1 トモダチ

文字数 837文字

〝ここではないどこか〟へ行くために、あたしは一人でバスに乗った。
 乗ってしまえば、バスがどこかへ連れて行ってくれる。
 ここにあるのは昨日だけで、あたしの明日はここにはない。だから〝あれ〟の監視を突破して、自分で探しに行こうと決めた。
 気色の悪い、あれ。
 あたしを昨日に縛りつける、あれ。
 あれの監視は厳しいし、あたしは怖くてたまらなくて、ずっと言いなりになってきた。だけど、光る蛇のおかげで、勇気が出た。

     ***

 ゆうべ、光る蛇がささやいた。
〝おまえの明日は、だれのものだ〟
 その蛇は、うんと昔から知っている存在で、何者かはわからないけれど、トモダチだった。
 あれに監視された、暗くて臭くてさみしい部屋で、電気をつけると、照明のまわりにふわふわと現れる。
 ミミズくらいの小さな蛇で、虹色に明滅(めいめつ)しながら光っているから、なかなか正視できないのだが、一匹だけのときもあれば、分身したみたいに複数のときもある。
 いつも、手の届かない、高いあたりを漂っているから、触れられない。
 でもあたしは、光る蛇に、いろいろと話しかけてきた。聞いてもらうだけで、いくらか心が救われた。
 蛇が応えてしゃべったことは、一度もなかったのだけれど。
 ただときたま現れて、ちかちか明滅しながら漂って、あたしの話の聞き役で、蛇はそれだけで、ひとりぼっちのあたしを(いや)してくれた。

 しかし、ゆうべは違った。
 蛇は唐突(とうとつ)に、ふだんよりせわしく明滅し、はじめて言葉を発したのだ。
〝おまえの明日は、ここにあるのか〟
 小雨の音ほどもない、とてもかすかなささやきだった。それでも、あたしにはじゅうぶんだった。
 きっと、なにかが満ちたのだと思った。
 蛇とあたしの間を埋める、なにかが(あるいは逆に、底をついたということかもしれない)。
 その気づきは、あたしを勇気づけ、奮い立たせた。
 そしてあたしは、いてもたってもいられなくなった。
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