平和を歌う学び舎にしのびよる漆黒の権力
文字数 2,884文字
第七話 革命と称えられる平和への歌声
その日の捜査会議の冒頭で魔訶不思議な報告がなされた。ひとつはベトナム国籍の女性、ユン・アンバパーリ―に関して。南ベトナム政府に身元を照会したところ国籍ナシとの回答があった。
もう一つは赤井沙也加の本籍に関してのもの。所在は長崎県壱岐郡〇町にある古い教会(基督教)だった。現地の警察に問い合わせたが戦後は誰も居住していないとの返信があった。
??
捜査員たちは一様に驚愕する。捜査対象者の身元が割れないことは初めてだった。大抵は身元からその人物の生い立ちを類推する。また一手段として親族を辿り、人質にしてマル被の行動を抑止する。
さらに驚くべきことが情報処理技官からなされた。〇大の赤井沙也加と□大のユン・アンバパーリーの写真がスクリーンに左右に並べて 映し出され、これは同一人物である可能性が98%と発表された。
髪の色が黒と赤茶色、服装がジーンズ姿と民族衣装であるアオザイ。でもそれらを置き換えてみると、確かに姿形と顔付は同一に見える。また技官は現住所の女子寮に赤井沙也加の在籍を確認した。が、答えはノー。
これはどういうことか? 二人は同時刻に別の地点で活動をしている。これには両大学の潜入捜査官も認めざるを得ない。また、どちらの所在も確認出来ない。何処に潜伏しているのか?
なるほど。CIAが血道をあげる訳だ。身元不明の同一人物(双子)? アメさんから見れば敵対国のスパイにしか見えない。
ただ、彼女の平和への主張は米国だけに向けられるものではない。南北ベトナムの後ろ盾となっている諸国にも向けられている。
どの国もベトナムから手をひいて。
ベトナムの進む途は自らが決める。
捜査は暗礁に乗り上げる。会議室はどよめきで溢れる。しばらくして、園部審議官が声を張り上げた。
「諸君! 我々の成すべきことは捜査対象者の監視。そして日本国や国民に危害が及ぶ恐れがある場合には容赦なく捕縛せよ。相手が幽霊、亡霊だろうが日頃から鍛錬を重ねている諸君なら出来る! 解散、職場に戻れ」
♪「Let it be 」の熱気で学内は溢れかえる。ただし、学生たちは授業に粛々と参加し、ストなどは一切しなかった。タテカン、バリケードもナシ。平和な活動に終始する
ただ♪「Let it be 」の歌声にのみベトナム人民への平和の祈りをこめる。別に大学側や日本国に異を唱えるものは誰も存在しない。
教える側にも変化がみられる。もともと日頃から世界平和を訴える識者たちだ。
♪「Let it be 」の活動は学問を学ぶ友柄の正しいあるべき姿。賛同する教授たちも現れた。彼らも学生と一緒に合唱する。
栄作たち捜査官はこうなると成す術がない。見守ることしか出来ない。
ある日のこと、学生会館の掲示板に〇大総長の『檄文』が掲載された。〇大は御一新(明治維新)の志士が創った学び舎。時宣を得て、学生に言動の指針を問う『檄』で名高い。伝統に則り和紙に毛筆で記される。
学生諸君
我々は己が学問以前に
そもそも平和を学ばねばならない
それは先の大戦で端緒を開いた日本国民の責を問うものでもある
平和とは何か
答えは平穏な日常にある
挨拶を交わし 稼業学業を成し 夕暮れには家族で団欒を交わす
当たり前のことが他者に奪われてはならない
我々は焼夷弾 原子爆弾に晒された民である
いかに戦禍が悲惨であるかを識る唯一の民族と謂える
果て、学生諸君の成すべきことは何か
我々は二度と刃をとることを止した
では何が出来るのか
それはベトナム人民に寄り添い、
彼の地に平和が届くよう、声が嗄れるまで唄うことである
Let it be
〇大 総長
オォー!!
