Interlude:She is gone.
文字数 3,001文字
~~~古城一郎 ~~~
「……まぁたこんなとこで寝てんすかぁ」
呆れたような奈々の声で、古城は目を覚ました。
脱稿祝いで開けたビール。乱雑に積み上げられた資料の山。開きっぱなしの手帳には、無数の連絡先と行動予定が書き込まれている。
「ああー……?」
どうやらデスクに突っ伏したまま寝てしまっていたらしい。
「ダメっすよ-。寝るなら寝るで、ちゃんと寝る。今回締め切りキツかったんすから、きちんと休養とらないと。そんな姿勢じゃまったく疲れがとれませんよー」
スリープ状態になっていたノートPCを操作する奈々の白い指を、ボウとした目で追った。
「えーと、なになに……『彼女はどこから来て、どこへ消えたのか?』」
小鳥遊奈々 。
新卒採用から2年。戦力としてはまだまだだが、将来の夢はでっかくピューリッツァー賞。
色白小顔の美人で、古城の勤める総合週刊誌編集部の看板娘。
パンツスーツにスニーカーという格好で活発に動き回る姿は、むさ苦しい男だらけの部内ではひと際目立つ。
もとから大きい奈々の目が、文字列の内容を把握すると、さらに大きく見開かれた。
「え……なんすかこれ。先輩の……ルポ?」
「……だよ、仕事とは別」
「将来的には出版も考えてるとかそういう?」
「……うっせ。そういうんじゃねえよ。趣味だよ、純然たる趣味」
照れくさくなった古城は、ノートPCをぱたんと閉じると立ち上がった。
伸び放題の髪の毛をガシガシかきむしり、大きくあくびをした。
目じりに浮かんだ涙をこすりながら時計を見やると、時刻は午後2時過ぎ。サラリーマンやOLらの食事時間からは外れている。
雑誌記者なんてヤクザな職業の食事時間にはふさわしいかもな。そんなことを考えた。
「おい奈々。昼飯食い行くか?」
「それは昼飯食いながら教えてやるってことすか? 当然行くっす! 小鳥遊奈々! 同道いたします!」
打てば響くような小気味よい返事を返すと、奈々はハンドバッグを引っ掴み、慌ただしく準備を整えた。
「どこ行くっすか!? 何食べるっすか!?」
歩き始めた古城の後ろに、ぴょんぴょんスキップするようについて来る。
相変わらず奈々の古城への接し方は好意満タンで、部の男どもの嫉妬を煽る。
──おい、社内恋愛禁止だぞ。
──おい、年齢考えろよアラフォー男子。さすがに犯罪だぞ?
──……古城はボーナスカットだな。
男どもの心の声に対し、心の中で弁解した。
──バカ、違うんだって。こいつはお嬢様育ちで、そういった男女の機微とかには疎いやつなんだよ。
──だから勘違いすんなって。こいつのこれは、あくまで先輩後輩のそれなんだよ。
──……すいません部長、ボーナスだけは勘弁してください。
脱稿直前の修羅場よりも精神的に疲れたなと思いながら、何も考えずに行きつけのラーメン屋の暖簾をくぐった。
くぐってから、ああ、年頃の女の子を連れて来るとこじゃねえなと気がついた。
「おまえさんにはもう少し綺麗な店の方がよかったかね……」
「うわあーすごいっすね! ジス・イズ・ラーメン屋! みたいなラーメン屋じゃないすか! 雰囲気あって最高っす! さっすが先輩! いっつも奈々を新しい世界へ連れて行ってくれますね!」
「ああ、うん、そうね……」
きらきら目を輝かせて店内を見渡す奈々から、なんとなく目をそらした。
聞きようによってはお世辞か煽りともとれる感想だが、奈々に関してだけは、それはない。
純粋培養のお嬢様故にか、100%本気。100%善意で言ってる。
(……ちぇ、いい歳こいてときめいたりするんじゃねえぞ。オレよ)
キュンとしかけた自身に釘を刺した。
テーブル席に向かい合わせに座るなり、奈々はがばっと身を乗り出してきた。
「さあさあさあ! 早く教えてくださいよ! さっきから奈々は気になって気になって気になあぁって! もう吐く寸前までいってたんすから!」
