2.ロマンを回せ

文字数 3,160文字

 加速。減速。立て続け。
 観客席の真正面と向こう正面――2箇所の長いストレートを除けば、コーナの連続が立ちはだかる。軽さと加速力を武器にするなら、主戦場はまさにここ。
 進入は可能な限り高速で。減速にしても最小限。軽さと低重心に物を言わせて、旋回Gをねじ伏せる。有利なラインを奪い合う。
 ヘアピン・コーナを抜けた――ところで勝負が匂う。駿がギアを落としてアクセル開放。パワー・バンド。ぶん回す。その後方、仕掛けた。モータ車。猛加速。
 並ぶ――かというところで減速ポイント、ぎりぎり粘ってラインを死守した。インを差す。モータ車の白。離れない。

「競ってるわね」麗がモニタを睨みつつ声。「思惑通りのハイ・ペースね――ここまでは」
「後続も本気で乗ってきてる」監督が中継映像、第2集団へ指を向け、「こいつは力勝負の修羅場になるぞ」
 後続の積むV12エンジンは小さく軽くとはいかないが、低速から高速までの器用な制御で追いすがる。オーケストラと讃えられた高速駆動音を奏でつつ、ヘアピンを今まさに駆け抜けんとするところ。

 バック・ストレート、先頭のクロに視界が拓ける。
 クラッチを切るなりギアを落とした。アクセルを踏み込む。回転数を高く保ってクラッチを繋ぐ――と同時にアクセル。
 高く、かつ力強く駆動音――天使の絶叫。瞬発。加速。空を裂く。モータ車を背後に置き去り、速度計が音階もろとも駆け上がる。
 ――と。
 モータ車。猛加速。迫りくる。
「来たか!」
 モータの利点、無限のトルク。これが意味するところ、即ち加速力は天井を知らない。
 ただし、大電流に回路が耐え得る限り――目論むところはここにある。
 駿が片頬に悪い笑み。「それでこそ、だ!」
 つまりこの瞬間、モータは大電流の抵抗――要は熱の源を抱え込む。
 追いすがる。モータ車。間を詰める。
 捨て置く。アクセル。天使の絶叫。なお加速。
 引っ張る。競り合う。最高速。空気が重く粘り付く。
 高速域においては、空気そのものが枷と化す。速度を稼ぐにはひたすら抵抗を削ぎ落とし、他方で馬力を稼ぐに限る。そしてモータが馬力を出すには、電流すなわち熱の問題を避け得ない。
「さあ来い!」
 直線が終わる。コーナが迫る。減速ポイントを――探る。限界。チキン・レース。
 読み切る。クラッチ。切るなり変速、ギアを落としてエンジンを回す。回転数を合わせてクラッチを――繋ぐ。叫ぶ。エンジン・ブレーキと併せてフット・ブレーキ。つんのめるような急減速。
 の。
 横を。
 抜いた。モータ車。わずかにブレーキを遅らせた。外からコーナへ躍り込む。
「やるな!」
 影が横切る。モータ車。先を越す。コーナへ。追うクロ。尻に付く。
「まだまだ!」

「まだまだね」麗が携帯端末へ眼を落とす。
「いや、むしろよくやってる」監督が眼の端で麗を捉えて、「今のうちに〝限界〟ってヤツを刷り込む手だよ。こっちはタンクが空けば車重も落ちる。錯覚させといて――って寸法だ。で、それが例の?」
「そう、出資の達成度」麗は手中の端末をかざして、「このレースで100%に到達できたら、本当の勝ち」
「今は?」監督が小首に疑問符を引っかけた。
「見ての通りよ」麗が端末を全面表示へ――23.6%、微増中。
「足りるのか?」監督の声に渋い色。
「これからよ」澄まして麗。
「盛り上げろ、って?」監督の片眉が首をもたげる。
「そういうこと」麗が口の端、笑みを含める。
「まあ見てな」監督が手指を踊らせた。「勝負はまだまだ序の口だ」

 加減速を重ねてせめぎ合う中、駿にシケインのクランクが見えてくる。
 旋回半径極小、なおかつクランク。最終コーナを前にして、減速力最大の見せどころ――へ。
 突っ込む。迫る。限界寸前。
 クロが甲高くエンジン・ブレーキ。モータ車がまだわずかに速い。猛減速。ラインを狙う。クロが後ろへ食らい付く。

