第3話

文字数 14,003文字

  遠くの方で高音の電子音が鳴っている。しばらくすると、耳のすぐ近くで携帯のアラームが鳴りだし、驚いて携帯を手に取りアラームを消した。テレビの上の目覚まし時計はまだ鳴り続けているから、止めないと、と意を決してベッドから降りる。眠たすぎて体が重たいし、頭も痛い。仕事を休んで一日中寝ていたいという猛烈な衝動に駆られるが、つい最近も月曜日を休んだ気がして、さすがに行かないと、と覚悟を決めて時計のアラームを荒々しく止めた。昨日の不審者のせいで朝にゴミを捨てに行かなければならないから、いつもより五分は早く支度をしなければと思い立った。時計を見るとあと三十分で家を出なければならない時間だった。私は昔から朝が弱く、目覚まし時計やアラームを起きる時間の何分前に何個セットしたとしても結局、最後の最後の大砦のアラームまで起きないから、いつも朝はギリギリだった。ギリギリでないと寝る時間を損している気がして、いくら早い時間に時計が鳴っても止めて、また寝てしまうのが常だった。出来ることならいつまでも寝ていたかった。何の楽しみもない生活、仕事しかない今の私にとっては、朝遅くまで寝ることが唯一の楽しみであり幸せであると言っても過言ではなかった。仕事のある日は無条件でその幸せは奪われるため、仕事に行くことは苦痛でしかなかった。
 慌ただしく準備をして、普段より早めに家を出てゴミを捨てに行くと、私は言葉を失った。昨日の夜はそこまでとは感じなかったが、そこは想像以上に荒れていた。全ての袋の口を開けられ中身はことごとく出され、道路に散らばっていた。スーパーで売られている惣菜の空になったタッパーや、使用済みティッシュ、何かの野菜の干からびた皮やら、あるいは使用済みのナプキンやらが道路に散乱していた。そして、その傍らでほとんど空になったゴミ袋たちが空しく横たわっていた。また、ゴミ捨て場の少し離れたところにはきちんと口が閉まっているゴミ袋がいくつか遠慮がちに置かれていた。それらはおそらく朝に出されたゴミたちだろう。そして私も例に倣って、綺麗に口が閉じられたゴミたちの上に昨日捨て損ねたゴミ袋を置いた。なんとなく気まずくてその場から離れようと来た道を戻ると、前から箒と塵取りを持った年配の女性が歩いてきた。見かけたことのない人だが、おそらく近所の人なのだろう。そもそも私は家の隣人の顔すら知らない。普段誰かと挨拶をすることはないし関わりもない。だから、その年配の女性のことも知らないだけで、もしかするとすれ違ったりしたことはあるのかもしれない。箒と塵取りを持っているからきっとゴミ捨て場の掃除をしようとしているのだと思ったが、気付かぬふりをして、その女性と目を合わせないようにして足早に駅に向かった。誰に見咎められるでもないが、とにかく一刻も早くその場から立ち去りたくて、遅刻するでもないのに駅まで走った。一歩踏み出す度にパカパカとかかとから離れて音を立てるパンプスにもたつき、肩から下げた大きくて重たいバッグにイライラしながら。駅に着くといつも乗る電車の一本前の電車が出発するところだった。きっともう少し走って、「この電車に乗りたい」と車掌にアピールすれば待ってくれる距離だったが、私は走るのを止め、ゆっくりと歩いてホームのベンチに座った。上がった息を整えながら、朝からへとへとになったことにうんざりした。ジャケットの下のTシャツに汗がまとわりつき、衣類と体の間にこもっている熱が不快だった。今日も太陽は高く、神々しいほどに世界を照らしだし、日向にいると秋だと忘れるほどに暑かった。さすがにここからあのゴミ捨て場は見えないが、昨日のゴミ荒らしが突然目の前に現れて追いかけてくる情景が、頭の中で何度も何度も繰り返し浮かんでは消えた。
  通勤に使う私鉄はJRよりは人の密集率が低いし、何よりほぼ五分感覚で電車が来るから私はこの私鉄が好きだった。JR駅周辺の華やかさには劣るが、職場からも自宅からもこの私鉄の駅の方が近かった。電車に乗るといつもと変わらない光景が広がった。椅子にはぎっしりと人が座り、つり革につかまって立っている人も多い。それでも、いつもドア前は比較的人が少なかった。私はいつも通りにドアの前に立ち、ドアの横に備えられている縦の手すりに摑まった。自然と周りを見渡すと、今日も見慣れた人たちの顔ぶれが並んでいた。もちろん知り合いでも何でもない、毎朝電車でだけ見かける人たちだ。名前も勤め先も知らないが、毎朝同じ時間だけ同じ空間を共有する人々。皆一様に自分以外の何物にも興味が無い様子で、各々の時間を過ごしている。そして、私も外側を向いて立ち、バッグからウォークマンをもたもたと取り出し、音楽で耳を塞いだ。世界は目の前でガラスのドア越しに流れていく景色だけになった。
