第十八話 真実を知る者達

文字数 6,544文字

今まで何年も森を出ていなかったのに、どうしてこのような伝手があるのだろうか。そしてこの場所は何なのだろう。疑問に思う事は多々あったが、グリンデに敬意を払ったカシム達の姿勢を見る限り、もはやこちらに対して敵意はないのは明らかだった。
ここで話をしても仕方がない。ひとまず、カシムの後を追おうとしたが、シルキーの足はぴたりと止まったまま微動だしなかった。シルキーはカシムの背後にある、煙を放つ甕をじっと見つめ、意識を奪われている。
予想の範疇だったのか、その様子を見たカシムが言葉を発した。
「……やはりよそから来た馬だと、この煙にはなれないようですね。まずは遠くにある馬小屋へご案内いたします」
カシムはくるっと反転し、オリビア達と向き合うと、再び右手をかざして合図をした。おそらくこの集落の外れに向けてだろう。彼は煙のある正面の方向とは違う、オリビア達から見て左方側へと歩き出した。
二度目でようやく主人の指示を受け取った。シルキーの立髪を、煙の方でなくカシムの歩くほうへ引っ張ると、足が少しずつ動き始めた。
「……あの煙は何なのですか?」
いきなり肝にはたどり着けない。どの生き物を捌くにも表面の皮から処理しなければならない。少女はその手順を多少なりとも守ることができたようだ。
オリビアはまず一番近いところにある疑問をカシムに尋ねると、彼はゆっくりと説明し始めた。口調はやはり頗る落ち着き、丁寧である。
「この煙は獣除けです。ヌカの木を燃やして出た煙には、多くの獣達が嫌う匂いがございまして、日中もずっとあの甕の中で燃やし続けています。この【アヌーダの森】には様々な生き物が生息していますが、特にガルムルという狼が凶暴かつ厄介でして……数十匹からなる群れが、この森で何十にも形成していて、あの煙を絶やしてしまうと、郷は一瞬で壊滅してしまうのです」
今、狼と聞けば脳裏に過ぎるものは一つしかない。ふいにオリビアの視線は背後のグリンデへと流れ、彼女はそれに答えるようにこくりと大きく頷いた。
「あぁ。川辺で襲いかかってきた、あの狼の連中だ。奴らは普通の狼とは違い、陣形を組んで襲いかかってくる。鍛えられた一端の兵士でも、なかなかこの森には立ち入れん」
同調は更なる同調を呼んだ。グリンデの言葉にカシムも大きく頷いた。
「えぇ。いっぱしの帝国の兵士でも、彼らに囲まれたら、まず生きては帰れないでしょう。彼らと戦えるのは伝説の魔女様のみですね。ただお陰さまで、その狼達が群れをなしてこの森で生きている事によって、我々も守られているのですが……」
「あの……何故そんな危険な森に住んでいるのですか?ここは……一体……」
動揺や不安といったものからだろう。少女は少し力み過ぎたようだ。表面を十分に処置出来ていないのにも関わらず、切っ先は内部の肉を少し切り裂いてしまった。
沈黙が流れたが、それも一瞬。おそらく少しもしたら伝える予定であったのだろう。多少、未来が早く訪れただけの事だった。答えはカシムからではなく、グリンデから返ってきた。いつもとなんら変わらず単調そのものである。
「……ここは、我と共に百六十年前に戦った仲間たちを中心に造られた郷だ。我の伝承も正確に伝えられておる」
(え?グリンデさんに仲間?)