「回生ブレーキで発電できるからって、」監督の眼が追ってモニタ内、先行するモータ車。「調子に乗ってるな」
「こっちが望んだ展開よ」麗が指先を縦に回して、「回生ブレーキにしたって、モータは回せば回すだけ熱を出すわ。こっちの燃料タンクはまだ目一杯、不利だけどペースを引っ張る側なら」
「苦にはならない」監督が片頬に悪い笑み。「モータ車が乗ってくるうちは、な」
「そういうこと」麗が頷く。「ここは攻めに攻めなきゃね」

 最終コーナ、抜ければホーム・ストレート。歓声が直に押し寄せる。
 先んじる。モータ車。急加速。
 負けない。クロはなお加速。モータ車へと追いすがり、その尻――スリップストリームへ。
 高速域の空気抵抗を穿って進めば、背後には空気の隙が生まれる。称してスリップストリーム、ここでは空気の圧も減る。空気抵抗が減れば車体の負荷も減じる道理、先頭を追い込む駆け引きが生まれる。
 猛加速。モータ車。クロを引き離しにかかる。さりとてクロは気圧の谷、吸い付いて離れない。
 焦りが見えた。加速が鈍る。駿がすかさずアクセル開放、なお加速しながら鼻先を――ずらす。
 外れた。スリップストリーム。視界が拓ける。空気抵抗が襲い来る。だがクロにはまだ慣性、残った速度に重ねて絶叫。
 抜いた。沸いた。歓喜の怒涛をくぐって抜ける。再び先頭、クロが第1コーナへ殴り込む。

「さぁて、」監督がモニタの一つ、最終コーナへ眼を投げる。「連中にも気張ってもらわにゃな」
 第2集団、V12勢が押し寄せる。頭を押さえる重石がなければ、ライン取りにも自由が利く。虚を衝く急展開から我へと帰り、庭たる直線を力でねじ伏せ、オーケストラが追い上げる。
「そうね」麗が頷き一つ、「彼らにもペース作りに〝協力〟してもらわなきゃ」
 端末へ麗が眼。出資達成率――30.4%。
「言うねぇ」監督が一つ顎をしごいて、「まあ気合いと勝つ気は有り余ってる面々だ。指くわえて見送ってなぞくれまいよ――これでお膳立ては整ったかな?」

 目論見通りの高速展開――ただしそれは、楽な戦いを意味しない。
 エンジンとモータを攻め立てるような加減速、横G厳しい急旋回、針穴を通すかのように繊細なライン取り――そしてそれら全てを掻き乱す、駆け引きと意地とせめぎ合い。
 しかもクロとモータ車、先頭2台で話が終わるわけもない。背後には隙を窺いV12勢、牙を研ぎつつ追いすがる。勢い疲労は募る一方、力ばかりが攻め手ではなくなる。

「ピットへ?」麗が眉をわずかにひそめた。
 全行程の3割強。第2集団を引っ張っていたV12がピット・ロードへ。それも1台2台ではない。
「そう考えたか」監督が腕組み、「こっちのピット・インを先読みしてきたな」
「タイアの負担?」麗が指先、顎をなぞる。
「そういうこと」監督は気持ち声を低めて、「この綱渡りだ、負担はどこより接地面に現れる。多分タイアは2度ヘタる」
 このコースなら、タイア交換の相場はレース中に1回というところ。ただし今回の高速展開、タイアの負担はそれでは済まない――そう見たチームが、しかも複数。
「こっちのタイア交換中にぶち抜こうって算段さ」監督が示して思案顔。「鬼のいぬ間がタイムの稼ぎ時ってね」
 ライヴァルと競り合う最中より、クリアな進路で理想のラインを追う方が、周回速度はもちろん上がる。
「つまりピットの入り方ってのは、立派に戦術のうちってわけさ」
 そこでV12の一台が隣の作業エリアで停止した。その様を監督が見守る。
 わずか数秒、隣のV12が咆哮を上げた。タイア交換からやや長引き、給油スタッフが後退していく。発進――と同時に監督がストップ・ウォッチを切った。眼を落とす。「3.5秒、か」
 監督は思案の間を一泊空けて、無線を開く。「駿」
 しばし間をおき、『こちら駿』
「次でピットへ」監督が明言。「ピット・インだ。考えがある」
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