「なんで吐くんだよ。あとうっさい。他の客に迷惑」
「もがーもがもがーっ」
律儀に口元を手で抑える奈々。
その真剣な表情に噴き出しそうになりながら、古城は切り出した。
「あー……、おまえさんの世代でも、さすがに禍 は覚えてるよな?」
「8年前といえば、奈々は青春真っ盛りの高校生でしたからね。もうバッチリっすよ」
「まあ、青春真っ盛りはどうでもいいんだが……」
……そうだな、あの娘もそういえば、高校生ぐらいだった。
ぽつりと、胸中でつぶやいた。
「……なあ、おまえさんの高校って、制服はセーラー? ブレザー?」
「セーラーっすね」
「マフラーとか防寒具に、色の指定はあった?」
「著しく華美でなけれぱ……だったかな? あんまり守ってる人もいなかったっすけど……。それがいったい、どうしたんすか?」
はっとした顔になって、奈々はなぜか胸元を隠した。
「ま、まさか……奈々のセーラー服姿が見たいとか!? さ、さすがにもう入りませんよぉ!?」
「入ったら着るのかよ……って違う。そういう話じゃない。あとうっさい」
「もがーもがもがーっ」
「なんでそういうことを聞いたのかっていうとな……」
テーブルの上で手を組み合わせ、表情を引き締めた。
「オレはその時、それくらいの……当時のおまえぐらいの女の子に命を助けられたんだ──」
8年前。
地球は滅びの危機に瀕していた。
現代戦術も化学兵器も効かない多元世界人たちの侵略の前に、まったく成すすべなかった。
多くの国で、多くの都市で、延命だけを目的とした絶望的な戦いが繰り広げられた。
夢に燃える若手記者だった古城は、最初のうちこそ張り切って駆けずり回っていたけれど、徐々に倦 み、恐れ、ついにはカメラを持つ気力すら失ってしまった。
侵略者が目を向けすらしないだろう田舎へと、ひとり逃げた。
「……その時オレがいたのはさ、とある地方の山間の町だった。一度何かで取材にいったことのある町でさ、友好的な記事を書いたオレのことをみんなが覚えてくれてて、そん時もすんごく良くしてくれた。あんなご時世なのに、まるで本当の隣人みたいに接してくれた。空き家を貸してもくれた。いくら感謝したってまだ足りねえ。……だけどそんなとこにもさ、容赦なく、奴らはやって来たんだ……」
ゆっくりと噛みしめるように、過去へ思いを巡らせた。
遥かな昔にやめたはずのタバコが、無性に吸いたくなった。
「その時のオレは無力で……まあ、今もそれほど変わっちゃいないんだが……」
いくつかの命が腕の中で、あるいは目に届く範囲で失われていくのを見た。
「とにかくどうしようもなくて万策尽きて……だから皆で祈ってた。小さな小学校の……あれは体育倉庫だったかな……。生徒や先生や親御さんたちと、皆で寄り集まって祈ってた。こんなの夢だって、いつかきっと覚めるんだって。心をこめて祈っていれば、天使や神様が来てくれて、目の前の化け物どもをぶっ倒してくれるんだって……」
ちょうどそんな時だった。
彼女が現れたのは──
「……まぁたこんなとこで寝てんすかぁ」
呆れたような奈々の声で、古城は目を覚ました。
脱稿祝いで開けたビール。乱雑に積み上げられた資料の山。開きっぱなしの手帳には、無数の連絡先と行動予定が書き込まれている。
「ああー……?」
どうやらデスクに突っ伏したまま寝てしまっていたらしい。
「ダメっすよ-。寝るなら寝るで、ちゃんと寝る。今回締め切りキツかったんすから、きちんと休養とらないと。そんな姿勢じゃまったく疲れがとれませんよー」
スリープ状態になっていたノートPCを操作する奈々の白い指を、ボウとした目で追った。
「えーと、なになに……『彼女はどこから来て、どこへ消えたのか?』」
新卒採用から2年。戦力としてはまだまだだが、将来の夢はでっかくピューリッツァー賞。
色白小顔の美人で、古城の勤める総合週刊誌編集部の看板娘。