オリビアは、グリンデの不器用で孤高な性格もあってか、彼女に仲間などなく、独りで黒羽族と戦っていたのだとばかり思っていた。彼女は、自分を崇拝する者達とは行動を共にしていなかったと言っていたが、ここにいる人々はその者達とは違う別の組織によるものなのか。
「あの……仲間って……」
「あちらが馬小屋です。ヌカの煙に慣れていない仔馬をこちらに入れていたのですが、今は1匹もいません。どうぞこちらへ。郷の中心にあるヌカの煙から離れておりますが、狼達が襲ってきた事はないのでご安心ください」
困惑するオリビアの問いは、カシムの言葉に重なりかき消されてしまった。
思っていたより遠くに馬小屋が見えた事、そして、ややカシムの声の方がオリビアのものより勝っていたのは、彼なりの配慮を含んでの事であった。
いきなりここで本題に踏み込んでは理解に苦しみ動揺する。やはり一呼吸は置いた方が良い。手順は慌てず少しずつ踏まないと、幼い少女にとっては辛いものになりかねないだろうと彼は考えたのだった。
ただグリンデから言わせれば、ある程度の事を早めに把握して貰ったほうが"本題"に入った時に事が運びやすい。ルドラの家に着いた際、無駄な時間を取らずに済むのだが。
(……まぁこの小屋からルドラの家までまだ少しかかろう。馬を置いて、少しずつ語るも良かろう)
いずれにしてもシルキーから降りねばならない。時間なら残されている。郷の様子を見ながらゆっくり話すのも悪くはない。
「そうさな。ものを話すにしても馬の上ではちと居心地が悪い。長う時間跨りすぎて身体が軋むわい。カシム、おんしの声も遠くて困る」
確かにその通りだ。シルキーの上からではカシムの声も聞こえ辛い。聞きたい事は沢山あるのだが、ひとまずシルキーを馬小屋に預けて、ルドラの家に向かう際、再び訪ねれば良い。既に、先を歩いていたカシムは、その小屋の扉を開けてオリビア達を促している。
シルキーの足は、ゆっくりとカシムの示す小屋へと踏み入れていった。
丸太を重ねるようにして作られているその小屋は、通路を挟んで一つずつの仕切りがあり、計四頭が入る小さな馬小屋だった。オリビアとグリンデはシルキーから降り、仕切りの一つへ入れようと促した。しかし、やはりこのシルキーは野生育ちである。直ぐに見知らぬ小屋に慣れる訳などなく、ぶるぶると唇で音を鳴らしながら、嫌々そうに後ずさりした。
その様子を見たカシムは、手を貸そうとシルキーに手を伸ばし近づいた。
「ヒヒヒーン……ぶるるる」
気高い白馬からすれば、当たり前の行動である。驚いたシルキーは、口を上げ、歯をむき出して彼を威嚇した。
「すみません……このシルキーはまだ先ほど出会ったばかりで……。どうやら私には懐いてくれているのですが、手助けなしではグリンデさんも乗る事が出来ないのです……。あまり触れようとはしないで頂けますか?」
「シルキーだって⁉︎やはりこの馬が伝説の……」
オリビアの、シルキーの頭を抱きかかえるように撫でる手つきとは裏腹に、返ってきた声は大きな動揺を含んでいた。吃驚の声はまだ続く。
「シルキー……。話でしか聞いた事がないのですが、とても警戒心が強く、うかつに触れようものなら蹴り殺すような恐ろしい獣だとか。その反面、心を許した者には深い忠誠心を持つ、気高き獣だとも聞いております。まさか貴方のような少女に懐くなんて……」
その言葉を聞いて、ははっと高らかな笑い声が辺りに響いた。主はやはりグリンデである。
「こやつは人間と言うより、獣に近いからな。外で寝る事もたやすく、匂いで獣の気配を感じとっておったわ。シルキーはこやつを人とは思っておらんのではないか?」
その言葉にオリビアの頬は大きく膨らみ、表情は顰めた。その様子にも目も暮れず、カシムの言葉は止まらない。
「……私はずっとこの森に棲んでおりますが、やはり野生の生き物はそう簡単に人には懐きません。ただ昔、群れからはぐれた、産まれて間もないガルムルの子供を育てていた事がありまして……。病にかかって亡くなってしまったのですが、生きている間は、とても人に懐いていました。もしかしたらこのシルキーも、幼い頃に人と触れあった機会、記憶があるのかもしれませんね……。ただでさえ気高い生き物とされておりますし、こんなにも人に懐かないと思います。……まぁ知る由もない話ですが」