これを見た学生たちは歓喜の唸り声を張り上げ、拍手喝采した。
三万の学生が集う〇大はこうして平和への狼煙をあげた。
マスコミ各社は ♪「Let it be 」革命と賛辞した。
面白くないのは米国。そしてさらに、我々が本家と考える革命の戦士たち、革共連、青社連。小林栄作は嫌な予感がしていた。
捜査会議で、栄作は発言を求めた。
「目下恐るべきは、革共連、青社連の妨害行為であります。赤井沙也加よりは彼らに注視すべきかと。それから米国大使館の動きも気になります」
「具体的には?」
園部審議官が応じる。
「はい、夏休み前、授業日程を終えた処で、大掛かりな♪「Let it be 」集会が学生会館前で行われます。ここが一番危ないかと」
「出来るだけ具体的に」
「おそらくは革共連、青社連たちはこの機に動乱に持ってゆきます。集会場に火炎瓶を投げたり建造物の破壊工作に出ます。つまり治安警備の機動隊の出番を待つ。奴らは♪「Let it be 」革命を自分たちと同じにしたいのです」
園部審議官は頭を捻る。
「だが、どうやって阻止する? 方法があるか?」
「はい、公安警察官の多数の動員を願います。周囲に張り込んで革共連、青社連の妨害を阻止します」
「よし、分かった。考えておこう」
だが、園部審議官は別のことを考えている。その脚で、警察庁警備局警備企画課情報第二担当理事官(キャップ、通称・裏理事) の元を訪ねる。理事官室は極秘で内部には入れない。誰も裏理事の顔を知らない。
指定された部屋で無線のみの会話となる。室内には大型の鏡がある。これは監視鏡(マジックミラー)になっている。裏理事からは部屋の様子が見通せる。
「例の〇大の危険分子『マリア』は(♪「Let it be 」革命)寸前まで事を重大化させています。やはり米国大使館の危惧通りであります。大使館より連絡はあるのでありますか?」
「うむ。あらぬことか、『マリア』に味方する捜査官も居るそうだが」
「はい、確かに」
「我々は自国の利のため、国家防衛のためにある。いつ今の米国になるやもしれぬ。アメリカは今回の戦争では途を誤った。先の大戦、朝鮮戦争と大義は我にありと過信していた。民主主義も過ぎればただの覇権主義。怖いのう」
くぐもった声。フィルターがかかっている。公安のトップは政府からも独立している。時の政府が自国の利にかなっていなければ制裁を科す。(暗殺も含まれる) それだけ自由に動き回れる。
では誰がその権限を有するのか? 答えは不明。
「それでも、今は米国のあと押しをする。米大使館の諜報員が革共連、青社連のセクト代表者たちに武器を供与している。最新の小型火炎放射器、催涙弾、閃光弾。協力の見返りは海外への逃亡。奴らは国内に留まれば終生公安に追われる。未だ国情不安定な中東に行って共産革命を成したい者も多い」
「では、我々の職務は何でありますか?」
「♪『Let it be 』革命が起きれば革共連、青社連の協力者が動乱を起こす。そこに警備警察の機動隊二千人が動員される手筈になっておる。我々は何も成すな。重要人物の動きのみを監視せよ!以上」
「は、理事官、了解致しました!」
その声は狭い室内に大きく響き渡った。
その日の捜査会議の冒頭で魔訶不思議な報告がなされた。ひとつはベトナム国籍の女性、ユン・アンバパーリ―に関して。南ベトナム政府に身元を照会したところ国籍ナシとの回答があった。
もう一つは赤井沙也加の本籍に関してのもの。所在は長崎県壱岐郡〇町にある古い教会(基督教)だった。現地の警察に問い合わせたが戦後は誰も居住していないとの返信があった。
??
捜査員たちは一様に驚愕する。捜査対象者の身元が割れないことは初めてだった。大抵は身元からその人物の生い立ちを類推する。また一手段として親族を辿り、人質にしてマル被の行動を抑止する。
さらに驚くべきことが情報処理技官からなされた。〇大の赤井沙也加と□大のユン・アンバパーリーの写真がスクリーンに左右に並べて 映し出され、これは同一人物である可能性が98%と発表された。
髪の色が黒と赤茶色、服装がジーンズ姿と民族衣装であるアオザイ。でもそれらを置き換えてみると、確かに姿形と顔付は同一に見える。また技官は現住所の女子寮に赤井沙也加の在籍を確認した。が、答えはノー。
これはどういうことか? 二人は同時刻に別の地点で活動をしている。これには両大学の潜入捜査官も認めざるを得ない。また、どちらの所在も確認出来ない。何処に潜伏しているのか?
