鬼子と神隠し
文字数 3,792文字
──異邦の鬼子。
尋常小学校の生徒たちは、そうやって吾妻を冷やかす。
生まれた頃から、周囲より異端の目を向けられていたとはいえ、入学して早々に嘲られた時は、ぐっと喉元に閊えるかのような、酷い熱に冒されたかのような、震える掌で自身の袴を鷲掴むことしかできなかった。
──吾妻の瞳は青い。
大抵の人々が振り返るほどに、冴え冴えと。
もちろん、両親はともに大和の人間であり、不義の子ではなかろうかと疑われもしたが、異国の人間と交流したなんて経緯はないとのこと。だが、どうあれ一度の猜疑は決定的な亀裂を生み、破局した。
(……俺のせい、なのだろう)
昼どきの教室にて、密やかに嗤われるのを苦々しく思いながら、自身の境遇を振り返り、その抗いようのなさに溜息を吐く。
──……ああ、しかし。
吾妻は横目でとある人物を見やる。
深く頭巾を被った同輩の子。肌が弱いため露出を控えているようだが、隙間より零れる髪や伏し目がちの長い睫毛は白く、窺える美しい形の目にその瞳は、怪しげな紫の光沢を放つ。
白子の少年──九條辰巳。
華族の坊ちゃんで、帰り際に女中に迎えられている姿をよく見る。此の世の者とは思えないほど神秘的な容姿をしており、吾妻が嘲りの対象であれば、辰巳は畏れの象徴として忌避された。
とはいえ、上級生にとっては己の蛮勇さを誇示してやろうとばかりに。背中を押したり玩具の鉄砲玉を当てようとしたり。辰巳も泣けばまだ可愛げがあろうものを、ずっと俯いて耐えているだけ。
そんな境遇であるがゆえに、吾妻と辰巳は一緒にいることが多くなった。
だが、
決定打となったのは、いつだろうか。
あれはそう。
尋常一年生の頃──……。
※※※
「鬼子は退治せねばならん、それ────ッ」
同輩や上級生が木の棒なりパチンコなりを手に、追い駆けまわすものだから堪ったものではない。突っ立つ辰巳の手を取り、吾妻は逃げた。
どこへ走れば良いか。先生のところへ行っても口をへの字に曲げて、男なら立ち向かえなんぞと言う、無駄足であろう。兎にも角にも、隠れられる場所を探して、追尾を掻い潜り、辿り着くは、校舎裏にある古い土蔵。
両手を広げるように開かれた観音扉と、裏白戸と網戸を横に引いて中へ。蜘蛛の巣は張っていないが、満足に清掃が行き届いていないため、差し込む陽光が舞い降りる埃を浮き彫りにする。
きょろきょろと吾妻は見回して、茶黒に艶めいた長持に目を止めた。この大きさであればふたりとも入れる。
「────つッ」
七つには重たい蓋。和櫃錠はとうに錆びて壊れているようだが、出入りするにも一苦労。途中から辰巳も協力して漸く開かれる。幸い中身は空洞。よいしょと股を広げて、ふたりとも定位置についたところで閉じた。
暗闇──互いの息遣い。
包囲する古い木の匂い、ざらりとした木の面の感触、
ふと掠める柔らかな香り。辰巳からだ。きっと良いものを着ているのだろう。その衣が、吾妻の羽織と擦れる音──。
視覚では捉えられない状況、必然的に他の感覚が鋭くなっていき、より隣の存在を意識してしまう。
