あしたのジョーになりそこなった私の話

文字数 5,446文字

 これは『あしたのジョー』に憧れた私が、危うく死にかけた話だ。

 私にはこれといったスポーツの才能はない。現在40歳を過ぎているが、社会人になってから今まで運動らしい運動はしてこなかった。ただボクシングやプロレス等の格闘技を観るのは好きだった。ある時私の家からほど近い、京都の南の片田舎にボクシングジムがオープンしたので、興味本位で入会してみた。

 一般のボクシングのイメージは過酷な減量とトレーニングというストイックなものだ。ミットを打たせてもらえるようになるまでに1年かかるという話も聞く。しかしこのジムの会長はかなり緩い感じで、2回目に来館したときにはもうクローブを着けての練習を許可してくれた。3回目の来館時には私の気分はすっかり『あしたのジョー』と化していた。私はボクシング漫画の金字塔『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈のような荒々しいファイトでSNSをバズらせてやろうと思っていた。そしてこのジムで週2回、丈のようにやさぐれた感じを漂わせながらランニングマシンを5分、腹筋を20回等々、必死感丸出しでごく軽いトレーニングをこなした。

 ある日会長がミット打ちをしてくれることになった。受け手が手にミットをはめ、上下左右様々な位置に差し出したミットをめがけて打ち手がパンチを繰り出していく。ボクシングの練習風景でよく見るあれだ。ミットを打つのには素手の上に練習用のグローブをはめるだけで十分なのだが、雰囲気を出すためにバンテージを巻いてグローブをつけることにした。バンテージとはボクシングの試合の際、拳を痛めないように手に巻きつける包帯のようなもののことだ。試合ではこれを拳に巻いた上にグローブをはめるのだが、初心者の練習では巻くことはほぼない、が、雰囲気はとても重要だ。私はあたかも命がけの試合に臨むような目つきでバンテージの端を口で咥えグルグルと手に巻き付けていた。しかしバンテージの巻き方はすごく難しい。どの指の間にどういう順番で巻くか全て決まっている。失敗してだるだるに巻かれたバンテージを幾度となく巻きなおし、それでもうまく巻けず、最終的に会長にやさしく巻いていただいた。

 ミット打ちは3分、2ラウンド。その様子をジムのアルバイトの女性に録画してもらうことにした。蝶のように舞い蜂のように刺すかっこいいミット打ちの様子をSNSに上げた日には、もうイイネのスコール状態になるだろうと期待していた。しかし3分間パンチを打ち続けるというのは、実際やってみるとわかるがとてつもない体力がいる。ミット打ち開始から20秒ほどでグローブがボウリングの球のように重くなり、拳を持ち上げているのすら辛い。そして1ラウンド終了を待たずに私は工場の排気ダクトのごとくゴォゴォと息を切らせていた。屋形船の上の酔っぱらいのようにヨタヨタしながらなんとか2ラウンドをしのぎきり、その場に倒れこみながら今しがた撮ってもらった動画を確認した。すると自分のイメージからは程遠い、月面のアームストロング船長のような鈍いパンチとゾウガメ並みのフットワークで、脳内で勝手に美化されていた自分のミット打ちのイメージはガラガラと崩れ、疲労とショックのダブルパンチで完全にノックアウトだった。それでも帰宅後その動画をSNSにアップしたら、イイネどころか、
「新種の盆踊りですか?」
というコメントがつき、この時初めて本気でボクシングに取り組もうと決意した。

 また別の日、今度は練習生同士でスパーリングをすることになった。スパーリングというのはパンチを寸止め、もしくは軽く当てる程度の試合形式の練習のことだ。私の相手はおとなしい中学生だった。彼とはたびたびジムで一緒になり話す機会も多かった。聞くところによれば彼はいじめられっ子気質で、それを変えたくてこのジムに通い始めたらしい。彼もスパーリングはその日が初めてだった。

 リングの中央で互いのグローブをチョンと当てるのがあいさつ代わり。すぐ開始のゴングが鳴った。ごく軽いジャブでの牽制が続く。ひたすら延々と続く。というのも、人の殴り方がさっぱりわからないのである。多くの人は殴り合いの喧嘩などしたことがないと思う。私も四十数年間で人を殴った経験など一度も無いので、グローブを着けているうえ加減するとわかっていても、人を殴るという行為に本能がストップをかける。相手にしてもおそらくそうで、しかも私がかなり年上ということで遠慮も相当にある。会長がリングサイドで「攻めろ、攻めろ!」と叫ぶので、熱い鍋を触るかのようなフェザータッチのパンチを繰り出すものの、それが相手のボディーをかすめたりすると申し訳なさそうに「へへっ」と愛想笑いを交わすような、あまりによそよそしくバツの悪い3分間だった。やはり人を殴るというのには訓練がいるように思う。生まれつき暴力的な人間というのは、ある種才能だと思う。

