文字数 5,904文字

 真実達が加奈を見舞う前に時間は戻る。

 斎は和矢に加奈の容態について報告した。危機的状況は脱した、という第一声に、和矢は安堵のため息をつき、それから大きくうなだれた。

「結局、僕は役に立たなかったわけだ」
「後方支援も、きちんとした役割ですよ。和矢様」
「……やめてくれないか。斎にそういう口調で言われると、座りが悪いというか……ムズムズして、気色悪い」

「……ひどい言いようだな。まあ、ともかく、体調は改善傾向にある。というか、奇跡的に回復した。もっと言うと、奇跡が起きた」

「具体的に」
「腹壁外傷および脾臓損傷による出血性ショック、外傷性気胸もしくは肺損傷による喀血及び呼吸困難、というのが到着時の僕の見立て。実際、左側背部中央に刃渡り十センチ超えの果物ナイフが上向きに根元まで刺さっていた。こんな刃物持ち歩くなんて、銃刀法違反だからね。笹木健太の機転で、ナイフを抜かずに止血したおかげで、外出血は多少抑えられたが、気胸と腹腔内出血はどうしようもなかった。普通に救急車で搬送していても、到着時死亡はまぬがれなかった可能性が高い。が」
「三上さんは、助かった。喜ばしいことだね」

「うちの診療所に運んで正解だったよ。別に、うちの医療班が優秀だと言っているわけじゃない。こんなこと、一般の病院で判明したら、大騒ぎだ。あの出血量で、


「ナイフは?」
「マフラーに巻き付いたまま、きれいに抜けていたよ。血まみれでね。念のため超音波検査とCTも行ったが、臓器損傷も発見できない。のに、腹腔内に血液はあるんだ。念のため排出用の管を入れたよ。傷ひとつない体に、わざわざ傷を付けてね。出血した血液はそのままだし、貧血も改善したわけじゃない、完全に治癒しているわけじゃない。しかしまあ、生命の危機は脱している。最低ラインではあるが循環動態も意識レベルも安定している。輸血と念のために抗生剤も投与している。明日には起き上がれるだろう。もともと若くて健康なんだから、その後は順調に回復するだろう」
「確かに、奇跡だね」
「どうせなら、出血も含めて、すべて治していってくれるとありがたかったんだけどな」
「それは望み過ぎだよ。傷をすべて修復してくれただけでも、すでに人知を超えているんだから。生命危機を脱しているだけ、ありがたいことだ。あとは自分達で何とかしろ、って辺りが、

、な」
 決して人間を甘やかさない試練(を与えることが)好きなところが、こんな危機的な場面でも如実に表れている。試練と言っても、何とかできるレベルよりもう少し甘いのは、かなり大盤振る舞いの方だろう。

「もう一つ、奇跡。樽筆山の木々が、再生している。イルミネーションのLEDライトはほぼ全滅だったけど、燃えたはずの木は、折れたもの以外は、燃えた形跡が残っていない。あの雪の効用なのかな?」
「それこそ奇跡だね。……それが、誰によるものかは、君では分からないか?」
「ああも、皆で囲まれてはね。ただ、その顕現の仕方を考えると、可能性として一番高いのは……ヒマラヤの加護を持つ者、だろうね。和矢には予想がついているんだろう?」
「一概には言えないが。そうでなくとも、あの一族が勢ぞろいだからな。君が邪魔しなければ、僕自身の目で確認できたのに。正彦君を寄こすなんて、卑怯だよ」

 巽だけなら、強引に突破できたのに。
 押しとどめようとする巽や珠美を振り切ってゲストハウスから飛び出した和矢を、駆け付けた正彦は「斎が無理って言ってるものは無理なんだ! 俺が諦めたのに、お前は行くのか?!」と怒鳴りつけた。
 断腸の思いで俊のもとには行かず、自分のために戻ってきたという正彦に、和矢は逆らうことができなかった。
 冷静さを取り戻し、弓子経由でイベントの現場責任者にゲストハウスに周辺から避難してきた見物客を誘導するよう指示してもらった。
 明日の朝刊には、季節外れの落雷でイルミネーションのライトがショートし、イベントはしばらく休止、とでも掲載されるのだろう。

