一軒目 二

文字数 2,396文字

 夜も更けた頃、二人は長谷川家にやってきた。迎えてくれたのは女中のトメノだった。トメノが客間へと案内する。二人は先に客間にて藤子を待った。
「雅晴は綾子様に会ったら気まずくないの?」
「あれ? もしかして心配してくれてたの? せっかくだけど、そんな険悪じゃないよ。この世界じゃよくあることだよ」
 二人が話していると、藤子が現れた。
「雅晴さん、紫雨さん、わざわざ来ていただいて悪かったわね」
「いえ、依頼とあればいつでも。ところで例の手が出る部屋というのは、定徳様の寝室と聞いておりますが」
 藤子は手の事を聞くと顔色を悪くする。よほど参っているようだ。

「大変無礼を申し上げるのですが、今日一日定徳様のお部屋をお貸しいただけませんか? 寝床は床で構いません」
「もちろん。長谷川にも話しております。どうか、あの気色の悪いモノをどうにかしてください」
 分かりましたと紫雨が藤子に告げる。藤子がその旨をトメノに話すと、トメノはテキパキと支度をし、二人を定徳の部屋へと案内した。部屋には心ばかりの簡易ベッドが二つ用意されている。
「雅晴もここで寝るの?」
 驚いて雅晴を見ると、こちらもテキパキと荷物をほどいている。藤子が気を利かせ、雅晴付きの使用人をすすめたが雅晴は断っていた。
「次期藤堂家当主がこんなにも自由で大丈夫なの?」
 紫雨が嘆くが、雅晴は気にする様子もない。


 しばらくは二人でたわいもない話をしたり、本を読んだりと時間をつぶす。やがて 屋敷内も寝静まったころに、いよいよ紫雨が部屋の明かりを消さんとする。
「さて、寝支度をする前に、紫雨、散歩に行かない?」
 紫雨はまたしても呆れる。今日は仕事で来ているというのに。人様の、しかも伯爵家の家を勝手に散策とは身の程知らずもいいところだ。それでも雅晴は大丈夫大丈夫と紫雨を無理やり連れだした。
 さすが元縁談相手の家。今は決裂してしまったが、勝手知ったる他人の家である。こそこそと移動する雅晴についていくと、屋敷の外にある広い庭に出た。広い敷地内の庭だけあって、敷地の外の音が入ってこない。しんと静まり返った空気が気持ちいい。

「紫雨、見て」
 雅晴が指さした空を見上げると、煌々(こうこう)と光る月と、満天の星空が目に飛び込んできた。これには紫雨も驚き、うっとり見惚れた。
「ここから見える夜空はここら一帯で一番綺麗なんだ。これがなかなか見られなくなるのは、ちょっと残念かな」
 屋敷の明かりも消え、暗闇に月明りだけが差し込んでいる。
 月の光に照らされ、紫雨の銀色の髪がキラキラと(きら)めく。同じ色をした睫毛を携えた目は、たくさんの星をとらえていた。紫色の瞳が深い夜の空を吸いこんでいる。紫雨が瞬きをするたびに光をはじき、まるで星屑(ほしくず)が飛び散るようだった。
 
 雅晴は夜空ではなく、紫雨の横顔をじっと見つめていた。
「紫雨は本当に幻想的だよね」
 雅晴の言葉とは裏腹に、紫雨は怪訝そうな顔をする。
「見た目について褒められても素直に喜べないな」
「ごめんごめん、そうだったね。でも悪気はないんだ」
 二人が空を見上げていると、敷き詰められた芝生にぽわぽわとわたぼうしの様なものが光り、浮かびだした。それもあちらこちらに、ふわふわと。
「うわ、何何!? これも妖怪!?」
「大丈夫だよ、害はない。この家の繁栄の(しるし)のようなものだよ。敬愛の念が集まってきて住み着いているんだ。それにしても、雅晴は本当に

ね」

「ああ、俺もそんな幸運の妖怪なら憑いていてほしいよ」
 紫雨が目を丸くして雅晴を見た。気付いていないの?とでも言わんばかりだ。
「雅晴は出会った時からずっと巻き付いてるよ」
「何が?」
「蛇が」
 ぎょっとして雅晴が脇の下や背中を大げさに確認する。その様子をみて、紫雨がふっと笑う。
九十九神(つくもがみ)。もうじき龍に変化(へんげ)する偉大な妖だ。雅晴はちゃんと守られているよ」
 雅晴が安堵のため息をついた。
「いろんなモノが見えるくせに、その蛇は見えてないんだね」
「そういうもんだろ。周りの事は見えても、自分の事は見えないものだよ」

 そろそろ体も冷えてきた。二人はそっと屋敷に戻る。「ごめん、用を足してから部屋に戻る」と言って雅晴が行ってしまったので、紫雨は一人部屋に戻ろうとした。その時だった。廊下の影から人影が現れた。

「綾子様?」
紫雨の呼びかけにしっと人差し指で口元を抑えると、綾子が廊下の隅に紫雨を招いた。綾子が小声で紫雨に話す。
「紫雨さん、驚かせてしまいすみません。初めまして、長谷川綾子です。実は、雅晴様のことでご相談が――」


 紫雨が部屋に戻ると、すでに雅晴がベッドに転がっていた。
「なんで紫雨の方が遅いの。もしかして迷っちゃってた?」
「うん、少しね」
 紫雨もベッドに腰を下ろす。
「今日も出てくるのかな? 例の手」
「どうだろうね。でも出てきてくれないと、解決策が出せないな」
 部屋の明かりを消し、仰向けになりじっと天井を見つめた。
 
 幾刻か過ぎたころ、雅晴はすっかり寝息を立ててしまっている。紫雨が何かを感じ取る。すると天井から白く淡く光る手が現れ、伸びてきた。それも一本ではなく何本も。紫雨が雅晴を小突き起こす。
 寝ぼけた雅晴が薄目を開け、天井を見る。
「うわっ。本当に手が伸びてる。しかもこんなにたくさん」
 手が二人の元まで伸びてくる。しかし触れるでも危害を加えるでもない。ただその存在を(あら)わにしていた。
稚児(ちご)の手――か」
 紫雨が手の一つにふっと息を吹きかける。するとするするっと手が天井へと戻り消えていった。
「え、もしかして今ので終わったの?」
「いや、少し引っ込んでもらっただけ。雅晴、妖怪にはね、現れる原因が必ずあるんだよ」
 紫雨は手のあった天井をまっすぐに見つめる。
「――さ、今日はもう寝よう」
「え! この状況で? 興奮して寝れないよ」
 騒ぐ雅晴の横で紫雨は静かに目を閉じると、ゆっくり眠りに落ちていった。
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