第24話 新訳、幸福な王子

文字数 3,101文字

すごい人だな
 ホールの収容人数はおよそ三百人。これから始まるのは前座だというのに、既に半分以上が埋まっていた。
本当にジジが出るんすか?
さぁ、な

 俺には断言できない。

 けど、アキトは確信しているのか、いつもの澄まし顔で先導している。

座れそうか?
問題ないよ。前方は予約席だから
 そう言って、アキトはチケットを三枚取り出す。
いつの間に?
勇者と会う前からだね

(ジジの奴。やけに詳しいと思ったら、観る気満々だったのか)

あら? 秋葉君
 指定席に座ると、隣に委員長らしき人。

(俺のクラスの委員長……だったよな?)

あ、どうも

こんなとこで会うなんて意外。

ここの席って中々予約取れないんだよ? 

私なんかは、演劇部に仲のいい先輩がいたからなんだけど

へー
 俺は言葉を濁しながら、アキトに目をやる。
入手経路はマキナのみぞ知る

友達……から、もらったんだ。

それ、今からやる劇の?

 俺は誤魔化すよう、委員長が持っていた冊子に興味を示す。

えぇ。

最初はオスカーワイルドの幸福な王子様

オスカーワイルドって?
作家の名前よ。戯曲サロメが有名かしら
戯曲?
演劇用に書かれた作品で、台本みたいなもの
詳しいんだな

昔、子役をやってたから。

今でも、演劇は好きなの

そうか! なんか聞き憶えがあると思ったら、オスカーワイルドってあの有名な男色家じゃないか!

 こちらの会話を聞いていたのか、アキトが叫んだ。

……うん、そういう事実もある、ね

他にもナイチンゲールとバラ。ドリアン・グレイの肖像。

有名な言葉として『男は愛する女の最初の男になることを願い、女は愛する男の最後の女になることを願う』ってのがあるよね

(先にそれ言えよ。周囲もヒいてるぞ)

 俺はそうツッコミたいのを必死で堪える。

 なんでかって? 

 そりゃ、始まりのブザーとアナウンスが入ったからだ。

 とある街、自我を持った王子の像。

 街の人々の自慢で、宝石や金を纏った体。
 

 そこに一羽のツバメがやって来て、王子の知らない世界を語る。

 貧しい人々、哀しい世界を知った王子は自らの体を与えるようツバメに頼む。


 ツバメはそれを了承し、街中を飛び回る。

 そこにジジはいた。
 貧しい身なりで、若い劇作家を演じている。

 

 ナレーションが入る前から、飢えているとわかった。

 マイクを使わないで、よくそこまで大きな声が出るものだ。

 それも飢餓で今にも死にそうな弱々しい印象を残したまま――

 

 素直に凄いと、賞賛せざるを得ない。
 舞台裏で端役と言っていただけあって、ジジの出番はすぐに終わった。

 冬の訪れ。

 渡り鳥であるツバメは寒さに耐えきれず、死を悟った。

 それでも、最期は王子の傍でと……力尽きた。
 

 そこで、鉛でできた王子の心臓も割れてしまった。

 美しかった体は全て街にいる貧しい人々に与えられ、残ったのはみすぼらしい身体のみ。

 
 だからだろう――街の人々は王子を柱から取り外した。


 そうして、ツバメはゴミ溜め。

 王子は溶鉱炉――

――待ってくれ!

 その台詞に会場がざわめきだす。

(スポットの故障か?)
 暗闇の中、その声は響き渡った。
え? 嘘……シナリオと違う

 隣に訊く前に、パッと光が放たれた。

 一筋の射線。

 暗闇には無残な王子と――

ジジ?
 既に出番を終えたはずの劇作家がいた。
王子は俺たちの自慢だったはずだ! それなのにどうして!
……今の王子はみすぼらしい。サファイアの目もなく、金の体も失った。ただの鉛の塊。……そんなものを街に飾るわけにはいかない

ふざけるな! 

王子は、誰のためにそうなったと思っているんだ?

……そんなものを我々は頼んでいない。王子は綺麗なままでいれば良かったのだ。醜い像に飾る価値はない

おまえたちがそれを言うか? 

おまえたちが王子を作ったから、街の人々に貧困が訪れた。

それを王子は救ってくれたんだ。いつまでも綺麗なままでいれたはずなのに……っ! 

それを犠牲にしてまで、俺たちを救ってくれたんだ!

自己犠牲など下らない。そもそも像の分際で、人間様を救おうなどという考え自体がおこがましい
貴様! それでもこの街の代表か?
あぁ、そうだ。だからこそ、私の決定は絶対だ。覆したければ神でもつれてくるんだな

神なんていやしない。神は、俺を救ってくれなかった。

俺を救ってくれたのは王子だ……

 ジジーー劇作家は項垂れる。

 膝をついて、手で顔を覆いながら悔し涙を流す。


ふんっ、下らない。せっかく裕福になれたというのに……中身は貧乏人のままか

 元の流れは知らなくとも、緊張の緩和は見て取れた。

 このまま元の筋書きに戻る――

御待ちなさい!