 そう、少女ストーカーによる凄惨な刺傷事件も、山火事も、

ことになる。

「で、あの子は? 拘束してあるんだろう?」
「ああ。しかるべき機関に送致するよう、手配はしてある。大丈夫、命までは取らない。それが、#あなたの__・__#意向だから」

 にやっと、斎は不敵な笑みを浮かべたが、その目に嘘は感じなかった。あえて「あなたの」と強調し和矢の意志を尊重する気持ちがあることを示したのだろう。

「……ありがとう」
 命じれば済むことではあるのだろうが、和矢は友人として謝意を示したかった。斎が本気で厭えば、和矢の指示など意に介さないであろうことも、何となく分かっていた。和矢の意志を尊重してくれるのは、斎の自分への好意の表れであり、それは友人としての自分への好意であることを、和矢は感じていたので。

「それと、例の男だが、……どうやら、いくつもの人格を抱えているようだ」
「多重人格か?」
「ああ、病名で言うと解離性同一症、というやつだね。アイツを引き取った井川鉄臣が虐待をしている、という報告が上がっていたらしいが、それが原因の一つだろう。俊を傷つけようと画策したのは、攻撃性の強い『シバ』という人格のようだ。それに、主人格の『英人』と、幼児人格の『Eight』」
「こんな短時間で、よくそこまで……」

 加奈を搬送し、処置開始を機に引き離し確保したと聞いたが、それからまだ二時間程度しか経っていない。
「もう一人、調整役を兼ねた父親人格が、説明してくれたんだよ。その名が……『シンヤ』」
「『シンヤ』……? まさか……」
「そう、君の父の名だ。といっても、あくまで井川英人にとっての、だけどね。冷静で理知的で愛護的……理想の父親、というところだろう。組織に英人の虐待被害を通報したのも『シンヤ』のようだね。あと……井川英人の財力を培ったのも」
「井川英人の財力? 『オミ・インターナショナル』の資産ではなく?」

「それがどこを調べても、英人が略奪・横領した形跡は見つからなかった。どうやら、わずかな個人資産を使って、デイトレードやベンチャービジネスで増資していったようだ。それを主導していたのが『シンヤ』らしい。さすがに十歳やそこらの子供が会社経営はできないから、表向きの代理人は立てていたようだけど。大したもんだよ。主導したのは別人格とはいえ、英人本人に素養がなければできることじゃない。恐るべき才能だ。研究所も井川鉄臣も見る目がなかったな。彼を『ロスト』にしたなんて。顕現するかも分からない不可思議能力より、よっぽど使い道がある。できれば、うちに欲しい」

 僕に欲しい、の間違いじゃないのか? 和矢が心の中で突っ込みたくなるくらい、斎の目が本気すぎて怖い。唐沢家の蔵で、国宝級の壺について語っていた時の目の色と同じだ。

「……諸刃の刃じゃないのか? 攻撃性の強い『シバ』がある限り、いつ手を咬まれるか」
「それについてなんだけど。もう一人、欲しい人物がいる」
「三上さんか? まあ、彼女がいると、どうも落ち着いている様子だけど」

「いや、笹木健太だ」

「健太……?」
「監視していた『影』からの報告では、あの緊急事態にあって、ベストに近い対処をしたようだ。まあ、素手で血液に手を突っ込むなんて衛生的には問題があるが、人命には代えがたい。カメラマンだって聞いたけど、別に戦場に行っていたわけでもないんだろう? なのに、修羅場慣れしているな」
「僕の記憶も不確かなんだけど、子供の頃、確か非合法の治療所を手伝っていたんだ。父が死ぬ前だけどね。まあ、つい最近もインドで三年もフラフラしていたらしいから、生命力というか、生活力の強さは保障するよ。でも、そんな人材、君の所にだってたくさんいるだろう?」
「まあね。でも僕は、単に肝が据わった猛者が欲しいわけじゃない。井川英人の楔役として、彼が欲しい」
「楔?」
「ああ、今、井川英人に付き添っているのは、笹木健太だ。俊と一緒に、血だらけの彼を洗って、服を着せ替えて。それを、素直に受けているんだ。僕達を散々引っ掻き回したあの井川英人が」
「呆然自失として……いるわけでもないのか。自分の中の人格について話せるくらいだから……」
「さらにすごいことに、あの俊が、あんなに『シバ』に恐怖していた俊が、今の井川英人には全く恐怖感を持っていない。健太と一緒に、かいがいしく英人を世話するなんて、……ほのぼのを通り越して、ちょっと背筋が寒くなった」
「バカなこと言って。健太がいるからだろう? 彼は、健太にかなり心を許しているから、安心しているんだよ。ちょっと、立場は逆転している気がしないでもないけど」