 ジムに通い始めて半年。会長が練習生同士で実戦さながらの練習試合をしようと言い出した。日頃の成果を発揮するチャンスだと、私は参加を表明した。試合までの数週間、私は熱心に練習に取り組んだが、試合の前日に野暮用で家族と高知にいくことになった。練習試合はどうしても出たかったので、高知で用を済ませた後、義父の運転で夜通しレンタカーを走らせ、京都へ帰るとその足で試合に臨むという無茶なスケジュールとなった。

 試合に遅れるといけないので、義父に「とにかく急いでくれ」とお願いしていた。交通ルールをはみ出さない範囲で義父はかなり無理して急いでくれた。ところが明け方、車の外からプロパンガスを焚くボイラーのようなポンポポ、ポンポポという異音が聞こえるなと思っていたところ、たちまちボンネットから白い煙がモクモクと立ち昇り、高速道路上で車が動かなくなってしまった。すぐにJAFに連絡したが、場所が高速道路上なだけに、ものすごいスピードで車が横切るなか幅30cmほどのガードレール外のスペースで1時間近く待たされた。あの時は本当に死ぬような思いをした。その後レッカー車で高速道路の出口まで送ってもらい、最寄りの駅から電車で家へと帰ったが、もちろん試合には間に合わなかった。

 華々しい試合デビューを飾れなかったのは非常に残念であったが、この話には後日談がある。試合当日、私が不参加になったことで、私がマッチングされていた試合に別の練習生が参加することになった。試合は特に変わったこともなく終わったが、試合後トイレに行ったその練習生が帰ってこず、会長が様子を見にいくと、彼はジムの外で意識なく倒れていた。その後数日経ち、意識が戻らないままその練習生は亡くなったそうだ。試合と彼の死の因果関係は結局分からなかったが、私が試合に間に合わなかったのは、何かの見えざる手によって命を救われたのではないか、と周りの人に言われた。私はオカルトを信じないが、確かに不思議な偶然が重なった出来事だった。

 ジムに通い始めて1年後、他所のジムとの対抗戦が行われることになった。私は性懲りもなくまたすぐに参加表明を出した。対戦相手は体重別にマッチングされる。私はその時スーパーミドル級という重量級寄りのクラスだったので、このままではもしかしたら体格の大きい強い相手に当たるかもしれないということだった。試合までの一か月ちょっと、減量に励んでクラスをひとつでも落とし、少しでも軽量級クラスで戦ったほうが条件は有利だとの会長からのアドバイスがあった。

 頑張って減量に励んでみたものの、試合当日まで1グラムも体重は落ちなかった。むしろ少し増えていた。それならそれでそのまま試合に出ても何の問題もなかったのだが、試合当日朝5時に目が覚め、昼からの試合まで十分時間があったことで魔が差した。『あしたのジョー』で力石徹がやっていたように、風呂で汗をかいて少しでも体重を落とそうと思い立った。43度に沸かした風呂に浸かり、蓋と蓋の間から頭だけ出して簡易サウナを作り、20分ほど汗をかいてから体重を測ってみた。すると300gくらい体重が落ちていた。「これはいける!」と思い、2時間半ずっと熱湯風呂に浸かり続けた。尋常じゃないほどの汗をかき、結果試合当日の朝、2時間半で2kg以上の減量に成功した。もうこの時点で12ラウンド打ち合ったかのような達成感と疲労感があったが、試合はまだこれからである。少し休んでからジムに向かったものの、カイロを飲み込んだかのように身体の内側が熱を帯び、しかも立っているだけで膝がガクガク笑うほど足がだるい。汗が一向にひかず明らかに体調不良でジムへ向かったが、とりあえず計量でランクをひとつ落とすことにだけは成功した。

 当日、私は2試合マッチングされていた。1試合目、名前を呼ばれてリングに上がると、ずんぐり、ぽっちゃりのいかにも成人病対策で最近ボクシングを始めましたという感じの中年男性が、対角のコーナーに立っていた。タンクトップから露わになっているタルンタルンの二の腕は、私のサディスティックな心に火を付けた。「これは勝てる!」と……。

