第5話 三隈の本音

文字数 3,609文字

三隈(みくま)が乗った自転車は、通学路を走り抜け、かなり広い敷地の自宅の前に着いた。

 門を開けて通り抜け、納屋の中に自転車を止めて降り、リュックを前かごから取り出して、玄関に入った。玄関で靴を脱ぎ、階段を駆け上がって二階の自分の部屋に入った。

 リュックを学習机の椅子に掛け、コートを脱いでハンガーに掛けた後、制服のままベッドの上に寝転んだ。 

 そして、仰向けのまま大きく深呼吸をした。

 「あー、もうやだやだ。私はお嬢様なんかじゃない、普通の女の子なのに、何で、お嬢様になるのー」

 そう言って、天井をじっと見つめた。

ややあって、三隈は手足をバタバタさせながら、大声で独り言を言い出した。

 「私はお嬢様なんかじゃない、本当のお嬢様はきれいだし、頭もいいし、私よりずっと上品だし、なんで普通の子の私をお嬢様なんて呼ぶの、もう、いやっ」

 叫ぶようにそう言うと、また天井をじっと見つめ、それから目を閉じて何度か深呼吸をして、次第に呼吸をゆっくりとするようになった。気持ちを落ち着けるためだった。

 三隈はここに移住するまで、東京にある中高一貫の進学校に通っていた。
 世間一般の水準からするとお嬢様なのかもしれないが、本当のお嬢様と呼ばれるような人は、同じ学校に通っていても、何代も続く老舗企業の娘や先祖が何百年も遡れる家系の子、やんごとなきお方のご学友に選ばれるような女性を指すものだと三隈は思っている。

 だから、普通の女子だと思っている三隈にとって、"お嬢様"と言われることは、彼女にとって苦痛でしかなかった。

 しかし、彼女の親権者となっている祖父母はこの地の旧家で、江戸時代は名主としてこの土地を治め、戦前はこの辺り一帯の地主になっていた。戦後の農地改革で田畑こそ約二.六ヘクタールに減ったが、山林や原野の所有権は所持したままだったので、戦後も材木の販売や工場誘致などで地域に貢献していたこともあり、今でも"名主様"と敬意を持って呼ばれていた。

 そして、彼女はその祖父母の唯一の孫なので、地域の人からは、"名主様の跡取り娘"となる。そのため、"お嬢様"と呼ばれるのは仕方がないことである。

 だが、三隈は高校に進学する直前まで、この祖父母の存在すら知らなかったのだ。

 他人の家に居候するような違和感をいまだに拭えずにいた。

 - あんな事さえなければ、そのまま高等部に進学できたのに、こんなイヤな思いをしなくて済んだのに - 

 三隈は寝転んだままじっとしていたが、ゆっくりと身体を起こした。そして苦笑いをしながらため息をついた。お腹が空いたのである。

 期末テスト最終日だったため、学校は午前中に終わっていた。家に帰る前にジンの店に寄ったため、昼食をまだ食べていなかった。

 彼女は、ベッドから降りて制服を脱ぎ、上下スウェットに着替えた。

 そして、一階のリビングダイニングに降り、やや遅めの昼食を食べた。その後食器を洗って片付け、再び二階の自分の部屋に戻った。

 髪をまとめていたゴムバンドを外して鏡台の上に置き、ベッドに腰掛けた。そしてゆっくりと身体をベッドに横たえた。

 三隈は天井を見ながら、ゆっくりと目をつぶった。頭の中に次々といろんな考えが思い浮かんだ。  

 - 仕方がないとはいえ、なんでこんな田舎で暮らさないといけないの、ス〇ーバ〇クスのコーヒーやフラペが飲みたい、浦安のファンタジーなテーマパークに遊びに行きたい、アキバや乙女ロード、まるきゅーに行きたい。高等部に進学したみんなは元気にしているかな。新しい友達が出来て、私のことを忘れているかもしれない - 

 三隈が、東京の生活に思いをはせるのは当然である。

 何事もなければ、両親と三人で東京で暮らし、高校生活を満喫していたはずである。

 それが、中等部三年の冬の終わりに両親が突然事故で亡くなるという、十五歳の少女にとって想定外の事態が起きた。

 三隈はショックで寝込んでしまい、駆けつけた伯父夫婦や伯母にしばらく介抱してもらった。

 彼女の精神が何とか立ち直り、気持ちの平衡を取り戻した後、今後の事を自分一人で考えて決めなければならないという、過酷な現実が待っていた。

 九州在住の父方の伯父や伯母は、大学卒業まで面倒を見るから一緒に暮らさないかと誘ってくれたが、両親との思い出が詰まった家で暮らすことにこだわった三隈はその話を受けることをためらった。