吾妻は思う。はたして、これで良かったのだろうか。
咄嗟のことだったとはいえ、強引に連れ出してしまった。いい迷惑だったのではないか。自分に掴まれるのは嫌だったかもしれない。華族の坊ちゃんが平民の子とだなんて──不愉快に違いない。
掴んでいた手を、吾妻は恐る恐るほどこうとする。しかし、それに反して隣の少年から、強く、痛いぐらいに、逃がすまいと握り締めてきた。ギョッとした。どう反応すれば良いのか判らなかった。
微かに、震えている。
(……ふあん、……なのか)
狭く暗い空間、外には追い駆けまわす者たち。助けもいない。皆が皆、鬼子だと異邦の子だと囃して、囲って、逃げ場を失い、哀しくて、悔しくて。
(……なんだ、よかった)
場違いな安堵だ、吾妻とて百も承知である。しかし、あの時、手を掴んだのは正しかったのだと、隣の少年も同じ思いを抱いていたのだと、それが判っただけでも幾分か楽になった。
じっと、ふたりは手を握り合った。
一刻、一刻、過ぎていく──……。
「──……あの」
吾妻は軽く揺すられる。
そこで、はじめてまどろんでいたことに気付いた。
黒く塗り潰された視界にて、手探りに相手のほうを向く。表情は見えない。しかし、か細い声音がその心境を物語っているかのよう。
「どうか、しましたか?」
「……すこしあけて、そとをみて」
吾妻は小首を傾げたが、言われるがまま重い蓋を少し開けた。
──目を、疑った。
三間の三和土は十二畳の座敷に、四方を圧迫した壁や雑多なものは消えて、正面と右側には松竹梅模様の襖、左側は障子の開け放たれた縁側より、緑豊かな庭が望む。
狭く、噎せ返るような埃が漂う空間は、瞬時と美しい屋敷の室へと変貌を遂げていた。夢を見ているのだろうか。隙間より窺う吾妻は、ただ唖然と。
ふと、
少し開いた襖奥より、白魚のような足先が覗く。
夜空に咲く花火がごとくの、彼岸花模様の着物が──……。
「とじてッ」
鋭さを浴びた声とともに、強引に蓋が下りる。
再びの暗闇のなか。吾妻の視線は、あの光景に固定されたままに、まるで、催眠術を掛けられたかのよう。いや、実際に患っていたのかもしれない。辛うじて意識を保っていたのは、辰巳より肩を押さえられていたから。
────すっ
────すっ
────すっ
何故だ──重厚な長持越しでも判る。
畳を擦る着物と素足の歩みは、一片の迷いもなくこちらへ。
恐怖はない。むしろ当たり前のような気さえしてくる。
吾妻は、さきほどまでの違和感が払拭されて、どう立ち振る舞うかを考え始める。勝手に上がり込んで、隠れて、咎められるのではなかろうか。発見されてしまえば言い訳も立たない。いっそ、潔く外へでて、謝ってしまったほうが良いのでは。
吾妻の肩をもつ辰巳の掌に、力が籠った。
「……ちがう、ちがうんだよ」
耳元で囁かれた。その静謐な声は、一粒の雫が波紋を広げるがごとく。
「でたらだめ。へんじをしてもいけない。じっとすべきだ」
ぞくりと全身に震えが走った。どっと汗が浮かぶ。靄かかった思考が、その輪郭を明瞭にしていくように、吾妻を正気へと引き戻す。
(……いま、おれはなにをしようとした?)