なるほど。CIAが血道をあげる訳だ。身元不明の同一人物(双子)? アメさんから見れば敵対国のスパイにしか見えない。
ただ、彼女の平和への主張は米国だけに向けられるものではない。南北ベトナムの後ろ盾となっている諸国にも向けられている。
どの国もベトナムから手をひいて。
ベトナムの進む途は自らが決める。
捜査は暗礁に乗り上げる。会議室はどよめきで溢れる。しばらくして、園部審議官が声を張り上げた。
「諸君! 我々の成すべきことは捜査対象者の監視。そして日本国や国民に危害が及ぶ恐れがある場合には容赦なく捕縛せよ。相手が幽霊、亡霊だろうが日頃から鍛錬を重ねている諸君なら出来る! 解散、職場に戻れ」
♪「Let it be 」の熱気で学内は溢れかえる。ただし、学生たちは授業に粛々と参加し、ストなどは一切しなかった。タテカン、バリケードもナシ。平和な活動に終始する
ただ♪「Let it be 」の歌声にのみベトナム人民への平和の祈りをこめる。別に大学側や日本国に異を唱えるものは誰も存在しない。
教える側にも変化がみられる。もともと日頃から世界平和を訴える識者たちだ。
♪「Let it be 」の活動は学問を学ぶ友柄の正しいあるべき姿。賛同する教授たちも現れた。彼らも学生と一緒に合唱する。
栄作たち捜査官はこうなると成す術がない。見守ることしか出来ない。
ある日のこと、学生会館の掲示板に〇大総長の『檄文』が掲載された。〇大は御一新(明治維新)の志士が創った学び舎。時宣を得て、学生に言動の指針を問う『檄』で名高い。伝統に則り和紙に毛筆で記される。
学生諸君
我々は己が学問以前に
そもそも平和を学ばねばならない
それは先の大戦で端緒を開いた日本国民の責を問うものでもある
平和とは何か
答えは平穏な日常にある
挨拶を交わし 稼業学業を成し 夕暮れには家族で団欒を交わす
当たり前のことが他者に奪われてはならない
我々は焼夷弾 原子爆弾に晒された民である
いかに戦禍が悲惨であるかを識る唯一の民族と謂える
果て、学生諸君の成すべきことは何か
我々は二度と刃をとることを止した
では何が出来るのか
それはベトナム人民に寄り添い、
彼の地に平和が届くよう、声が嗄れるまで唄うことである
Let it be
〇大 総長
オォー!!
これを見た学生たちは歓喜の唸り声を張り上げ、拍手喝采した。
三万の学生が集う〇大はこうして平和への狼煙をあげた。
マスコミ各社は ♪「Let it be 」革命と賛辞した。
面白くないのは米国。そしてさらに、我々が本家と考える革命の戦士たち、革共連、青社連。小林栄作は嫌な予感がしていた。
捜査会議で、栄作は発言を求めた。
「目下恐るべきは、革共連、青社連の妨害行為であります。赤井沙也加よりは彼らに注視すべきかと。それから米国大使館の動きも気になります」
「具体的には?」
園部審議官が応じる。
「はい、夏休み前、授業日程を終えた処で、大掛かりな♪「Let it be 」集会が学生会館前で行われます。ここが一番危ないかと」
「出来るだけ具体的に」
「おそらくは革共連、青社連たちはこの機に動乱に持ってゆきます。集会場に火炎瓶を投げたり建造物の破壊工作に出ます。つまり治安警備の機動隊の出番を待つ。奴らは♪「Let it be 」革命を自分たちと同じにしたいのです」
園部審議官は頭を捻る。
「だが、どうやって阻止する? 方法があるか?」
「はい、公安警察官の多数の動員を願います。周囲に張り込んで革共連、青社連の妨害を阻止します」
「よし、分かった。考えておこう」
だが、園部審議官は別のことを考えている。その脚で、警察庁警備局警備企画課情報第二担当理事官(キャップ、通称・裏理事) の元を訪ねる。理事官室は極秘で内部には入れない。誰も裏理事の顔を知らない。
指定された部屋で無線のみの会話となる。室内には大型の鏡がある。これは監視鏡(マジックミラー)になっている。裏理事からは部屋の様子が見通せる。
「例の〇大の危険分子『マリア』は(♪「Let it be 」革命)寸前まで事を重大化させています。やはり米国大使館の危惧通りであります。大使館より連絡はあるのでありますか?」
「うむ。あらぬことか、『マリア』に味方する捜査官も居るそうだが」
「はい、確かに」
「我々は自国の利のため、国家防衛のためにある。いつ今の米国になるやもしれぬ。アメリカは今回の戦争では途を誤った。先の大戦、朝鮮戦争と大義は我にありと過信していた。民主主義も過ぎればただの覇権主義。怖いのう」
くぐもった声。フィルターがかかっている。公安のトップは政府からも独立している。時の政府が自国の利にかなっていなければ制裁を科す。(暗殺も含まれる) それだけ自由に動き回れる。
では誰がその権限を有するのか? 答えは不明。
「それでも、今は米国のあと押しをする。米大使館の諜報員が革共連、青社連のセクト代表者たちに武器を供与している。最新の小型火炎放射器、催涙弾、閃光弾。協力の見返りは海外への逃亡。奴らは国内に留まれば終生公安に追われる。未だ国情不安定な中東に行って共産革命を成したい者も多い」
「では、我々の職務は何でありますか?」
「♪『Let it be 』革命が起きれば革共連、青社連の協力者が動乱を起こす。そこに警備警察の機動隊二千人が動員される手筈になっておる。我々は何も成すな。重要人物の動きのみを監視せよ!以上」
「は、理事官、了解致しました!」
その声は狭い室内に大きく響き渡った。