 しかし、親戚を頼らない場合、三隈は役所から"孤児"と判定されて養護施設へ入所しなければならない事を知った。

 同時期に通っている学校から、中等部卒業後は他の高校に進学して欲しいと言われ、三隈は途方に暮れていた。

 そんなとき、両親がもしもの時の事を考えてあらかじめ依頼していた弁護士がやって来て、三隈に両親の遺産の事や今後のことについて話をしてくれた。そして彼は、母方の祖父母が健在であることを彼女に教えてくれた。

 母親から祖父母はすでに亡くなっていると教えられていた彼女は、驚きのあまり固まってしまった。
 そして弁護士が、伯父をはじめとする父方親戚の実態を説明し、父方の親戚誰もが借金を抱えており、頼ると両親の遺産を奪われ捨てられる危険があること、母方祖父母の心情や経済状況が良好で遺産の横領は考えにくいこと、祖父母が三隈を大切に扱ってくれることをていねいに説明してくれたことで、両親と弁護士が相談して出した方法を聞いた。

 話を聞いた彼女は、最初その祖父母に親代わりをしてもらうことで、今通っている学校の高等部に進学できないか弁護士に尋ねた。

 弁護士は先に祖父母と会っていて、二人の意向で既に学校と交渉していた。しかし、学校の回答は保護者と同居していない生徒は受け入れられないという事だった。

 ガッカリした三隈は、残った選択肢の中で、遠い九州や養護施設に行かないで済ませるためには、両親が考えた母方の祖父母に頼る方法しかないと覚悟をして、祖父母の元に身を寄せた。

 覚悟したつもりだったが、やっぱり十代の少女にとって、誰も知り合いがいない場所で暮らすことによって、心に負担がかかっていた。

 それだけでもつらいのに、"お嬢様"として祖父母を大切にする"健けな気げな孫娘"を演じなければならないということも、より心に負担がかかった。

 なぜ、健気な孫娘を演じなければならないのか。

 それは、外に一歩出ると周囲の好奇の視線ならまだしも監視の目が光っているからである。

 あの娘は本物の孫娘なのか、本物の孫娘であっても財産目当てでやってきたのではないか、跡目を継いだら財産を売り払って母親のように"蒸発"するのではないかという、猜疑心を含んだ冷たい視線を周囲から注がれてきたからである。

 近所の人たちは、母が実家から"蒸発"したことや、残った一人息子が事故で亡くなり跡継ぎがいなくなった後、"蒸発"したはず娘の子と称する女の子がいきなりやって来た事を知っているため、財産目当てだと疑われることは仕方がないことだと三隈は理解している。

 しかし、財産目当てにやってきた怪しい女という見方は、三隈に言わせれば、いいががり以外の何物でもなかった。

 母から、祖父母は既に亡くなっている、家は貧乏で苦労続きだったから昔話はしたくないと小さい頃から聞かされて育ち、父も否定しなかったから、その話を何の疑問ももたず信じていた。

 生きていると聞いた時は驚きのあまり、固まってしまったくらいだった。

 しかも、その祖父母の家が地域の旧家だと教えられた時は、安っぽいゲームのヒロインか下らないラノベの主人公にされたような感じになった。
 だが、安っぽいヒロインもどきになってしまったのは、残念な事実だった。

 そして、その安っぽいヒロインであることを周囲が求めている以上、身の安全を図るために"ヒロイン"を演じ続けなければならない。

 明日の自由を勝ち取るために、今は耐えるしかない。

 考え疲れて、考える事を止めた三隈が目を開けると、窓から差す日差しが西に傾いている。考え込んでいるうちに少し眠ったらしい。

 ベッドの上で寝ていた三隈はベッドから起き上がり大きなため息をついて、ベッドを降りた。

 - 考えても仕方ない。今日を生きないと明日を見る事はできない -

 父親が考えに迷った時、呪文のように唱えていた言葉を頭に浮かべた三隈は、鏡台に置いてあるゴムを取って髪の毛をまとめた後、自分の部屋を出て行った。

 - 今日もすることはたくさんある、まず洗濯物の取り込みをしよう -

 今日しなければならない事を数えながら、リビングダイニングに行くため階段を降りていった。
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