「そこなんだよ、僕が笹木健太を欲しい理由も。英人の人格のうち、『Eight』と『シンヤ』は、健太に親愛の情を持っている。『Eight』に至っては、依存に近い。そして、攻撃人格の『シバ』は本来『Eight』を守るために発現した人格だから、『Eight』が安定していると、あまり表に出てこないだろう。まあ、和矢に対するネガティブな感情はあるみたいだから、油断はできないけど。俊や英人をあっさり手懐けるあのタラシっぷりは、もはや才能だよ」

「……英人の力の顕現を見れば、自ずと答えは見えているけどね。逸話的にも、あの二柱はムルガンに甘い……けど」
 そのためだけに、健太を英人の傍に置くのは……いや、英人が手の内なら、結果的には健太も自分の手の内に置くようなものなのだけど……そこには俊もついてきて……でも、しかし。
 
「別に四六時中、英人のそばについて居ろっていうわけじゃない。ちゃんと、和矢の分も取っておくから」
「な……?」
「和矢も相当なついているよね、笹木健太に」
「な……!」
「照れない、照れない。ちょいワルぶって巽をおもちゃにしている時より、よっぽどいい顔しているよ。和矢の精神安定剤としても、重宝しそうだな。やっぱり、絶対手に入れよう」

 狙った獲物は逃さない、とでもいうように目をギラつかせる斎に、和矢はいずれ健太が、自分でなく斎の手の内に落ちるであろう未来を予見し、彼に振り回される健太の将来に想像し……まあ、仕方がないか、と納得する。
 斎の言うように、これが一番平和的に俊を手元に置き、英人の手綱を握る良策であることには間違いない。

 とりあえず、それはそれとして。
「ところで、健太の様子を報告した者がいるということは、その場に警護の者がいたんだろう? 結果的には丸く収まったとはいえ、ことが起きる前に、防げなかったのか?」
「痛いところついてくれるなあ、さすが和矢。うん、彼女を護衛することは命じていなかったんだよね。失敗失敗」
「おい……」
「まあ、護衛対象最優先は俊と美矢ちゃん、だったから。あの場に二人がいた以上、うちの者は徹底的にそれを優先するんだよ。だから、僕の采配ミスは認めるよ。もっと精進しないといけないな、と反省。ハイ終わり」

「……次はないように頼む。できれば、もう誰かが傷つくのは、見たくない」

「うーん。だったら、和矢が本殿に戻れば一番いいと思うけどね。俊も健太も掻っ攫って。組織の力を使えば、いくらも合法的に見せかけてできるだろう?」
「……それは、そう言う方法は取りたくない。彼の意志は尊重したい」

「とことん甘ちゃんだよね、君。そんな風に、あんまり面白みのない建前ばっかりだと、僕は飽きるよ? ちゃんと本音で相手してくれないと。真実を話せなんて言わないけどね。本当の思いは、伝えてくれないかな? 一応、君を守る立場にはあるんだから、希望は言って欲しいなあ。察して、とか、僕が一番嫌いな努力だから」

「……人にはそれを求めるくせに」

「基本、人間なんて、他に求めるものの方が多くなるものなんだよ。それに僕が求めているのは、論理的思考での『察して』であって、そばにいるだけで黙って気持ちを読んでほしいなんて望んじゃいないよ。て言うか、それを周りに望むのは、身勝手だし。……まあ、たまに、そういうことができる人間もいるけどね。正彦クンとか森本さんとか。無策無能なふりをしてベリベリと人の仮面を剥ぎ取っていくからね。それも無意識に。あの無知の知タイプの人間が、一番怖い」
「ひどい言いようだな。斎が大好きな二人のクセに」