 中学生の頃から好きな女性シンガーソングライターの歌が流れ出すと、何となく安心してさっきまで張りつめていた気が緩みだした。私は昔からその女性アーティストが好きだった。自分にとって悪い出来事や環境の大きな変化により、気が沈んだり落ち着きを失ったりした時に、自然と彼女の曲ばかりを聞いていた。歌詞や曲調がやたらと暗い曲が多かったため、共感する部分が多々あり選び易かったのかもしれない。今そのアーティストが何をしているのか私は知らない。数年前に自殺騒動がありその後音沙汰はない。彼女は私が中学生の時に急に現れ、後の彼女の代表曲となる曲で一時期ブームを起こしたが、その後目立って売れる曲もなく派手に人気がでることはなかった。しかし実力はあったし、唯一無二な彼女の世界観のゆるぎないファンは間違いなくついていたから、そのまま音楽活動を続けていればなんの問題も無さそうだったのに。彼女が何を考えているかなんて近くの人ですら知り得ないのに、彼女のことを画面越しでしか見ていない人間に分かるはずもなかった。
  昨日の夜中の騒動からどことなく落ち着かなかった。ストーカーにしてもホームレスにしても私にとっては関係のないことのはずなのに、妙に引っ掛かっていた。食事をしている時に、急に何かが喉の奥にひっかかって取れない感覚に似ていた。魚の骨が刺さって悶絶するほどの痛みを伴うものではなくて、得体の知れない何かが間違いなく喉元にいるけれど、取ることが出来ないような歯痒く不快な感覚だった。これからゴミ捨て時は注意しなくては、と思った。あいつがいる、もしくは来るかもしれないのだから、夜にゴミ捨てに行くときは慎重にならなくては。朝にゴミを出せばいいだけの話なのだが、そのせいで少し早目に行動しなければならないのは癪だし、朝、ゴミ捨て場で荒らされたゴミを目にしながらも見えないふりをして自分のゴミを捨てるのは、小心者の私にとってはやはり気が引けた。ゴミ荒らしは昨日だけだという考えが、なぜか私には無かった。むしろこれが始まりであろう気がしていた。静かだった池に小石が投げ込まれ、それによって生まれた輪が幾重にも重なり、ずっと先まで広がっていく光景が容易く思い描かれた。あいつのせいで何も変わらないいつも通りの日常が、崩されていくのが腹立たしくさえなった。でもそれだけ、それだけだ。私の生活は何も変わらない、そう言い聞かせて目を閉じた。愛にこのことを話してもきっと、「へえ」という気のない返事しか返ってこないのだろうなと思った。彼女にとっては、というか私以外の人間からしたらどうでもいい、取るに足らない出来事だ。私にとってもそうであるはずなのだ。それなのにそうさせてくれない自分がいる。こんな些細なことを騒ぎ立てるなんて、仕事をしておらず子育ても一段落して、毎日することもなくテレビを見て誰にも関心を寄せられず、ただただ毎日を死ぬまで消費しているに過ぎない主婦みたいだなと思った。そこまで私の私生活は落ちぶれているのかと脱力した。甘味も酸味もない無味の生活。そこに一点波紋を作り出した小石に、私は興奮しているのだった。怒りで紛らわそうとしているが、紛らわさなければならないほどの感情が疼いているという事実に気付くことになる。毎日、何の刺激もなくひたすらに時間という流れに身を置いているだけの自分、生きることや死ぬことに何の思いもない。死ねないから生きているだけの私のような人種とあのゴミ荒らしは、その点ではさして変わらない気がした。そうすると時間を持て余している主婦もまた同類だなと思った。
  今日は良いことがありそうなどと思ったことはただの一度もないけれど、今日は悪いことが身に降りかかるだろうなと漠然と思うことはよくあった。決してついているとは言えない人生で、身につけた直感だったと思う。そういう日は必ず、自分の周りになんともいえない湿り気のある陰気な空気がまとわりつくのだった。
 職場へ着き、自席に座ろうとしたところで、視線を感じ顔を上げると直属の上司にあたる係長がこちらへ歩み寄ってきたので、私は嫌な予感がしつつ訝しく思いながら、

