曰くつき物件

文字数 1,411文字

I県T市でアパートを借りた時の話。

『何でこんなとこ引っ越してきたの、悪いことは言わない、やめた方がいい』

入居初日、開栓作業に来ていたガス屋が真顔で言った。
築十数年、鉄骨造二階建てのその物件、よく見かける平凡な外観だ。辺りは沼地のような畑が広がり、国道が目の前だが夜は街灯一つ無い暗い場所。青く塗装された鉄の外階段が異様に映り、周りの雰囲気を一層暗くしていた。
簡単にピッキングされそうな玄関ドアを開けるとすぐ右手にキッチン、左手にはドアを閉めると座れないほどコンパクトなトイレ、不自然な位置に洗面台、脱衣所は設けていない暗く狭い風呂場。奥には綺麗めな畳の部屋が二間あり、南向きで日当たりは申し分ない。上下それぞれ4戸の計8世帯居住可能な物件だが、清掃も満足にされておらず、洋式便器のこびり付きが目に付く。かと言って、相場より安いわけでもない。近くにコンビニも何も無く、車が無いと不便なので、駐車場が二台込みというところで謎のお得感に丸め込まれた気がしないでもない。

『家賃いくらだったの?』

唐突に聞かれ素直に答えると、不自然に言葉を選びながら話を続けるガス屋。
現在住んでいるのは単身赴任中の中年男性、シングルマザー、独身中年女性と、うちを含め4世帯。いずれも入居後一年未満で、今まで住んだ人も数ヶ月程度で退去しているそうだ。

『早く引っ越した方がいいよ』

意味深にそう言い残しガス屋は帰って行った。しかし、そんな話を聞いても特に怖さや不安は無く、新生活が始まった。
 
 荷物搬入前、害虫駆除剤を二つ焚き数時間放置し戻ると、床中に大量の虫の死骸。こんなに身を潜めて居たとは、バル〇ン恐るべし。窓を開け、掃除を続けること数時間、南向きの部屋はすっかり暗くなっていた。

 数日後、布団を敷けるくらいに綺麗になった我が家。平日休日問わず友人知人も来て楽しく過ごし、くたくたに疲れて帰宅した日は、雨戸を閉め死んだように眠れるほどなかなかいい居心地。ここに来る前に6年住んだアパートでは毎日昼夜問わず怪奇現象に悩まされていたので、よく眠れるここに居心地の良さを感じるのは自然か。しかし平穏な日々は続かず、越してきてたった一ヶ月で地元へ戻らねばならなくなってしまった。自分の意に反し、強制移動させられることとなったが、やはりこの物件には何かの力が働いてるのだろうか。短期間ではあったが、何も無くなった部屋に礼と別れを告げその場を後にした。

 地元へ戻って数ヶ月、元同僚から電話が有った。その内容は、私の退去後その部屋に入居したカップルが交通事故で重体というものだった。住み始めてまもなくのことだったらしい。一命はとりとめたようだが、その後直ぐに退去。そして思い出した、ガス屋が言ってた話の続き。

『中年男性はノイローゼなのか寝込むようになり、中年女性は病気で引きこもり、シングルマザーは居るのか居ないのか見かけない、今まで住んだ人も無事かどうか…』

最後までアパートの住人を見かけることは無かったが、幸い私は何事もなく、むしろぐっすり眠れたあの部屋に感謝している。ひとつ気になったと言えば、最初は家に遊びに来ていた友人が誘っても来なくなったこと。外では以前と同じように会っていたのだが、誰一人来なくなった。
何か言いづらいことがあったかどうかは今となっては知る由も無い。

ちなみにこの物件は令和現在も入居者募集中で、心理的瑕疵が有ったかどうかは未だ謎である。


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