第10話

文字数 3,032文字

 廊下で揺れている先生風船。それに突進していくカー太の軌道を塞ぐように、ミサイルが飛ぶ。

 カー太は瞬時に回避演算をこなした。ジェットを一秒の半分の半分の半分だけ切り、速度を落とす。カー太の鼻先を掠めたミサイルが、廊下の天井に突き刺さる。

 コンクリートの天井が轟音とともに粉砕された。ぱらぱらと小石大の雨が降りそそいだ。天井にぽっかりと開いた穴から空が見通せる。沈みゆく夕陽の投げかける朱が、極めて風流と言わざるを得ない。

 穴から入り込んだ風に吹かれて、風船たちが浮き上がった。私はカー太がどう動くかじっと見据えた。カー太は風船たちを追うことはせずに、じいと私の方を見ている。私を、効率よく風船を割る上での、最大障害と判断したらしい。

 その右翼の中ほどから、うぃぃんと何かが生えてきた。細い筒だ。

 サブマシンガンの銃身である。酷い武装である。昨今カラスがゴミを漁るには斯様な重武装が必要なのであろうか。

「メカねこ、逃げて!」
「カー太、止まれ!」

 止まらず、カー太は掃射を開始した。かたたたたた、と私の前脚の先の廊下に弾丸が食い込み、細かく破片が跳ねて舞った。
 私は後足で廊下を後退しながら、右と左の動きを混ぜて回避を行う。あられもない動きができないのが残念。

「わ、避けてる!」
「すごいよメカねこ!」

 すごいのだよ大輝殿。これくらいの芸当はできる。私はメカねこだから、サブマシンガンの弾丸を避けるくらいわけはない。難しいのは大輝殿をさびしくさせないことだ。

 私は動き回りながら、途切れなく思考演算を巡らした。カー太の弾道計算は正確で、私の回避運動も捉えている。私の進行方向と速度を細かいフレームで踏まえつつ、それでも確実に私を打ち抜く軌跡を算出し、発射しているのだ。付け入る隙は、射出された後。射出前にカー太が計算した私の動きのパタンと、射出後の回避パタンを変化させることで、カー太の計算を狂わすことができる。

 だが徐々に厳しくなっていくのがわかる。カー太が私の回避運動をすべて記憶して弾道計算に組み込み、演算を補正してきている。私もカー太の攻撃パタンを記憶し補正をかけるが、精度で負けている。演算処理性能の違いと言える。このままではそのうち追い詰められる。私は反撃を考える。

 ロケットミサイルは使ってしまった。左脚のパンチンググローブしかあるまい。私は弾丸をかわしながらタイミングを窺った。データベース記載のカー太のスペックを考えると頃合だ。一秒。二秒。弾丸の掃射がやんだ。弾切れである。基本的かつ致命的である。

 私は後足に力をこめると、廊下を一気に駆け出した。後退し続けたぶんのカー太との距離を、一足飛びにぐぐんと詰める。

 カー太よ、なかなかよくやった。演算の速度と正確さは素晴らしい。自慢のジェットも凄かった。サブマシンガンも良い武装。


 だがその程度で大輝殿が笑わせられると思うのかっ。


「だめだ!」
「あぶない!」

 だだだと廊下を疾駆する私のマイクは、大輝殿たちの叫びをキャッチした。はてなと上を見上げると、カー太の左翼の先端から、太い砲塔がにょきりと生えて、私の方に向けられている。

 対戦車砲である。酷い武装である。カー太よ、いったい貴様は日頃何と戦っているのだ。

 次の瞬間、私の中で、警告イベントが多発した。回避運動の計算処理が、要求時間内に終了せぬという警告の嵐だ。止まるか、右へ跳ぶか、左へ跳ぶか? 止まるなら急激に止まるか、ゆっくり止まるか、あるいはスキップでもするか? 跳ぶならどちらの脚から踏み出すか、何ニュートンで踏み出すか? 左後足関節の角度と右前脚の速度比の調整は? 入射角は? 加速度は? モーメントは?
 今、何問目?