「逆だよ。だから好きなのさ。で、和矢の望みは?」

「……俊君の力は、彼自身の危機か俊が大切に思うものを守るためにしか顕現していない。今この環境から切り離しても、井川英人のように暴走しかねない。時間をかけて、はっきりした目覚めを待つべきだ。それには陰陽和合(シャクティ)の片割れが必須だろう。まだ、やっと美矢と心を通わせたばかりだ。まだ、美矢が真実その存在なのかは分からないけれど、そもそも神話を紐解いても、()御柱(みはしら)は、他者にその存在をあてがわれることを厭う。自ら欲した存在以外受け付けない。それには、健全な環境で、彼の成長を待つ必要があるんだ。そして、この極東の小さな島国の、地方の一都市に、これほどの数の神の依代(クマリ)が集うことは、本来ならありえない。それには、何かしらの意味がある。だから、もうしばらく、僕もこの地で見極める必要がある……というのが建前」

「うん」
「僕はまだ、この地で、暮らしたい。せめて、高校を卒業するまでの、あと一年でいい。弓子さんと美矢と、当たり前の日々を過ごして、俊君や斎や正彦君とお弁当を食べながら雑談したり、巽を弄ったり、部活やいろんなイベントに参加したい。……京都に修学旅行にも行きたい」

「……最後にめちゃめちゃ本気の本音が入っている気がするけど。あと、人の弟の扱いが酷くないかい?」
「そういう風に教えたのは斎だけど?」
「まあ、僕も和矢と国宝を愛でる旅はしたいな。うん、気に入った。唐沢宗家の威信に賭けて和矢の身を守ることを進言しておくよ。気が済むまで、日本の生活を満喫するといいさ」

「……ありがとう」

 結局、組織の力から離れることはできないのだけれど。でも。
 せめて、もう少しだけ。このまま。
 
 
 和矢自身が、予見した、極東の島の一地域に、神々の依代が集うことの意味。
 それが具現するのは、もう少し後の話となる。




※作者注
斎が言っているように、刃渡りが一定以上長い刃物は、果物ナイフでも正当な理由のない携帯は禁止です。法律で処罰されるのでアウトドアでも要注意ですよ。刃渡りが短くても、他人を傷つけるために所持するのも法律に触れます。カッターとかも対象です。
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  • 序章

  • 兆し
  • 第一章 麗しき転校生

  • 2
  • 3
  • 4
  • 第二章 甦る悪夢

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第三章 黄昏の魔性

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第四章 凍てつく瞳

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第五章 疾風の帰還者

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第六章 忘れられた守り手

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第七章 嵐呼ぶ遭遇

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第八章 蔦絡まる紅葉

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第九章 消しえない絆

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十章 交錯する狂気

  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十一章 見えない虹

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十二章 哀哭の二重奏

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十三章 冬空を貫く雷光

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 第十四章 蒼き氷雪の曙光

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 終章

  • 火種

登場人物紹介

高天 俊(たかま しゅん) 17歳 県立石町原高校2年生。美術部所属。

 黙っていても威圧感があり、目を合わせると人をフリーズさせることから、ついたあだ名は「氷の視線を持つ男」。でも、本人には威圧する気も凍らせる気も全くなし。コミュニケーションは苦手で周囲と壁をつくりがち。

 親友の正彦に冷淡に接しているように見えるが、言葉が少ないだけで、ちゃんと大切に思っている。

 転校してきた遠野和矢の妹、美矢に対し、他とは違う関心を寄せ始めているが……。

遠野 和矢(とおの かずや) 17歳 県立石町原高校2年生 美術部所属。

 俊のクラスの転校生 父が日本人、母がインド人のハーフ 1歳下の妹の美矢とともに美術部に入部した。

 白薔薇や蓮に例えられる華やかで超然とした美貌の持ち主。

 両親と離れ叔母の家に居候している。

 常に笑顔を絶やさないため、あらぬ誤解を(主に女子に)受けがちだが、性格は生真面目。意外とミーハーなところもある……らしい。

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