──素足が止まった。
脚を折り曲げて座り、指先が長持の表面を優しく撫でる様。見えているはずがないのに、一つ一つの優美な所作が、鮮明に脳内へ映し出される。恐らく、女性なのだろうと思いながら
歌が聞こえた。
──ねんねんころりよ、おころりよ。
──坊やはよい子だ、ねんねしな。
──坊やのお守りはどこへ行った。
──あの山越えて、里へ行った。
──里の土産になにもろた。
──でんでん太鼓に、笙の笛。
──起き上がり小法事に、豆太鼓。
──さあ、坊や、
────でておいて。
すべてを受け入れるがごとく、穏やかな誘い。
吾妻は、泣きたくなるような衝動に襲われた。駄目だ──今度こそ、なにがなんでも逢いたいと、この女性に──母の腕に抱かれたい。家族に拒絶された七つの少年にとって、それがどれだけ懇願したものであったか。
(……おかあさんッ)
力いっぱい、両手を頂きへ掲げれば逢える。吾妻は肩に置かれた手を振りほどこうとした。
刹那だった。
柔らかな香り、華奢で、小さな腕に吾妻は包まれた。
抱きしめられたのだ、辰巳に。
わかるよ──と。
「……あいたいよね、おかあさんに」
可哀そう、ではなく、哀愁を帯びた共感。ぎゅっと、胸に頭を寄せられれば、心臓の音が鼓膜を打つ。
────どッ────どッ────どッ────。
一定の調子を刻むそれ。さきほどまでの、母を求める渇望は薄れゆく。
そうか──まだ、自分はここに居ていい。生きていいのだ。
言葉はなくとも、温かな感触は、不明慮だった自身を浮き彫りにする。乱れていた心は、沈みきった澱のように澄んでいく。
吾妻は瞼を閉じて、縋りつくように辰巳の背へ両手をまわした。
──先生が見付けるまで、ずっとそうしていた。
※※※
七つの子は連れていかれやすいから──。
あの時のことを聞けば、辰巳からそう教えられた。
今日も今日とて、流行りとはかけ離れた書物を読み、校庭で戦争ごっこに興じる男子の同輩や上級生と混じらない。それは吾妻とて同じではあるが、彼の場合、本当に興味がなさそう。
「七つより前は、子供は神様のものって言われていた」
ひらりと、滑らかな指先で頁が捲られた。
その怪しげな紫の瞳を、活字より外さず、辰巳はつづける。
「そうでなくとも、子供はあちら側に誘われやすい」
とくに僕らのような──と、紡ぎかけていた言葉を吾妻は制した。
思うところがないわけではない。自身があの焦燥に抗える保証さえも。だが、それでもなお、その先を言わせてはいけない気がしたのだ。
苦境に満ちた此の世。
橋の先、隧道の向こう、井戸の底、山中、海の彼方──……駆られる憧憬を胸に、目を逸らし続けるしかない。
そして、
『……あいたいよね、おかあさんに』
青い瞳で辰巳を捉える。
誰よりも、何よりも、恋し焦がれているのは、
きっと──。
鬼子と神隠し<完>
尋常小学校の生徒たちは、そうやって吾妻を冷やかす。
生まれた頃から、周囲より異端の目を向けられていたとはいえ、入学して早々に嘲られた時は、ぐっと喉元に閊えるかのような、酷い熱に冒されたかのような、震える掌で自身の袴を鷲掴むことしかできなかった。
──吾妻の瞳は青い。
大抵の人々が振り返るほどに、冴え冴えと。
もちろん、両親はともに大和の人間であり、不義の子ではなかろうかと疑われもしたが、異国の人間と交流したなんて経緯はないとのこと。だが、どうあれ一度の猜疑は決定的な亀裂を生み、破局した。
(……俺のせい、なのだろう)
昼どきの教室にて、密やかに嗤われるのを苦々しく思いながら、自身の境遇を振り返り、その抗いようのなさに溜息を吐く。
──……ああ、しかし。
吾妻は横目でとある人物を見やる。
深く頭巾を被った同輩の子。肌が弱いため露出を控えているようだが、隙間より零れる髪や伏し目がちの長い睫毛は白く、窺える美しい形の目にその瞳は、怪しげな紫の光沢を放つ。
白子の少年──九條辰巳。
華族の坊ちゃんで、帰り際に女中に迎えられている姿をよく見る。此の世の者とは思えないほど神秘的な容姿をしており、吾妻が嘲りの対象であれば、辰巳は畏れの象徴として忌避された。
とはいえ、上級生にとっては己の蛮勇さを誇示してやろうとばかりに。背中を押したり玩具の鉄砲玉を当てようとしたり。辰巳も泣けばまだ可愛げがあろうものを、ずっと俯いて耐えているだけ。
そんな境遇であるがゆえに、吾妻と辰巳は一緒にいることが多くなった。
だが、
決定打となったのは、いつだろうか。
あれはそう。
尋常一年生の頃──……。