 「おはようございます」

 と挨拶をすると、最後まで言い終わる前に係長が早口に言った。

 「今日大森さん体調不良でお休みだから、岸谷さんスピーチ頼むね」

 それだけを完結に言い終えた係長は、私の返事など聞こうともせずに席へまっすぐに戻ってドカッと椅子に座った。私は一瞬何のことか考えてすぐに事態を把握した。そして、途端に強烈な嫌気がさして、このままジャケットを脱がずに、靴も庁舎内用のサンダルに履き替えず、肩にかけた鞄を持ち直して今来た道をそのまま戻って帰りたい衝動に駆られるが、周りに聞かれないように一つ大きく息を吸ってそのまま静かに吐きだし、身体を重力に任せて倒れこむように椅子に崩れ落ちた。朝のスピーチは毎朝順番に一人が近況やら思うことやら、何でもいいから一分程度で話をするという、この課特有の日課だ。四十そこそこで若くして出世した、いわゆるやり手の課長が考案したもので夏前から行われている。課長はいかにも暑苦しい人間のように見えるが、仕事に関すると頭が切れスマートに美しい身のこなしで問題を解決していく敏腕課長だった。全てにおいて近道かつ最善の策をとれる人間だった。朝のスピーチも一見無駄なように思えるが、春からこの課に異動してきた課長は、一般的な部署に比べると大所帯であるこの課の人間の顔と名前、人柄やらを一度に把握することができるスピーチが、一番の方法であると考えたようだった。
  当然だが、皆この朝の一大イベントを嫌がった。ただでさえ憂鬱な朝に余分に緊張しなければならないからだ。そのスピーチの内容を考える時間は無価値であり馬鹿馬鹿しいように感じた。明日まわってくるはずの順番のため何について話そうか多少考えていたが、何を述べるか具体的には考えていなかったため、突然今日やれと命令されても困る。その時に思ったことをすらすら話せるほど私は口上手な人間ではないし、人前に慣れてもいなかった。働き始めて七年近くなるが私の社会人としての能力は、新卒で入庁してきた新人とさして変わらないと思う。最初から向上心は皆無で、出来る限り目立たないようにしてきた。与えられた仕事だけを淡々とこなすよう努めた。だから周囲の人間から特別に信頼されて仕事のことを聞かれるということもなければ、上司から任されるということもなかった。私は職場に何台も並ぶパソコンと同等の位置にいた。いや、パソコンですらないかもしれない。机の上やら棚の上に雑然と並ぶ筆記用具たちと等価だったかもしれない。代わりは吐いて捨てるほどいるが、取り立てて大きな問題を起こすわけでもないし、理由もなく捨てることはこの職種上不可能であるし、敢えて捨てるほどの労力を注ぐ価値すらも私には無かっただろう。
  私は市役所の一階にある長寿介護課というところで勤務している。難しいと言われる公務員試験に奇跡的に合格し、大学卒業後四月からこの市に移り住み、もう七年になる。今思えば、試験に受かったことで私の人生の全ての運を使い果たしたのかもしれないなと思う。それほどまでに強運であったというだけで、だから幸福なのだと考えたことは今までにない。将来何になりたい、ということは小さい頃からほとんど考えたことがなかったように思う。不思議なことだが、自分に未来があることがいつも信じられなかった。ただただひたすらに時間が流れれば、「将来」になっていくだけのことに気付いていなかった。浅はかなことに、永遠に子供のままであるような気がずっとしていた。大学生になった時にようやく、もうすぐ働かなければならないのだ、と気付いた。その時に何事にも関心がなかった私は、公務員なら残業がなさそうだし、辞めさせられることもないから定年まで働けるし、と安易に公務員になることを決めた。なってみると、周りには案外と同じような理由で公務員を選んだという人間が多かった。立派なことを考えているふりをして実は皆、安直なのだなと当時思ったが、それは公務員特有かもしれないなと今は思う。それまで生きてきた世界を捨てて、そうして二度とここに戻ることはない、それだけは固く決心していたし、それが何よりの私の望みだったから、自立することだけを最優先に考えて、自分一人を飢えさせないこと、そのためには職を失うリスクが最小限な公務員を選んだことはあながち間違いではなかったと思うけれど。
  試験勉強はとにかく膨大な量で、とてもじゃないが完遂出来る気がしなかった。だから、晴れて公務員試験に合格したという人がこうして試験勉強に臨んだ、という体験記ばかりを集めた雑誌を読み漁り、そのどれもがおすすめとする一冊の本に出会った。その本には毎年の公務員試験の傾向が書かれており、必ず勉強しなければならない科目、捨ててもいい科目について事細かに書かれていた。面倒くさがりな上、熱心でなく、尚且つ要領も悪い私はその本に書かれていた通りに勉強することにした。捨てることができる科目は全て捨てた。そして、必ず必要で出題数の多い科目を一心不乱に勉強した。何時間も机に向かっていることが苦ではなかったので、勉強する時間だけは誰よりも多かった。人から見れば熱心で立派、ということになるかもしれなかったが、もともと出来が悪く記憶力の悪い私のやっていることだから、もしかすると他の人がやれば私の勉強にあてた時間の半分ほどで、私と同じ量をこなせたかもしれない。