 カー太がアホウアホウと鳴き声を再生した。せめてカアカアにしてほしい。そんな思考はできるのに、運動演算はループに陥ったまま、結果が出ることのない現状維持だ。私の身体は止まることも跳ぶこともせずに、一直線に走り続けている。

 私は観念した。

 最期のときの振る舞い方をデータベースに問い合せると、走馬灯のようだという記述がある。なんでしょうか走馬灯って。

 検索を走らせる時間はなかった。カー太が照準を少しもぶらさないまま、対戦車砲の発射命令を起動したのがわかった。

「メカねこ! しんじゃやだあ!!」

 砲弾が射出されるのを、私の高性能カメラアイは捉えた。大輝殿の声は射出音でほとんど潰されたはずだが、私はその波形を聞き取ることができた。さらばだ大輝殿。私はこれから砲弾に突っ込み、怒涛の根性勝負を挑0.003むのだ。


 視界が反転した。


 私の右前脚はがくっとバランスを崩した。へたりこむように上体が折れて、床が迫ってくる。すごく迫ってくる。


 べたーん。


 私はすっ転んだ。

 すっ転んだ私の頭上を、砲弾が轟音をまとって通り過ぎた。

 教室の壁に穴を穿ち、机と椅子をぐちゃぐちゃに引き倒し、窓ガラスを完膚無きまでに粉砕すると、勢いを失って校庭へ落ちて行った。

「すごい! メカねこ、避けたよ!」

 うむ。すごいのだよ大輝殿。私は立ち上がりカー太を睨んで四肢を踏ん張った。カー太は宙にぴたりと静止したまま、今何が起こったのかわからない様子で検証演算を走らせている。
 こけたのだよ、カー太。私はこけたのだ。


 ――こけると人間は幸せになるのだ!


 隙をつき、私はカー太に跳びかかった。左前脚内のスプリングを解き放つと、真っ赤なパンチンググローブが飛び出す。パンチは正確にカー太のテンプルを打った。くるくると錐揉みしながら、カー太の身体が吹っ飛んでいく。が、ジェットを噴射させ、ぴたっと宙で静止した。耐えたのだ。

 カー太はこちらに向き直ると、鋭利なクチバシを突き出した。ぐるりぐるりと回転を始め、ジェットを爆発させるタイミングを窺っている。おのれ、もう打つ手がない。ジェットが青い火を噴いた。凄まじい勢いで突進してくるカー太の身体は、さながら一つのミサイルと化す。私は念仏を唱えた。カー太は念仏を唱える私の頭上を通り抜けていき――

 勢いのまま廊下の奥の壁に激突した。

 両の翼と両脚を広げた大の字で、壁に激突してそのまま張り付いている。

 なんだ、カー太。なんだそれは。
 私は困惑した。

「ぷっ」
 と背後で声がした。

 振り返ると、教室の入り口から顔を出した大輝殿と亮太が、壁に張り付いたカー太を指差して、まじまじと目を見開いている。二人で顔を見合わせて、どちらからともなく相手をつついた。

「ぶっ」とさらに噴き出すと、すごい、すごい勢いでぶつかった、と、腹を抱えて笑いはじめる。
 カー太が壁からぺらりと剥がれて床に落ちると、涙を流しながらばしばしと膝を叩きはじめた。

 それを見ながら、私は呆然としていた。

 そんな馬鹿な。

 カー太め、爆笑をとりやがった。私がまだ一度もとっていない爆笑を、大輝殿から引き出しやがった。私のコケのときより、大輝殿はずっと盛大に笑っている。

 敗北感に打ちひしがれる私の通信ポートに、リモート通信が入った。


〝0.0039〟


 床にのびたままぴくぴく震えているメカカラスは、その秘密の数値情報だけ、私に伝えてきた。
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