※※※
「鬼子は退治せねばならん、それ────ッ」
同輩や上級生が木の棒なりパチンコなりを手に、追い駆けまわすものだから堪ったものではない。突っ立つ辰巳の手を取り、吾妻は逃げた。
どこへ走れば良いか。先生のところへ行っても口をへの字に曲げて、男なら立ち向かえなんぞと言う、無駄足であろう。兎にも角にも、隠れられる場所を探して、追尾を掻い潜り、辿り着くは、校舎裏にある古い土蔵。
両手を広げるように開かれた観音扉と、裏白戸と網戸を横に引いて中へ。蜘蛛の巣は張っていないが、満足に清掃が行き届いていないため、差し込む陽光が舞い降りる埃を浮き彫りにする。
きょろきょろと吾妻は見回して、茶黒に艶めいた長持に目を止めた。この大きさであればふたりとも入れる。
「────つッ」
七つには重たい蓋。和櫃錠はとうに錆びて壊れているようだが、出入りするにも一苦労。途中から辰巳も協力して漸く開かれる。幸い中身は空洞。よいしょと股を広げて、ふたりとも定位置についたところで閉じた。
暗闇──互いの息遣い。
包囲する古い木の匂い、ざらりとした木の面の感触、
ふと掠める柔らかな香り。辰巳からだ。きっと良いものを着ているのだろう。その衣が、吾妻の羽織と擦れる音──。
視覚では捉えられない状況、必然的に他の感覚が鋭くなっていき、より隣の存在を意識してしまう。
吾妻は思う。はたして、これで良かったのだろうか。
咄嗟のことだったとはいえ、強引に連れ出してしまった。いい迷惑だったのではないか。自分に掴まれるのは嫌だったかもしれない。華族の坊ちゃんが平民の子とだなんて──不愉快に違いない。
掴んでいた手を、吾妻は恐る恐るほどこうとする。しかし、それに反して隣の少年から、強く、痛いぐらいに、逃がすまいと握り締めてきた。ギョッとした。どう反応すれば良いのか判らなかった。
微かに、震えている。
(……ふあん、……なのか)
狭く暗い空間、外には追い駆けまわす者たち。助けもいない。皆が皆、鬼子だと異邦の子だと囃して、囲って、逃げ場を失い、哀しくて、悔しくて。
(……なんだ、よかった)
場違いな安堵だ、吾妻とて百も承知である。しかし、あの時、手を掴んだのは正しかったのだと、隣の少年も同じ思いを抱いていたのだと、それが判っただけでも幾分か楽になった。
じっと、ふたりは手を握り合った。
一刻、一刻、過ぎていく──……。
「──……あの」
吾妻は軽く揺すられる。
そこで、はじめてまどろんでいたことに気付いた。
黒く塗り潰された視界にて、手探りに相手のほうを向く。表情は見えない。しかし、か細い声音がその心境を物語っているかのよう。
「どうか、しましたか?」
「……すこしあけて、そとをみて」
吾妻は小首を傾げたが、言われるがまま重い蓋を少し開けた。
──目を、疑った。
三間の三和土は十二畳の座敷に、四方を圧迫した壁や雑多なものは消えて、正面と右側には松竹梅模様の襖、左側は障子の開け放たれた縁側より、緑豊かな庭が望む。
狭く、噎せ返るような埃が漂う空間は、瞬時と美しい屋敷の室へと変貌を遂げていた。夢を見ているのだろうか。隙間より窺う吾妻は、ただ唖然と。
ふと、
少し開いた襖奥より、白魚のような足先が覗く。
夜空に咲く花火がごとくの、彼岸花模様の着物が──……。
「とじてッ」
鋭さを浴びた声とともに、強引に蓋が下りる。
再びの暗闇のなか。吾妻の視線は、あの光景に固定されたままに、まるで、催眠術を掛けられたかのよう。いや、実際に患っていたのかもしれない。辛うじて意識を保っていたのは、辰巳より肩を押さえられていたから。
────すっ
────すっ
────すっ
何故だ──重厚な長持越しでも判る。
畳を擦る着物と素足の歩みは、一片の迷いもなくこちらへ。
恐怖はない。むしろ当たり前のような気さえしてくる。
吾妻は、さきほどまでの違和感が払拭されて、どう立ち振る舞うかを考え始める。勝手に上がり込んで、隠れて、咎められるのではなかろうか。発見されてしまえば言い訳も立たない。いっそ、潔く外へでて、謝ってしまったほうが良いのでは。
吾妻の肩をもつ辰巳の掌に、力が籠った。
「……ちがう、ちがうんだよ」
耳元で囁かれた。その静謐な声は、一粒の雫が波紋を広げるがごとく。
「でたらだめ。へんじをしてもいけない。じっとすべきだ」
ぞくりと全身に震えが走った。どっと汗が浮かぶ。靄かかった思考が、その輪郭を明瞭にしていくように、吾妻を正気へと引き戻す。
(……いま、おれはなにをしようとした?)