  私は勉強という、やらなければならないことがあって良かったと思っている。大学生というのは想像以上に時間に余裕があった。今思い返すとあの四年間ほど、自由な時間は後にも先にもないように思う。何かを勉強したくて進学したわけでもないから、課題やらレポートやらは最低限の労力と時間で済ませた。単位を落とさなければいいくらいにしか考えていなかった。同じクラスの子たちは、時間があれば買い物や、サークル活動や遊びに行くことに熱意を注いでいた。私はそんなお金もなかったので、友達に全て付き合うことも出来ず、時間だけがぽっかりと空いた。その時間でバイトをたくさんして交友費を捻出するということも出来たはずだが、私はしなかった。アルバイトはもちろんしていたが、働くことがそもそも嫌いな私は、そこまでする意気込みは当然皆無だった。マンガ喫茶でアルバイトをしていたが、そこでは、朝、昼、夜、深夜の四つの時間に区切られた時間のシフトの中で、人手不足な時間に入る、というスタンスだった上に、頼まれれば嫌々だという表情を隠しもしなかったため、あてにされる回数も多くなく、必要以上に荒稼ぎしたりはしなかった。空いた時間を私は全て勉強に注いだ。こんなにも勉強することはこれもまた後にも先にもないだろうと思う。勉強していたせいで、他の子たちが、どんどん垢抜けて大人っぽく綺麗になっていき、いつの間にかカッコイイ彼氏が出来ていることに気付かなかった。そのことに嫉妬している自分がいたはずだが、気付かないふりをしていた。「私にはお金がないし」とか「勉強しなきゃならないし」とか「あの子たちより有意義なことに時間を割いているのだ」とか最もらしい言い訳を並べて、自分を納得させていたように思う。
  試験は奇跡的に合格したが、それは勉強の成果でも何でもなく、その年は団塊の世代が大量退職する年だったため、例年よりも三倍ほどの採用人数で倍率も低かった。だから、私は決して特別に選ばれた人間などではなく、偶然運よく網に引っ掛かった人間のうちの一人だった。実際に働き始めると残業も多く、残業がない日のほうが珍しいほどだった。仕事自体も私は窓口業務しかやったことがないせいかもしれないが、クレーム処理やら頭のおかしい人たちの対応を余儀なくされた。考えてみれば簡単なことだった。市役所にはまともな人間は滅多に来ないのだ。市役所に用事があるのは老人か、下層クラスの社会の掃き溜めばかりなのだ。大学時代の大半の時間を費やした勉強で得たものは、安定した収入とはっきりとした自立だった。それ以上もそれ以下でもなかった。自分一人で好きにできるお金があれば、単純に家から出ることが出来れば、何かが変わるような気がしていたのかもしれない。自分が想像する以上の幸福な生活が待っていると期待していたのかもしれない。働き始めてからそう経たないうちに、大きく膨らんだ風船になった体から一度に空気が抜けていくように、私の希望は見る見るうちに跡形もなく消え失せた。
  市役所の窓口には戸籍担当や国民保険担当や多種多様な部署があり、どの課も一様に時期によったり時間によったりで混雑するが、長寿介護課もその一つだった。二つある担当のうち介護保険担当は介護保険に係る各種申請、要介護認定に関することが主な業務で、今は月半ばだから、来客はまばらだし、多少は落ち着いて仕事が出来るが、月の初めは絶えることなく代わる代わるにお客が来る。自席に安閑と座ってなどいられない。「月初」という言葉を耳にするだけで、身体に重石を乗せられるような感覚を覚えるのは私だけではなく、課内では「月初」という言葉は呪いの言葉と化していた。月の初めの繁忙期を終えてもその後の処理があるので忙しさに大して変わりはないが、窓口に人が山のように来ることよりは気が楽だった。
  担当内は大きく分けて四つの島が存在しており、調査員の島を除いては、一つの島は大体四~六人で構成されていた。調査員は窓口対応をしないので、課内の奥まった場所に配置されており、実質残り三つの島の職員が窓口対応に当たっていた。組織図にはないが、担当内でもさらに二つの担当が決められており、席順や島はその担当同士で構成されていた。私は女だけの4人の島に席を置いており、それが丁度、課長の目の前にあたり、当然だけれどやりにくかった。当初、積極性のない私をなまけないよう監視する意味があるのではと勘繰ったりもしたが、今は特に意味などないと分かった。強いて上げるとしたら、目障りにならないから、というくらいだろう。
  窓口に訪れる人は、初めから文句を言いにくる人を除いては、介護度認定の申請や、介護保険の説明を聞きにくる人が大半なので、介護保険システムが内蔵されたパソコンは不可欠だった。名前や生年月日を入力するだけで、その人物の介護保険に関するありとあらゆる情報が取り出せるシステムだ。窓口にはパソコンが三台設置されており、それを真ん中にして二つの机と椅子が並んでいる。混雑時は最大で六人を窓口に座らせて対応出来るが、片方がパソコンを使用していた場合は、仕方ないので、窓口から一旦離れて、個人用パソコンを除いて各島に一台ずつ設置されているパソコンを使用するしかなかった。不便だったけれど、文房具一つ購入するのも難しく、各自で揃えるような財政状況の課だったので、仕方なかっただろう。課によっては、比較的自由にお金を使うことが許されている部署もあったとは思うけれど、大半は、決められた予算内で運用する中で余分になるお金などはなく、どこの部署も厳しい状態だった。それはまさにこの街の財政状況を象徴していた。
  もうあと一時間ほどで定時を知らせる音楽が流れだすころに、一人の初老の女性が窓口の前に立った。私はたまたまその女性と目が合ってしまったので、やむを得ず手元にある仕事を中断して席を立ちあがった。窓口のすぐ傍で、こそこそと至近距離で笑いあっているパートのおばさんと三十代の男性職員に一瞥を投げかけ、すぐに視線をその女性に戻し、空いている席に促し座らせると、すぐにその女性は口を開いた。
 「あの、今うちのおばあちゃんの介護の申請をしているのだけど、まだ結果がでないんでしょうかね。もし結果が来ていて私間違って捨てちゃってたらどうしようと思って」
 となぜかひそひそ話をするみたいに顔を近づけて、私にだけ聞こえる声量でその女性は話をした。介護保険の要介護認定というのは、申請書が提出され、審査をして介護度を決め、その介護度が記載された介護保険証を郵送するという一連の流れになっているのだが、「結果」というのは介護度の審査の結果という意味だ。私はマニュアルにのっとり、その女性に事務的に聞いた。

