夢の中で恋をする

文字数 1,954文字

思い出では無く、それはもう呪いに近かった。
山下創平が夢を見ない日は無い。夢に出てくる女性は決まって彼女だった。彼女と言っても十年以上前に仲の良かった同級生だ。

恋人同士になるかどうか、ギリギリのラインで関係性は終わってしまった。学生生活ではよくある事、そんな一言で片付けられてしまいそうな経験が、創平にとっては呪いだった。

毎日夢を見ると言っても、365日必ず彼女の夢を見る訳では無い。ふとした瞬間に夢の中で出会うのである。

何よりも辛いのは、彼女の姿が十年前で止まっているという事だった。自分自身は老いていくにも関わらず、夢で会う彼女はいつも同じ姿をしていた。それもそのはずで、あの日以降一度も会っていないのだから。

「明後日で卒業式だなんて早いね」お気に入りのマフラーに顔をうずめながら伊藤沙耶は言った。

卒業式前の休みを利用して、地元から少し離れた水族館へと向かう。二人の通う高校周辺で遊ぶのも良かったのだが、クラスメートに遭遇すると何を言われるか分からない。そういった様々な事情を加味して決めたのが水族館だった。

一緒に出掛けるのが今日で最後だなんて、この時は夢にも思っていない。

「すまん、忘れてた。水族館に知り合いが居るかもしれない」あ、と思い出したかのように創平は呟いた。

「ん?創平君に魚の知り合いなんて居たっけ?珍しいお友達だね。お喋りする時はやっぱり魚語?」と首を傾げながらジョークを言う。

学校では大人しくて目立たない沙耶だが、創平と一緒に居る時だけは人が変わったかのようにお喋りであった。どちらが本性なのかは分からないが、恐らく後者だろうと創平は考えている。こういう時の沙耶は面倒なので反応しないのがコツだ。

「隣のクラスに吉田緑っているだろ?この水族館でバイトしてるんだよ」今も働いているかどうかは知らないけど、と付け加えて話す。

「ふーん。何で隣のクラスの子のバイト先まで知ってるの?あ……創平君ってもしかして変態?」片手で口元を隠しながら沙耶は言った。

一年の時に同じクラスだったんだよと説明をしようと思ったが、良い方向へ進まないのは明白だったので無視する事にした。

少し不機嫌になった沙耶であったが、水族館の前にある等身大のマグロのオブジェを見ると、台風の後の天気みたいに機嫌が良くなった。そのオブジェに並んで後ろを向くと、写真を撮るように創平へと頼んだ。今日は着込んでいるから、オブジェと並ぶと姉妹みたいだな、と口が裂けても言ってはならない。

その後は入館して順番に魚を観て周る。「なんだかお寿司が食べたくなるね」というお決まりの冗談を交えながら。件の吉田緑は見当たらなかった。もしかすると既にバイトを辞めていたのかもしれない。

そのまま解散では少し味気が無かったので、近くの展望台へと二人は向かった。地元密着型の水族館は海の近くにある事が多いので、展望台が併設されているケースは珍しくない。

「卒業式って皆ワンワン泣くけど、別にまた会えば良いのにね。会う気が無いから『これでもうお別れだね……』って泣くんだよ」視線は海に向けたまま沙耶は冷たく言い放つ。

「じゃあ明後日どうするんだ?一人真顔で座ってるのか?」それはそれで見てみたいな、と考えながら返答する。

「ん?タオルで顔を隠して泣いてる振りするよ?」名案が浮かんだように続けて話す。「そうだ、あらかじめタオルを少し濡らしておこう」

今のシーンを録画して卒業式で流したら、最高の思い出になるのにな。と考えながら肩をすくめてみせる。

「創平君はさ、卒業しても私と会ってくれるの?」少し真剣に、ただそれが悟られないよう創平へ聞いた。

「ああ、会うよ。いつでもな」数度頷きながら創平は答える。

その返答が正解だったのか、帰宅する為に駅まで歩き出した。二人は離れた場所に住んでいるので、乗る電車は別々だった。すると前を歩いていた沙耶は肩を小さく回しながら振り返る。

ねえ、創平君。と後ろに手を組んだまま、こちらを真っ直ぐ見て言う。「好き。誰よりも」

処理落ちしたPCのように固まっていた創平を、ひとしきり満足そうに眺めた後、丁度到着していた電車に乗り込んでしまった。



あの日以来、沙耶とは会っていない。卒業式の前日に起こった『東日本を震源地とした地震』の影響で、式自体も取り辞めになった。ニュースを見る度に行方不明者が増えている。こんな状態で卒業式など行える訳が無い。

創平は何度も沙耶へと連絡をしたが返信は一切無い。数少ない手段は全て試したが、足取りは一切掴めなかった。

呆気ない事に、僕たちの物語はそのまま終わってしまった。

それ以降、終わった物語は呪いとなって創平を蝕む。老いていく自分に対して、高校生の頃から変わらない沙耶と、夢の中で共に過ごす。

僕たちは夢の中で恋をしている。
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