オリビアの棲むチェルネツの森周辺にも、狐や栗鼠、それこそ狼などあらゆる野生動物が暮らしていたが、一度も懐いた事はなかった。カシムの話は、森の近くに住んでいたオリビアにも、非常によくわかる話であった。
(……この子、昔誰かと出会っていたのかな)
確かに、いくら扱いに慣れていたとはいえ、野生の馬が人に懐くのは不思議な話である。ただ、カシムのいうように、言葉を話せない生き物の昔話など知る由もない。

暫くしてシルキーがこの小屋に慣れ、落ち着きを取り戻したのを見計らうと、オリビアは小屋の仕切りの一つに足を踏み入れた。
オリビアが馬小屋の仕切りの中に入ると、そのあとを追ってシルキーの足が仕切りの内へと踏み込んでいった。辺りの匂いをしきりに嗅ぎ、落ち着いてきた様子を確認すると、オリビアはそっとその仕切りの外へと出た。シルキーは心細そうにオリビアに寄ってきたが、着ていたローブを馬小屋の地面に置くと、その匂いに安心したのか、ローブに寄り添い、地に腹をつけた。
「直ぐ戻るからね」
"直ぐ"とは翌朝のことになるのだろうか。その時、同じ表情でシルキーを見ていられるのだろうか。咄嗟に出たオリビアの言葉に、グリンデの表情が少し曇りを見せたが、少女は背を向けており、それを悟る事ができなかったようだ。
オリビアは低くしゃがんだ姿勢を解き振り返ると、魔女の黒い瞳を見つめ小さく頷き、その馬小屋を後にした。


馬小屋を出て、二人は先程のようにカシムの案内に続いた。カシムの持つたいまつの灯りに揺れて、木々の隙間から、さらに家屋らしきものが次々と姿を現す。どの家屋も木造で、オリビアが暮らしていた、一家族が住める一般的な大きさの家が、並行して数棟続いている。
「あの……。ここは何なのですか?グリンデさんの仲間って」
勿論忘れてなどはいない。切っ先は未だ深く突き刺さっており、より深部を抉ろうとしている。
少し沈黙があったのち、グリンデが口を開いた。
「……先ほど述べたように、百六十年前の黒羽族との戦いにて共に戦った仲間が作った郷だ」
それに続いてカシムが口を開く。
「……えぇ。この郷は先の戦いにてグリンデ様と共に戦った、お仲間方によって作られたものです」
カシムの松明の炎が一瞬、夜風に煽られ揺らめいた。照らし出された魔女の横顔には、深い哀愁と悲しみが入り混じっていた。
彼ももはやオリビアの近い未来を少なからず悟っているのかもしれない。カシムの話は続く。
「先の百六十年前の戦いは、帝国によって、庶民に真実は隠されておりました……魔法の存在に触れて、真実を知る者がその真実を残すため、そして再び魔法が人々を脅かしてはいないかを見守るため、この郷は作られたと聞いております。私と族長のルドラは、その中心となった二人のひ孫にあたります」
このような表情を見ると、本当に二百年近く生きてきた人間なのだと思わされる。グリンデはカシムの横顔を見つめ、呟いた。
「……真に懐かしいのぉ。カシム、おんしの横顔はランドの横顔そっくりだわい。ただ奴はおんしのように知的な処は一切なかったがの。そこはルルージュゆずりだわな」
グリンデの高笑いが再び辺りに響いた。
「そう。ここは魔法の存在に触れた者、真実を知るものたちによって作られた郷だ。中には帝国から身を追われた者もおった」
魔法の存在に触れ、真実を知る者。
今まで自分が伝えられてきた世界や歴史は、もはや、まやかしでしかなかったのだろうか。
しかし、これまでの道中で見た、伝説の魔女が繰り広げる業火に、嘘を疑う余地はない。自分の知らないところで魔法が存在しており、その魔法を伝説の魔女が目の前で繰り出していた事は、強い説得力を放っていた。
再び強い夜風が一同を襲った。しかし少女の表情は揺らめく松明の灯りに照らしだされなかった。
うつむくオリビアをよそに、カシムの話は続く。