 「お調べしますね。介護保険を受けられる方のお名前よろしいですか」

 「あ、はい。ス・ズ・キ・ユ・キ・コ・です」

 女性は名前を言う時だけ口をはっきりと開けて一字一字の間を空けて、私にその名前だけをインプットさせるかのように強い口調で言った。市内で何十人もいるであろう名前だったので、特定するため生年月日を聞きパソコンに打ち込むと、一人の情報が画面に一瞬にして映し出された。

 「少しお待ちください」

 不安げな表情で待つ女性を見ることもなく、パソコンの画面に目を向け、介護度の認定の進行状況を調べる。見ると一か月半ほど前に確かに申請は受理されているけれど、主治医の意見書の提出がされていないようだった。介護度は主治医の意見書と、本人の状態を見たり聴取したりして作成される調査書との二つの書類に基づいて審査会という場で決定する。だから書類が揃わないと審査すら出来ない。私はその旨を彼女に伝えた上でこう続けた。

 「こちらからも先生のほうに督促しますので、お客様からも病院に直接言っていただくと早いかもしれません」

 すると、不安げだった彼女の顔は見る見るうちに曇っていき、目には涙が溢れんばかりに溜まり、今か今かと目から流れ落ちるその時を待っているようだった。

 「つい最近まではしっかりしてたんですよ。畑仕事を毎日していて、小さい畑なんですけどね。体も丈夫で病気もほとんどしたことがなくて、腰が曲がっているくらいで。でも最近になって急に酷くなってしまって。物忘れも酷くて一日に何度もご飯食べるって言うんです。畑仕事もしなくなっちゃって、一日中布団にいてテレビ見てるだけなんです。トイレも失敗が多くなっちゃって。夜勝手に外に出て、大輔んとこ行くなんて言うんですよ。大輔は家にいるっていうのに。何度言ってもダメなんですよ。どうしたらいいのか…。私の親も今病院に入院していて、癌なんですけどね、そっちは妹にお願いしちゃってるんだけど、そちらも行かないとならないんだけど、おばあちゃんがああだから家をあけられなくて。今は息子が学校から帰ってきてるから、少しの間だけ見てもらってるんですよ。だから、早く介護保険使って少しでも、ねえ」

