌身離さず持つようにね」

(おまじないみたいな物かな)

魔王は干し肉をひとかけら手渡した。

「ありがとう。美味しそう。オジサンはこういうの作るの向いていると思うよ」

「まだ試作品だが、美味であろう。まずは発案者に喰わせたかったから渡すだけだ。勘違いをするな人の子よ」

老騎士は木の皮の巻物を手渡した。

「おそらく、受験ではこの辺が出るのではないかと思ってまとめておいたぞ」

「え、すごい。おじいちゃんって賢かったんだ。ありがとう」

「今でも賢いぞい……」

御者は行商人の夫婦だ。手綱は夫が握っているが、妻は隣に座り時折交代するらしい。

荷車にはエミリーと交易品が乗る。

馬車はゆっくりと動き出した。

「じゃあ行ってくるね!」

「気を付けて」

親元を離れるのは初めてだが、不思議と寂しくは無い。

明るい未来が待っているような。高揚感に包まれている。

川向から洗濯をしているおばさんに手をふると、笑顔でふり返してくれた。

馬車が動き出した時、父は泣いているような気がした。

(どうせすぐに帰ってくるよ)

懐に手をあてると、小金貨3枚と銀貨50枚が入った革袋がある。

そして餞別にもらった杖。

よく見ると目が赤く仄かに光っているようだ。

荷台の中は暗い。

(本物の蛇みたいだ)

村に現れたマミ姉の唯一の持ち物だったのだろう。

(マミ姉の宝物かもしれない。大切にしないと)

素早く袋にしまい込んだ。


半日ほど揺られ、日は暮れたころ。

急に馬車が停まった。

(なんだろう)

外から話し声が聞こえる。気になるが、エミリーは幌から顔を出さなかった。

父から言いつけられているからだ。

このあたりの辺境の地にはあまり出ないらしいが、野盗が金をせびることがあるらしい。

素直に小銭を渡して立ち去るのが賢いらしい。

若い娘が乗っていることが分かればややこしい事にもなると聞いた。

(こわいな)

杖の袋をぎゅっと握りしめた。

外からは女性の声がした。複数人のようだ。

(道を尋ねられただけっぽい)

馬車は再び動きだし、エミリーはほっと胸をなでおろした。

おそるおそる幌の隙間から、旅人たちの背中を見た。

暗くてよく見えないが、一人が大きな白いものを背負っていることだけは分かった。

結局その日は馬車は夜通し走り続けた。

途中でもらったパンは妙にカビ臭かったがエミリーは上機嫌だ。

御礼に干し肉を出して、行商人の夫婦と一緒に食べた。

(旅は楽しいなあ)

満腹になるとエミリーは静かに寝息をたてた。

(つづく)
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