後編 居酒屋にて

文字数 1,905文字

私、この会社辞めます。
その日の晩。
会社近くの居酒屋で、私は主任に告げました。
それは冗談? それともウソ?
――冗談です。
本気っていう選択肢はないんだ……。
私はジョッキの中身をひと口あおってから、今日感じた不満をぶちまけました。
っていうか、主任はなんであんなこと言われて黙ってられるんですか!
っていうか移植って!
ハルザキヤツシロランは寄生植物で、その土地の菌類にすがって生きている植物だから、移植はすごく難しいんですよ!
っていうかほぼ無理!
だが、あの人の話を聞いてたか。
あの植物をいまのままの形で保護するためには、道路工事を中止させるか、計画路線を変更しないといけない。
路線変更にしても簡単にはいかない。用地買収を一からしないといけなくなるし、着工は当然、延期させないといけない。
そのことに対して、お前は責任をもてるのか。
……。
あの道路は近隣住民がずっと県に要望していた道路だ。
あれができることで、事故が多く崖崩れも頻発していた旧道を通らなくてもよくなるし、過疎化が進んでいた村と市街地の病院とが短時間でつながる。
極端な話、あの植物の保護に努めているあいだ、牧野は村の人の命を預かれるのか?
それは……でもそれは、私たちの仕事と別の問題じゃ――
同じだ。
牧野があの植物を見つけたことで工事が止まる。少なくとも、今日のあの人はそう考えるだろう。
それがうちの会社の責任でない理由がどこにある?
でも、そんなこと言ってたら、私たちの仕事、意味ないじゃないですか……!
そんなことはない。
俺たちの仕事は、大きな工事が行われるときに、そこに貴重な生き物がいないか調べて、対策を提案する仕事だ。
でも現実問題、貴重な生きものがいたというだけで工事を止めることは、極めて難しい。今日の人みたいに、事業者が無関心なら、なおさらだ。
そうなると、工事を続けながら、なおかつ生きものにも気をつかう方策が必要だ。言葉を変えるなら、工事を続ける「言い訳」。その言い訳を考えるのが、俺たちの仕事だ。
言い訳なんか……
そんな仕事、やっぱり意味ない――
何もしないよりは、絶対にマシだろ。
そういうと、いままで表情を変えたことのなかった主任が、初めて笑顔を見せました。
牧野があの植物――ハルザキヤツシロランを見つけなければ、だれにも気づかれずにあの花は消えていた。
それを移植するチャンスができたんだ。それは牧野、お前のおかげだ。
うまくいかない可能性が高いのは分かる。だとしても俺たちは俺たちにできることを努力するべきだ。
そこで得られた結果をきちんとした形で報告すれば、移植に失敗したとしても次、別の場所で移植することになったときに、研究成果として活きるはずだからな。
そう話す主任の姿を見て、私は気づかされました。
あのとき――山で工事担当者の人に私が反論したとき、主任は私の気持ちと道路工事との妥協点を探っていたのだと。
――私たちの仕事は生きものの保護じゃない。調査を通じて自然環境と開発行為の妥協点を見つけることだと。
そういうことですか。
それが正解だとは言わないが、俺はそう考えて仕事をしている。
それでもし牧野が、納得できない、もっと植物の保護そのものに心血を注ぎたいのなら――
全部は納得できないですけど……
…………。
ここで頑張ってみます。
ああ。それでいい。
俺もできるだけのことは教えるよ。
ここの仕事は、私の思い描いていた理想の仕事ではなかったのかもしれません。
でもいまはもう少し――この会社で、この仕事をがんばってみようと思っています。
私は植物が好きだから。ただの理想論じゃなくて、本当の意味でたくさんの植物が生きられるよう、努力したい。
そう思うのです。
でもほんとあのおっさんムカつく……!
エラそうだったし、あんな言い方しなくてもいいと思いません?
貴重な植物を見つけたら抜いておけ、か?
確かにあれは理不尽だ。
ですよね?
あんなこと言われたら私たちの仕事、ほんと意味ないですから。
そういえば、主任は今日みたいに理不尽な言葉をかけられたことはいままであるんですか。
そんなの日常茶飯事だ。
こういう仕事をしていたらつきものだよ。
(ジョッキの残りを一気に飲み干すと、机にたたきつけて勢いよく立ち上がる)
主任! もう一軒行きましょう!
で、そのへんのエピソードをいろいろ教えてください!
お前よくウーロン茶だけでそこまで興奮できるな……。
追伸
今度、ハルザキヤツシロランの移植方法を伺いに、大学へ行きます。ひさしぶりに先生と研究室のみんなに会えるのを楽しみにしています。
もうお庭の花菖蒲が咲いている頃でしょうか。今年の夏も暑くなりそうです。先生もどうかご自愛ください。
牧野しずく
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登場人物紹介

牧野 しずく


幼いころから野山の花が好きで、大学では植物分類学の研究に没頭。

卒業後、貴重な植物を保護する仕事に就きたいと、野生生物の調査会社に就職するが――。

相手がだれでも言いたいことはすぐ口にしてしまうタイプ。

矢崎主任


牧野の先輩社員。業務の責任者。専門は野生の哺乳類で、キャリアは十年ほど。

ぶっきらぼうだが、後輩の面倒見は良い。

珍しい動物の足跡やフンを見かけると興奮するタイプ。

工事現場担当の人


県道工事の現場担当者。過疎化が進む村のため新しい道路の早期開通を目指している。

悪い人ではないのだが、自然環境への無関心さからか言葉にトゲがある。

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