 ダムにせき止められていた水がついに耐え切れなくなって崩壊し流れ出すかのように、息つく暇もなく女性は話した。こういうことはよくある。普段吐き出すことの出来ない複雑に絡みついた感情が堪え切れず爆発してしまう。家族には、いや、家族だからその気持ちや涙は見せられないのだろう。窓口で日頃の不安や鬱憤を口にする人は大勢いるけれど、こちらはそれに対して耳を傾けることしか出来ない。どうすることも出来ないのだ。私たちに許されることは目の前に来た書類を処理する、ということだけだ。医者に速やかな書類の提出を促すことは出来ても、代わりに書類を作成することは出来ない。身の上話に耳を貸すことは出来ても、実際に関わり助けることは出来ない。代わりに介護することは出来ない。最終的に皆、それを悟って「あなたに言っても仕方ないわよね」と言う人もいれば、それを口に出さない人もいるが、皆思いは同じで諦めたような顔で現実に帰っていく。相手が話をしている間、私はずっと親身になって聞いている、という表情を崩さないようにしている。眉間に皺をよせ、相手の目から視線を逸らさない。この課に異動してきた四年前よりその演技力はついたと思う。あちら側の立場に立ち「そうですよね。大変ですよね」と相手に寄り添うようなことを言う。最初の頃は同情に近い気持ちもあったが、今はない。どんな悲惨なケースでも憐れんだり、不憫に思ったりすることはもう無くなってしまった。感情が麻痺している、ということもあるかもしれないが、それよりもこちら側は出来ることしかしないし、出来ないのだ、と高を括るようになったせいかもしれない。年を重ねるごとに私は嫌な人間になっていく気がするけれど、元々こんな人間だったような気もする。
  窓口付近で談笑している男と女はこちらに背を向けたまま、まだいちゃついている。五十歳手前の女はくねくねと体をよじらせながら、少女のように頬をうっすらと赤く染めて、何がそこまで面白いのか口元に手を当てしきりに笑っている。彼女の下半身で揺れている、見慣れない真新しいスカートを視界の端に捉えると、無意味な虚無感を覚えた。彼女と、目の前の客である女は同世代だろうか。客の女の方が介護疲れのせいかずっと年老いて見えるけれど、目尻や口元に寄せられた皺の数や深さ、頬やこめかみのあたりに広がっているシミは、二人酷似していた。私の背後に立つ男性職員と同じ担当になるまでは見たこともなかった、彼女の目を囲むピンク色のアイシャドウが脳裏にちらついた。その桜のように可憐で初心でかわいらしい色は、人生の半分を消費した証を克明に刻んでいる顔には、悲しいほどに似合わなかった。私は彼女に呆れながらも、どこかで彼女のその労力に感心もしていたのだった。子供は三人いて、一番下の子は確か高校生だと言っていた気がする。何歳になっても、もうすでに女の価値など消失し、女である機能すらも衰えていても、男に好かれたいという欲求と恋の期待は、失われるどころか新たに芽生えるもののようだった。そうしてまた、皆新しい洋服を身にまとい、化粧を変えて、男に認められようとする。その手段は少女の頃からなんら姿を変えず、少女の頃の知恵を成熟した女も使いまわす。それらは成長しようのない類の感情かもしれなかった。男がいつまでもそれを求めるのだし、それに対して女は呼応しているに過ぎないようにも思えた。まだ三十代の前半であるのに頭頂が薄くなっている男性職員は、相変わらずいやらしい目つきで彼女を見つめているのだろう。それは彼女に対してだけでなくて、女性職員全員にそうだった。男が私を含め女性職員に影で、哀れにもその気にさせられている彼女の話をする時は、いつも以上に目はたれ下げり、だらしなく空いた口からペラペラと興味もないエピソードをことさら自慢げに話した。軽率で軽薄な男だった。それを思い出した私はいとも容易に吐き気を催すことが出来たのだった。
  反射的に愚かな愛を思い出していた。愛もきっとあさましく醜悪な男に、彼女のように必死になって愛されようとしていたに違いなかった。私はひっそりと静かに一人失望し、いいようもない腹立たしさを感じていた。愛にでもなく、その女でもなく、ましてその男でもない、人類そのものへの落胆と反感だった。
