下駄箱、例のアレ。

文字数 1,548文字


卒業式の日に桜が咲いているのは漫画の中でしか見られない景色だった。実際にはただの殺風景な風景が広がって、どちらかと言うと冬に近い。
雪解け、そして春になると、テレビ画面は咲き始めた桜と共に、卒業式の様子を映し、それを見る度、私は中学校での例のアレを思い出す。
学生時代の生活は、主に部活が主軸にあった。
元々、小中高と、学校の勉強が好きではなかった私は、特に中学時代など、部活以外の目的で登校したことなどなかった。
 あの中学は、片田舎の中学校にしては人数の多い、所謂「マンモス校」だと言われていた。
一年生の冬休みの終わり頃、一つ上の先輩達は、そろそろ「アレ」があるな、とにやりとする。休みの間に、人数の多い部は校内清掃の一部を手伝う事になっていたのだ。私達の部は一、二年生の生徒玄関の清掃が恒例だった。
外はまだまだ寒く、玄関は特に極寒だった。私達は、まず掃除の担当場所をそれぞれグループ分けされ、カーペットや廊下玄関前の清掃、下駄箱の中の拭き掃除、靴置きトレイ洗いなど、各自分担して仕事を行う。
特にトレイ係は地獄だ。
下駄箱とトレイは濡れた雑巾で拭かなければならない。勿論、全校生徒分を、だ。しかも、場所が無いので、全てのトレイを下駄箱から一つ一つ抜いては外に出し、そこで作業をしなければならないのだ。作業に飽きると、皆雑巾を勢いよく振り回し、カチカチに固まらせて遊んでいた。
半日かけて、零度以下の気温の中、全員手を悴めながら、震えながら作業を終えた。終わった後は、寒さと疲労とで、とにかくどっと疲れていたが、私はこの時間が嫌いじゃ無かった。
やがて二年生になり、私は後輩達に、冬になれば「アレ」があるよ、とあの先輩と同じように、にやりとしながら言うのだった。
 三年生の冬休み明け、部活も夏に引退していた私は、登校時、靴を履き替えようと下駄箱の蓋を開け、ふと自分のトレイを見た。そういえば、前より、綺麗になっているような。ああ、例の「アレ」か。
周りをよく見渡すと、やはり玄関全体が、以前より綺麗になっている。
私は結局の所、学校が好きではないので、特に思い入れなどないつもりでいたのに、見ているうちに、これまでの日々が思い出されて、センチメンタルに憂う。たった三年の月日は永遠のように長く感じていたが、今思えば、やはり短くあっという間だ。その「色々」が、もう遠い出来事のようだ。
この靴箱を使うのも、残り僅か。
卒業して、もうここに来ることが無くなれば、
この下駄箱や玄関は、また別の誰かが使うのだろう。同じ様に、其々が葛藤や不安や期待を抱えて、この場所で共に過ごすために。
艶がかった下駄箱に触れながら、自然と笑みが溢れた。寒かっただろう。きっと指先を真っ赤にしながら拭いた筈だ。
北国の卒業式には、桜は間に合わない。卒業生は、溶けかかった雪を背景に写真を撮ることになる。
 下駄箱の蓋を閉め、外の方を向くと、誰かが半開きにしたドアから、きりりと冷たい北風が、磨かれた玄関と私を吹き抜けて、私は、それが桜が舞うことよりも嬉しかった。
「旅立ち」というには大袈裟で、「別れ」というよりもっとはれやかなこの門出を、祝って貰えたような、そんな気がした。
 その日、見た?あの下駄箱、と例のアレが元部員達の間で小さな話題になった。トレイの拭き方が甘い、自分たちの時はもっと隅々まで丁寧に掃除したものだと、偉そうに語ってみたりもして。先輩達も、みんなこんな気持ちだったのだろうか。全員、高校の進路も決まり、刻々と卒業のみが近づく中、下駄箱が綺麗になっていた、というたったそれだけの事が、とても誇らしく感じた。くすぐったいような、少し寂しいような、様々な記憶と感情が浮かんでは、雪降る寒空に消えた。

 そして桜が咲く前に、私は卒業した。
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