雨と巡査とバス停と

4月18日(月) 曇り

エピソードの総文字数=1,761文字

 堀田巡査は夕暮れの道を、自らの砦である傘舞橋南詰交番に向かって歩いていた。

 サヤカを預かる安達家へ、彼女の忘れ物の傘を届けに行った帰り道である。
 朝、昼と訪ねたのだが共働きの安達の家に家人は不在で、門扉に一度赤い傘を立て掛けてはみたものの、やはりどこか不用心に思えて、その都度持ち帰っては訪ね直したのだ。

 五時を回ってようやく出会えた彼女の叔母は、ぽっちゃりした体形のいかにも人の良さそうな婦人で、事情を聞くと謝辞を述べ、姪の奇行を詫びた。

「土砂崩れ、だったんですよ」

 昨年暮れ。その年に建てたばかりの新しい家が、周囲六軒の民家を巻き込んだ土砂崩れの下敷きとなり、サヤカの家族はサヤカを残して亡くなった。サヤカだけはその時たまたま外に出ていて被害を免れたのだ。
 事故、と聞いていた堀田はなんとなく交通事故を思い浮かべていたが、サヤカが直面したのはもっと規模の大きな災害であった。

「雨の日は、その夜の事を思い出すのかも知れません。ことがことだけに叱ったり、やめさせたりすることもできず……ご迷惑をお掛け致します」

 迷惑なんかじゃありませんよ、地域の方々のお力になるのが我々警察官の仕事です、と紋切り型の返答をして堀田は場を辞した。

 雨の夜は思い出す。それは彼女もそう言っていた。雨は怖い。思い出すから、と。だが事故……災害そのものを思い出すのではないらしい。そこを気遣った堀田の言葉は、彼女自身によって明確に否定されてしまった。

 なら何を?

 彼女が、サヤカが思い出す事とはなんなのだろう?

 そんな事をぼんやり考えながらあっと言う間に交番に着いた。本当にサヤカの家は徒歩五分あるかないかだった。
 遠く電話のベルが聞こえる。それが交番の電話だと気が付いて、堀田は走って戻った。少しの距離だったが、左膝は軋むように痛んだ。

「はい、傘舞橋南詰交番」
『南署の河本や。堀田か? 橘は非番か?』
「はい。堀田です。橘さんは非番で」
『すぐに呼出せ。緊急や。拘置所に護送中だった三島の警官殺しのマルヒが逃げた。メモせえよ。場所は鹿溜(しかたまり)サービスエリア。逃走したマルヒは兵藤克彦。四十一歳。ニンチャクにおいては、ブルーグレーの長袖作業ツナギ。スキンヘッド。身長172センチ。体重62キロ。中肉中背。筋肉質。眉間に深いシワ。薮睨み。左目の下に赤い痣あり。キャンパス地の白のズック。左腕上腕に虎の入れ墨。九州訛り。しわがれた、掠れたような声で話す』

 堀田はペンを走らせて必死にメモを取った。取りながら刑事部長の人相、着衣の説明の、人探しの要領を踏まえた解説順序に感心した。彼はメモした内容を復唱した。

『おうとる。画像が届き次第メールしてGドライブに共有する。ファイル名は日付と901。パスワードは西暦日付と支所番号や。橘と情報共有して二人で行動せえ。県警が機動隊を手配してそっちに向かわせとる。地域住民には警戒を呼び掛けて外出を避けて戸締りを厳にするよう伝えて回れ。非常放送や町内連絡網があるなら並行して同じ内容を回すんや』
「了解」
『受け持ち管轄の学校、保育施設に児童が居れば帰宅は一度待たせて、親を迎えにやらせるようそれぞれの運営から連絡させえ。知っとるとは思うばってん、マルヒは去年、警官から拳銃を奪って持ち主の警官を殺しとる。社会規範に対するタガの外れた奴や。性格は凶暴で残忍。傷害の前科が九件。殺人の余罪も一件や二件じゃなさそうや。巡回に当たっても充分に注意しい。女子供は決して表に出すな。ええな』
「了解」
『とはいえ、お前一人で凶悪犯を捕まええゆうとるわけやなか。住民に警戒を呼び掛け、警らしながら県警の到着を待て。そちらの指揮は柴崎部長が直接取るそうやけん、部長が到着したら後はその指示に従ったらよか』
「分かりました」
『功を焦って無茶すんなよ』
「肝に銘じます」
『雨、か……きつか捜索になりそうばい』
 その言葉を最後に、電話は切れた。
「……雨?」

 振り向けば夕闇が深くその(とばり)を降ろし、暗くなった山里に降る雨が交番の窓を濡らしていた。

「雨だって……!」

 叫んだ堀田はその瞬間、降りしきる雨の音の中に女の声の、短い悲鳴を聴いた。

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