  私の体内や外側を覆うふわふわとして浮いたり跳ねたり、弾けて消えたり、そしてまた新しいものがどこからともなく生まれ続けている気体が液化して融滌し、どろどろと内臓に満ち満ちていくのを感じていた。目の前の女性の話はもはや頭には入って来ず、形だけ頷きながら、私はぶつかる術のない怒りを丁寧に咀嚼し時にはかみ砕き、また体内へと押し戻す作業を繰り返していた。
  結局一時間近く話をして、出口のない迷路をリタイヤするように、曖昧な表情で「ありがとう」と力なく言い、客は帰って行った。奇妙なことに話している間、彼女は一度も瞬きをしなかった。その間ずっと涙は目に溜まったままで、彼女の瞳からついに流れ落ちることはなかった。私は彼女の目を見て話しを聞いているふりをして、そこにじっと止まっている液体を見るともなしに見ていた。彼女が立ち去って、しばらくすると、もうその女の顔を思い出すことは叶わなかったけれど、あの瞳だけは物珍しく新鮮で、奇妙な生命体を見つけたかのように鮮明に脳裏に焼き付いていた。
  客の対応が終わり、席に着くとすぐに庁舎内全体に音楽が流れ出した。定時を知らせる女性が歌うそのゆるやかな曲が、市の歌だということを知ったのは勤め始めてから一年後だった。皆気が抜けるのか方々から溜息や話し声、笑い声も聞こえてきて課内は一気に騒がしくなる。私は一人ぐったりとして椅子の背に身を任せていた。さっきの客から放出された負の力を全身に浴びて、私は疲れ切っていた。絶えず動き続けていた客の口は、私の気力全てを吸収していったようだった。
  市役所の出入り口に近いこの課から、ぼんやりと廊下を観察していると、早くも帰宅する職員の姿が見えた。あの人たちはきっと、十七時頃にはのんびりと帰り支度を始めていて、定時の鍾が鳴る十七時十五分の時点ではすでに机の周りも整理されていて、パソコンは強制的に眠らされ、液晶は夜の空みたいに真っ黒なのだろうと想像した。それは私が就職してからほとんど一度も味わったことのない環境だった。同じ場所で働いているの、なぜ私達だけは未だこの空間に取り残されているのだろう。不思議で仕方なかった。私がこの建物から解放されるのは、いつも決まって、日が落ちてからで、なおかつ暫く経った後、昼間の空気が夜のそれと完全に入れ替わってしまってからだった。昼間に働いているはずなのに、日光にあたる時間は極端に少なく、私を照らすのは常に白々しく光る蛍光灯と夜の街に点在する街灯のみだった。おもむろに天井を見上げると節電のため間引きされた蛍光灯が目に入り、空しさに拍車をかけた。乱雑に散らかった机と向き合うことが出来ないまま、次から次へと出口に吸い込まれていく人々を眺めていると、身体の隅々から何かの気体が音もなくじわじわと漏れ出て、そのまま背もたれに無造作に掛けられている使い古した膝掛のように縮んで椅子にぴったりと張り付いた。全てが馬鹿馬鹿しく思えた。仕方がないと、仕事とはそうゆうものだと諦めてしまえるほど、私は大人になっておらず、嘆く労力を惜しんで背広の中に全てを抱え込み、鉄の面をつけてパソコンと向きあう人々のようにもなれていなかった。堪らなく侘しくて、ここから逃げる方法だけを頭に巡らせた。ふと、私がもしこの仕事を辞めても、困ったり、途方に暮れたり、ましてや寂しく思う人など存在しないだろうと思われた。悲観的に物事を捉えているわけではなく、客観的にみて当然であり、それは事実だった。ならば逃げることに執着する必要もないのだった。私は囚われの身ではなく、自由なのだから。「帰ろう」と課内を舞う埃のように自然に軽く思いつき、そして強く決意した。今日は隣の席の先輩も休みで居ないし、定時に帰るのは今日しかないはずだと思った。予定など何もないが、早く帰って好きなものを食べてゆっくりと眠りたかった。岩場の苔のように椅子にへばりついている体を、無理矢理引き剥がし、急いで身支度をして、パソコンを閉じ、向かいの席の人にだけ聞こえるよう小さな声で