──素足が止まった。
脚を折り曲げて座り、指先が長持の表面を優しく撫でる様。見えているはずがないのに、一つ一つの優美な所作が、鮮明に脳内へ映し出される。恐らく、女性なのだろうと思いながら
歌が聞こえた。
──ねんねんころりよ、おころりよ。
──坊やはよい子だ、ねんねしな。
──坊やのお守りはどこへ行った。
──あの山越えて、里へ行った。
──里の土産になにもろた。
──でんでん太鼓に、笙の笛。
──起き上がり小法事に、豆太鼓。
──さあ、坊や、
────でておいて。
すべてを受け入れるがごとく、穏やかな誘い。
吾妻は、泣きたくなるような衝動に襲われた。駄目だ──今度こそ、なにがなんでも逢いたいと、この女性に──母の腕に抱かれたい。家族に拒絶された七つの少年にとって、それがどれだけ懇願したものであったか。
(……おかあさんッ)
力いっぱい、両手を頂きへ掲げれば逢える。吾妻は肩に置かれた手を振りほどこうとした。
刹那だった。
柔らかな香り、華奢で、小さな腕に吾妻は包まれた。
抱きしめられたのだ、辰巳に。
わかるよ──と。
「……あいたいよね、おかあさんに」
可哀そう、ではなく、哀愁を帯びた共感。ぎゅっと、胸に頭を寄せられれば、心臓の音が鼓膜を打つ。
────どッ────どッ────どッ────。
一定の調子を刻むそれ。さきほどまでの、母を求める渇望は薄れゆく。
そうか──まだ、自分はここに居ていい。生きていいのだ。
言葉はなくとも、温かな感触は、不明慮だった自身を浮き彫りにする。乱れていた心は、沈みきった澱のように澄んでいく。
吾妻は瞼を閉じて、縋りつくように辰巳の背へ両手をまわした。
──先生が見付けるまで、ずっとそうしていた。
※※※
七つの子は連れていかれやすいから──。
あの時のことを聞けば、辰巳からそう教えられた。
今日も今日とて、流行りとはかけ離れた書物を読み、校庭で戦争ごっこに興じる男子の同輩や上級生と混じらない。それは吾妻とて同じではあるが、彼の場合、本当に興味がなさそう。
「七つより前は、子供は神様のものって言われていた」
ひらりと、滑らかな指先で頁が捲られた。
その怪しげな紫の瞳を、活字より外さず、辰巳はつづける。
「そうでなくとも、子供はあちら側に誘われやすい」
とくに僕らのような──と、紡ぎかけていた言葉を吾妻は制した。
思うところがないわけではない。自身があの焦燥に抗える保証さえも。だが、それでもなお、その先を言わせてはいけない気がしたのだ。
苦境に満ちた此の世。
橋の先、隧道の向こう、井戸の底、山中、海の彼方──……駆られる憧憬を胸に、目を逸らし続けるしかない。
そして、
『……あいたいよね、おかあさんに』
青い瞳で辰巳を捉える。
誰よりも、何よりも、恋し焦がれているのは、
きっと──。
鬼子と神隠し<完>