「ここは帝国中心部から離れた辺境の地。先ほど申しましたように、この森には古くよりガルムルの群れが多く生息しております。その環境からも帝国から身を隠すのにはふさわしい場所でありました。それにこのヌカの木の煙や、私の首にかけてある【ガルダ】の爪に、ガルムルをはじめとした獣を近寄らせない効果がある事は、おそらく我々しか知りません。もはやここは古くより、自然の要塞でした」
それからルドラの家に向かうまでの少しの間、カシムからこの郷の話が続いた。
ヌカの木やガルダの爪はとても希少で、全て族長のルドラの管理のもと厳重に保管されており、特に郷の中心にある、他よりひときわ大きなヌカの木を燃やす甕は常に警護にあたる者がおり、一層と厳重に扱われている事。ガルダの爪は、郷の警護にあたる数人しか渡されておらず、族長に選ばれた信頼された者のみにしか、郷を自由に出られない事。やはりその理由に、この郷の存在を帝国に知られないようにする為であり、特に若い者達が好奇心から、容易に郷を離れられないようにするためでもある事。郷で生まれた子供達に、それぞれの成長に伴って、帝国の存在と、そしてグリンデの存在を順に教えを説いている事など、カシムはこの郷の掟をおおまかに語った。
ただグリンデはもはや百六十年前の人間であり、仮に帝国の人間にこの郷や魔法の話をしても信じて貰えないのが現実だろう、ともカシムは付け足していたが。
(……とりあえず、このくらいまでで良いだろう)
カシムは勿論、境界線を引いていた。選ばずに自然と適切な言葉が出てくるのは、流石はこの郷の長の弟といったところか。
悲しいが、人の世とはどの人種、どの地域においてもだいたい同じ様なものである。この郷にも様々な問題が起こり、それに伴って様々な規律が設けられているのだが、少女はまだ知らなくて良いだろう。全ての物事には順番がある。そう、肉を捌くには、まずは皮から処理しなければならない。少女はここでも大人たちの手の平の上にいることしか出来ないようであった。

おそらくここが先ほどカシムが言っていた郷の中心なのだろう。語りに耳を傾けていると一行の足は、今まで見た甕より、ひときわ大きな甕が置かれている場所へと辿り着いていた。その甕は、入口の物より一回り大きく、大人三人でやっと運べるくらいの物である。立派に木の床の上に置かれ、四方に太い柱が立ち、天井には、への字の屋根がついている。ごうごうと発する白い煙は、その天井にあたると静かに夜の暗闇へ吸い込まれていく。
カシムは、その甕を守る者達二人へ軽く会釈をすると、一行の足はより郷の奥へと踏み入れていった。
少女の目線は依然、地を向いていた。
魔法の真実を知る者のみが、息をひそめて生きている場所。その話を聞いた時から心を黒々とした物が覆いかぶさってしまっていたのだった。
ただ不思議な事に歩みだけは止まらない。本能的に、もう抗えない事を悟っているのかもしれない。何かに引かれるように淡々と導かれてゆく。
ここが森の中でなければ、さぞ静寂に包まれていたであろう。すっかり家屋もなくなり、辺りは木々に覆われている。もう川の流れる音も聞こえない。ほか二人も一切言葉を発せず、風に揺られる草木の音だけが何度も過ぎ去っていった。
沈黙の中歩みを進めると、俯く少女の景色にも石畳が足され、目の前に大きな家が姿を現した。ここまで来る間に見た家屋は、どれも木造の平屋の家ばかりだったのだが、この家は石造りで二倍ほどの高さがあり、少し威厳が漂っている。
「こちらが族長の家です。族長はおそらく、裏の倉庫で調べ物をしており、しばらくすると、いらっしゃると思います。……オリビアさん、もしかしたら、これより族長から複雑な話があるかもしれませんが、是非落ち着いてお聞き下さい」
そういうとカシムは再び来た道を戻って行った。(今までの話だともしかしたら私は…… いやそんなことはない)
感情だけで走り出すことも多いが、それほど馬鹿ではない。オリビアの心の中で、嵐のような自問自答が巻き起こっていた。しかし、うつむく少女をよそに、既に魔女は家の扉に手をかけている。
もう逆らう事など出来ないのだ。オリビアの運命は、とうに激流へと変わっており、ただ何処かに流れ着くようにと、身を委ねる事しかできないようであった。
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