 ゴングが鳴り、私はコーナーから飛び出した。相手が派手にぶっ飛ぶ姿をイメージしながら両手をぶん回し続けた。何発かは相手の顔あたりを捉えたと思うが、この際はっきり言おう。1年ちょっと軽く身体を鍛えたくらいでは、会心のパンチがヒットしたとしても、人が吹っ飛ぶことはない。ちょっと痛い程度である。プロのファイターが一撃で相手を吹っ飛ばすなんてのは、拳に賭けているものとトレーニングの積み重ね方がそもそも全く違うのである。ただその時の私は、華々しい勝利をSNSにアップして大量のイイネを得ることにとらわれ、素人の試合では起こり得ない劇的な瞬間を求めていた。オーバーペースで攻め続けた結果、20秒で両手を持ち上げることができないほどスタミナを消耗していた。

 もともとの体調不良とスタミナ切れ、そのうえ素人同士でお互い決め手も無く、見た目には映画『ロッキー』の最終ラウンドのような泥仕合になった。お互いボロボロのフラフラだが『ロッキー』のような激闘の感動は無く、リングサイドで失笑すら聞こえるようなグダグダ感のまま、試合は判定にもつれ込んだ。判定は、私の負けだった。どちらが勝ってもおかしくない、というよりはどっちも負けだろという内容だった。この結果により、私がSNSで称賛を得るには、2試合目に全てを賭けるしかなくなった。

 2試合目までは1時間以上あったが、とにかく身体がカッカしてだるい。座っているのも耐え難かったが、なんとか体力の回復に専念した。しかし2時間半の急激な減量と先の泥仕合の後遺症は、全く回復しなかった。試合の時間が来て、足を引きずるようにリングに上がった私は対角のコーナーを見て愕然とした。ギリシャ彫刻のようにビルドアップされた、私より背も10cmほどは大きかろう大学生が、目を血走らせながらそこに立っていたからだ。体重別でクラス分けしているので、あろうことか大量の脂肪の塊の私と、大柄な筋肉の塊の大学生がマッチングされてしまったのだ。こんな相手と3分、2ラウンドも戦えるのだろうか。その懸念は試合開始と同時にすぐ払拭された、「無理だ」と・・。

 ゴングがなるやいなや闘牛のように鼻息を荒げて突進してきた相手は、そのままの勢いでガードの上からでもお構いなしに私を殴りつけた。私は何が起こっているのか分からなかった。おそらく目をつむっていたように思う。グローブで頭を覆い丸くなっている私の、体中至るところに重くて大きな石を投げつけられているような感覚。体の芯に響く鈍痛が絶え間なく、全く動けない。本当に文字通り手も足も出ない。なんとか立っていたというよりは倒れることすらできなかった。わけが分からないまま、試合開始早々にスタンディングダウンを取られた。

 レフェリーがお互いを引き離し「ファイト!」の掛け声をかけると同時に、相手はまたも一瞬で間合いを詰めてきた。この時には私はもうどうしたらよいかわからず、心も完全に折れていた。とにかく亀のように丸くなり、大きな石の豪雨に打たれるがままでいた。
「死ぬ!死んでしまう!!」
体感では数十分そのままで耐えていた気がするが、実際には十数秒だった。気が付くとレフェリーがお互いを再度引き離していた。2回目のスタンディングダウンで、開始早々試合は終わった。時間にして30秒ほどの間に、私は三途の川の向こう岸にタッチしてトビウオターンで戻ってきた。

 何の成果も得られずひどくがっかりして帰路についた私が、この試合の話を妻や親、友人にしたところ、全員から「怪我をする前にやめろ。身の程を知れ」といわれた。
「そうだなぁ。イイネを得るために命を削ることもないよな……」

 矢吹丈は最後、最強の敵とフルラウンド戦い切り真っ白に燃え尽きてこの世を去ったが、私は種火で鎮火して気持ちが覚めてしまった。
こうしてファッション感覚で始めた私のボクシング人生はあっさりと終焉をむかえた。1年間の出来事だった。ボクシングをやめてからほどなく、友人から太極拳の先生を紹介された。私は命の心配が絶対に無い太極拳の世界なら魂を燃焼させられるのではないか、そしてイイネをたくさんゲットできるのではないかと思い、太極拳業界に足を踏み入れることになったのだが、この話はまた別の機会にて。
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