「お疲れ様です」

と言い、そっと逃げるように課を出た。背後から
「お疲れ様です」

と、目が覚めるような元気な声が追いかけてきた。周囲の人が皆作業を中断し思わず机から顔を上げる空気を背中に感じた。私の向かいの席の五十過ぎのおばさんは悪い人ではない、むしろ面倒見がよく一人暮らしの私と私の隣席の先輩にまで、たまにお弁当を作ってきてくれたりする。ただ、耳が遠いのか声が大きく、おばさん特有のその場の空気を察するということも出来なかった。仕事も遅く、難しいことはやろうともせず、「おばさんだから」と何かにつけて自己弁護を繰り返し、周囲を疲れさせていた。だからその時も当然、そっと帰りたい私の気持ちなど汲んでくれるはずもなく、私が誰よりも早く帰庁することが担当内に知れ渡ってしまった。
  今日がまだ月曜日だと思うと強烈に嫌気がさした。休日まであと四日もあると思うと、鳩尾の辺りから胃の内容物でもない胃液でもない不快な何かがせりあがってくるが、思いっきり歯を食いしばってそれをまた腹の下まで押し返した。こんな生活をいつまで続けるのだろう。死ぬまでだとしたら、私はいつ死ねるのだろう。いつ解放されるのだろう。死んでも煩わしい人間関係が存在したらどうしよう。逆にどうしようもなく孤独でも寂しいな。体も魂も跡形もなく粉々になって、その粉すら残らないように消滅したい、居た形跡すらないように。この世界に生まれてきたことなど無かったことのように。そうして私は足の先から頭の先まで靄に包まれて、力が抜けていき、神経や細胞がほどけてその靄と同化して天に昇っていく姿を思い描いた。「死」に取りつかれていた私は、こうして毎日のように自分が誰かから終わりを告げられる日を待ち詫び、雲散霧消する自分を思い描いては、夢見ていた。一方で、体から抜け出た魂だけの私が、いつものごとく底なしにだらだらと無遠慮に落ちていく自分の姿を、傍らで他人事のように静観していながらも、背中に残照を感じている実体も現在進行形で存在していることに、得体の知れない心地よさを感じてもいた。日は暮れているのに、雲に照り映えてまだ失われない太陽光の威力を私はその時初めて知ったような気がした。
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