 そう思った矢先、また声がした。

 スポットライトよりも早く姿を現したのは――

御待ちなさい

 最後に出番を控えていた天使だった。

 同じ言葉を繰り返し、やっと光に照らされる。

私は神の使いです。

貴方は言いましたよね? 神を連れてこいと

な! そ、それは……

尊い。

この王子はなんて尊いんでしょう。こんな姿になってまで人々を救おうとするなんて

こんな姿になってまで人に想われるなんて……これほどに尊いモノはないでしょう

 天使は王子とツバメを抱きしめた。


 そうして暗転――幕は下りていった。

あれは、どうなんだ?
 幕間は、ざわめきで満ちていた。

きっかけはあの劇作家ね。

そこから、完全なアドリブになっていたわ。

本来なら、天使の出番は王子が捨てられたあとだもの

 天使は悲劇を解決する機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)――ご都合的に、物語を収束させる役目らしい。
あいつは、なにをやっているんだか……
すごいわ
 俺は詰ったつもりだったが、委員長は違う様子。

アドリブは本当に実力のある人にしかできないの。

しかも、彼は綻しないように気を配っていた素振りもみせていたし……ほんとすごいわ!

 委員長はジジを絶賛していた。
 俺自身はオリジナルを知らないのでなんとも言えないのだが……


勇者はどう思った?
凄かった
 アキトの質問にそう答えていた。

 幕間が終わり、エピローグ。
 

 そこは筋書き通りだった。

 天使に連れられた王子とツバメは、天界で幸せに暮らしていた。
 と、思ったらアドリブのアナウンス。

 ただ王子は時々、思い出していた。

 みすぼらしい姿になった自分に手を差し伸べてくれた、一人の劇作家のことを――


 劇が終わり、喝采が降り注ぐホール。

 舞台には役者たちが勢ぞろいで、満面の笑みを浮かべていた。
 そこにジジもいた。

 俺たちに向かって大きく、楽しそうに手を振っていた。
あの劇作家って、秋葉君の知り合いだったの?
あぁ……友達、だ
名前、なんていうの?

……えーと、ジジの名前ってなんだっけ?

 アナウンスで聞いた名前を、俺は忘れてしまった。
十文字マキナ

嘘? それって、十文字広見の息子じゃない? 

……演劇、続けてたんだ

有名人なのか?
確か、父親に〝当て書き〟された役を演じられなくて、辞めたって噂の天才子役
当て書き?

その人に合わせて脚本を書くの。

先に役者を決めて、その人の個性に合わせたキャラクター、物語を作り上げていく手法って言えばわかるかな?

 本当に演劇が好きなのか、委員長は丁寧に教えてくれた。

 役者に当てて書く。

 それは脚本家からの恋文であり、挑戦状でもあると。

そりゃ……怒るわな
 自分の失言を、今更ながら完璧に理解した。
だね
 俺の独り言にアキトが同意する。

でも、僕はいい機会だと思ったよ。

やっぱりあいつは――ってどうしたの?

 俺は含み笑いを隠し切れなかった。

(ジジと同じことを言ってやがる)


いや、なんでも

 お互いに恥ずかしいだろうから、黙っておいてやろう。
 

 俺は訝しがるアキトを放置して、次の演目を楽しみにしていた。


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登場人物紹介

主人公、秋葉(あきば)

諸事情により名前は黙秘。作中でさえ語られないものの推理は可能。

ちなみに母親などから「しーくん」と呼ばれている。

両親がパティシエなこともあり、お菓子作りが得意。

高校1年生だが友達はおらず、クラスで孤立している。


芳野アキト。友人たちからは何故だか「閣下」と呼ばれている。

人を食ったような性格で、何を考えているのかわからない。

ピアノの腕前は天才と称されるほどだが、とある事情から距離を置いている。

秋葉と同じ高校1年生で、彼とは別の意味で浮いた存在。

十文字マキナ。友人たちからは「ジジ」の愛称で親しまれている。

見た目はチャラいものの、発言の多くが著作権に触れかねないほどのオタク。

元天才子役だが、とある事情から舞台を去っている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは幼馴染の関係。

猫田。下の名前は誰も知らない。友人たちからは「ねここ」と呼ばれている。

アキトやマキナと共にいるのが不思議なほど、特徴のない少年。それを自覚してか、語尾で頑張ってキャラ付けをしている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは同じクラス。

四宮初菜(しのみやはつな)、小学1年生。

秋葉の母親の後輩である、和佳子の娘。

年齢に見合わない仕草や影があり、見る人が見れば歪な少女。

江本祥子、小学6年生。初菜にとって、おねーさん的存在。

アキトたちと面識がある様子だが、その関係性は不明。

年齢の割に大人びていて、手が大きい。

四宮和佳子。初菜の母親で年齢は内緒。

秋葉父の教え子であり、秋葉母の後輩。現在は秋葉両親が営むカフェの従業員。

曰く、元キャリアウーマンらしい。旦那とは離婚している。

秋葉の母。女性の菓子職人パティシエール。

夫とは年が離れているからか、年齢の割に少女の面影を強く残している。

秋葉の父。元教師、元彫刻家。現在はパティシエ。

妻との出会いは学校の教師と生徒だが、関係を持ったのは卒業後。

涼子先輩。料理部の部長で高校3年生。

中高一貫なので、中学時代から秋葉のことを知っている。

だが、高校生になってからは一度も会っていない。


 秋葉のクラスの委員長。

 孤立している秋葉を気にかけている。

保険医。サボり癖のある秋葉とアキトが一番お世話になっている先生。

なのに、2人からは名前すら憶えて貰っていない


増田先生。

数学を教えている高校教師で、生徒からは嫌われている。

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