第23話 『 碧天王家の七恋歌 1 』 星華蘭の雅歌 (1991.秋〜冬) 2 

文字数 1,536文字


 「御無事でなによりだ、姫君」
 「礼はいおうぞ。したが、あれしき」
 無用な手出しじゃと、まだ紅みのさす頬のそっぽを向けて、言う。
 たしかにあの身のこなしなら多少の危難は自力で解決できたにちがいない。
 が、考える前にからだが動いてしまったのだから、しかたがないではないか?
 「それは、すまなかった」
 苦笑をこらえた少年はにっこり笑って口ではすなおに謝まり頭まで下げてみせる。
 大人ぶった相手の対応に、今のはやはり自分のものいいが礼儀からはずれていた行儀知らずだったと自覚したのか。
 むっ、と困った顔で朱唇をへの字にまげる。
 歳のころなら十一、二歳か。
 幼なさには似合わぬ豪奢な正装束の白絹がみるも無惨にもののみごとにあちこち鉤裂けていた。
 きちきちに結われていた黒髪も荒技のせいで髷(まげ)が乱れて、小さな手が苛立たしげに留めの飾り具をひき抜く。
 その落ちかかる漆黒の滝にかこまれた額(ひたい)は雪のように淡く、光を放つ双瞳は、翡翠(ひすい)をおもわせる碧緑(へきりょく)。
 このあたりではごく普通の黄楊(つげ)色の肌に焦茶の眼をした少年とは、顔だちの彫りの深さからして異なる。
 「失礼だが、西の方(かた)か」
 尋ねると小さい媛(ひめ)はまったいらな胸をはって社交用の笑顔を浮かべた。
 きかん気とはいえ、躾(しつけ)はなかなかよろしい。
 「わらわは星華蘭(セイカラン)じゃ」
 少年は、すなおにおどろいた。
 先代の王が跡継ぎをのこさずに亡くなり、《碧天(フェンテル)国の七家》の互選によって新しく航(コウ)家の三男が才腕を買われて位(くらい)に就いたのがつい最近のこと。
 星(セイ)家といえば新興の王家族などよりよほどの由緒を誇り、むろん至高司政者の椅子も青い血の一族にまわるもどるものと思われていた。詩人肌の当主が最後まで固辞しつづけたのでこのたびの政権委譲禅譲(ぜんじょう)とはあいなったが。
 その、星家の長姫(おさひめ)の名を聖なる国樹からつけたとは、ひとづてに聞いたことがある。
 「つまりは見合いの席から逃げだしておいでだと」
 苦笑の呆れた顔にもなろうというものだ。姫たち乙女たち娘たち姫たちの中でも別格の、王太子妃の第一候補である。
 「わらわは学びの齢(とし)にもあいならぬのじゃ」
 決めつける声音(こわね)は拗(す)ねるというより義憤に近かった。
 「かなわぬ。なんぞ見も知らぬ者と婚儀を約されては」
 ☆(説明文)☆
 それは王子のほうとて同じ、とは、少年……名を海空(かいくう)という……は、云わない。
 「しかし慣習(しきたり)だからな」
 と、したり顔の年長者をぎりと睨(ね)めつける、童女のほそい腹の虫が、ぐうと鳴った。
 肌の薄さにみるまに血がのぼる。
 「いまだ朝餉(あさげ)もまだなのじゃ。おとなしゅう仕度をさせねば駄目じゃと言うて乳母どもが……朝餉ももたぬ」
 「兵糧ぜめとはたしかに卑怯だな」
 魔法のように懐中からあらわれた甘菓子に礼もそこそこにかぶりつく。幼なすぎる貴婦人の仕草に、苦笑がもれた。
 華蘭樹の名をもつ幼姫は空腹をみたす一方で空海の風体を判(み)ている。
 「そなたもしや、王子がたの御学友か」
 はじめは端下の者ぞと思うたが、と続く言葉に、たしかに今日の剣術では三度も地面に倒されたと、湯浴みに行く道すがらで抜けだしてきたおのれのけいこ着姿を見おろす。
 「たしかに、今年の春に学舎に入ったが」
 「王妃になるのは、おいやか」
 「妃(みめ)にはならぬ。所望は将軍職ぞ」
 「武芸がお得意か」
 「母上は、お好きでないのじゃ」




軍籍 


西高天(さいこうてん)/西高原(さいこうげん)

航 海空(こう・かいくう)
  潮可(こう・ちょうか)
  流華(こう・りゅうか)

 

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