じゅうに

文字数 1,698文字

 午前9時。始業のチャイムとともに相原さんが時計の方に移動した。俺は「よし」と言いながら皆より少し早く立ち上がった。月曜日の朝礼ほど気怠いものはないが、今日は違った。午前中にプロジェクトの会議がある。つまり、これから熱戦を繰り広げることになるのだ。朝礼はいつの間にか終わり、立っているのが俺1人だけなのに気付いた。俺は財布を手に取り、自動販売機でちょっと良い缶コーヒーを買って席についた。

「早乙女さん、珍しいですね。缶コーヒーなんて」

「たまにはちゃんとしたものを飲まないとな」

「会社のコーヒーがちゃんとしてないみたいじゃないですか」

「そりゃあ悪かったな」

 橋本との会話もそこそこに、書類の整理を始めた。恐らくいつもの倍以上捗っているのではないだろうか。早く仕事を片付けて、イメージトレーニングをしないと。打倒上野さん。いや、俺は打倒される側か。そうしないと、辞める流れになりにくくなる。

 会議の5分前に、俺はトイレのドアを開けた。顔を洗い、鏡の前でネクタイを締め直す。「よし」と声に出して、魅力的に見える表情をしてみせたつもりだったが、目がギラついている。俺はもう1度「よし」と言ってドアを開けた。


「早速ですが、今日は若手の離職率を下げるための具体案を出していただこうと思います」

 半田さんが仕切り始めると、いつものように上野さんが口を開いた。

「うーん、やっぱり採用側で何とかする方法しか思いつかないなぁ。例えばだけど、圧迫面接してみるとか?」

「そうですよね!それなら忍耐力みたいなものが見ることができると思いますし」

 この2人は自分たちを改善しようとする気がサラサラ無いのが分かった。ここから俺が怒涛の反撃を始めよう。高鳴る心臓の鼓動が俺の気持ちを更に昂らせた。俺が口を開いた瞬間から、新しい人生がスタートするのだ。

「圧迫面接をしたら状況が良くなるのですか?根本的な解決にならないと思いますよ」

 ほんの一瞬で会議室の空気が凍りついた。半田さんは驚いた様子だったが、一方で2人は俺をジロリと睨みつけている。

「それは一例であって、他にも案はありますけど」

「じゃあどういう案があるのか、教えてくださいよ」

 俺は上野さんを煽り、それ以上に自分を鼓舞した。

「それをこれから考えていこうっていうことなんじゃないの」

 上野さんの語気がだんだん荒くなってくる。板橋は保身からか、会話に入れずにいる。

「今、何も案が出ないというのは、日頃からこの件に対する問題意識が無いということですよ」

「そこまで言うなら案があるってことでしょう?言ってごらんなさいよ」

 良い感じだ。このリズムでどんどん関係が悪化すれば良い。『上司と意見が合わない』状況を演出していくことで、俺が会社を辞めやすくなるからだ。

「まあまあ・・・」

 見兼ねた半田さんの仲裁を咄嗟に右手で制止して、俺は続けた。

「そもそも離職したい人の理由を知る必要がありますよね?アンケートでも雑談でもして現状を把握するのが大事だと思うんです」

「なるほど」

 半田さんが俺の顔を見て頷いている。

「あなたたちは採用側が悪いって言いますけど、教育も採用と同じくらい大事なことだと思うんです」

 完全に俺の独壇場になっている。話をやめたくても、アドレナリンがそれを許さない。

「例えばですが、面接官をしていて退職理由を聞くと、『上司と意見が合わない』っていう人が多かったんです。それって若手だけでなく上司に問題がある可能性もありますよね?」

「上司にも研修や教育を受けさせるってことか?」

 半田さんの言葉に俺は首を縦に振った。

「それも考慮に入れるべきだと思います。皆さんは想像だけで語っていますよね。事実を分かっていないくせに採用側のせいにしているんですよ。恥ずかしくないですかね?」

「ちょっと言い過ぎじゃない?何よその言い方」

「早乙女、一回待ってくれ。これじゃあ話し合いにならない。とりあえず、各々でできることを考えよう」

 半田さんが強制的に会を閉めた。すると、上野さんは机を両手でバンッと叩いて会議室を出て行ってしまった。板橋も俺たちの方をチラッと見て、後を追うように出て行った。
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