パンツスーツにスニーカーという格好で活発に動き回る姿は、むさ苦しい男だらけの部内ではひと際目立つ。
もとから大きい奈々の目が、文字列の内容を把握すると、さらに大きく見開かれた。
「え……なんすかこれ。先輩の……ルポ?」
「……だよ、仕事とは別」
「将来的には出版も考えてるとかそういう?」
「……うっせ。そういうんじゃねえよ。趣味だよ、純然たる趣味」
照れくさくなった古城は、ノートPCをぱたんと閉じると立ち上がった。
伸び放題の髪の毛をガシガシかきむしり、大きくあくびをした。
目じりに浮かんだ涙をこすりながら時計を見やると、時刻は午後2時過ぎ。サラリーマンやOLらの食事時間からは外れている。
雑誌記者なんてヤクザな職業の食事時間にはふさわしいかもな。そんなことを考えた。
「おい奈々。昼飯食い行くか?」
「それは昼飯食いながら教えてやるってことすか? 当然行くっす! 小鳥遊奈々! 同道いたします!」
打てば響くような小気味よい返事を返すと、奈々はハンドバッグを引っ掴み、慌ただしく準備を整えた。
「どこ行くっすか!? 何食べるっすか!?」
歩き始めた古城の後ろに、ぴょんぴょんスキップするようについて来る。
相変わらず奈々の古城への接し方は好意満タンで、部の男どもの嫉妬を煽る。
──おい、社内恋愛禁止だぞ。
──おい、年齢考えろよアラフォー男子。さすがに犯罪だぞ?
──……古城はボーナスカットだな。
男どもの心の声に対し、心の中で弁解した。
──バカ、違うんだって。こいつはお嬢様育ちで、そういった男女の機微とかには疎いやつなんだよ。
──だから勘違いすんなって。こいつのこれは、あくまで先輩後輩のそれなんだよ。
──……すいません部長、ボーナスだけは勘弁してください。
脱稿直前の修羅場よりも精神的に疲れたなと思いながら、何も考えずに行きつけのラーメン屋の暖簾をくぐった。
くぐってから、ああ、年頃の女の子を連れて来るとこじゃねえなと気がついた。
「おまえさんにはもう少し綺麗な店の方がよかったかね……」
「うわあーすごいっすね! ジス・イズ・ラーメン屋! みたいなラーメン屋じゃないすか! 雰囲気あって最高っす! さっすが先輩! いっつも奈々を新しい世界へ連れて行ってくれますね!」
「ああ、うん、そうね……」
きらきら目を輝かせて店内を見渡す奈々から、なんとなく目をそらした。
聞きようによってはお世辞か煽りともとれる感想だが、奈々に関してだけは、それはない。
純粋培養のお嬢様故にか、100%本気。100%善意で言ってる。
(……ちぇ、いい歳こいてときめいたりするんじゃねえぞ。オレよ)
キュンとしかけた自身に釘を刺した。
テーブル席に向かい合わせに座るなり、奈々はがばっと身を乗り出してきた。
「さあさあさあ! 早く教えてくださいよ! さっきから奈々は気になって気になって気になあぁって! もう吐く寸前までいってたんすから!」
「なんで吐くんだよ。あとうっさい。他の客に迷惑」
「もがーもがもがーっ」
律儀に口元を手で抑える奈々。
その真剣な表情に噴き出しそうになりながら、古城は切り出した。
「あー……、おまえさんの世代でも、さすがに
「8年前といえば、奈々は青春真っ盛りの高校生でしたからね。もうバッチリっすよ」
「まあ、青春真っ盛りはどうでもいいんだが……」
……そうだな、あの娘もそういえば、高校生ぐらいだった。
ぽつりと、胸中でつぶやいた。
「……なあ、おまえさんの高校って、制服はセーラー? ブレザー?」
「セーラーっすね」
「マフラーとか防寒具に、色の指定はあった?」
「著しく華美でなけれぱ……だったかな? あんまり守ってる人もいなかったっすけど……。それがいったい、どうしたんすか?」
はっとした顔になって、奈々はなぜか胸元を隠した。
「ま、まさか……奈々のセーラー服姿が見たいとか!? さ、さすがにもう入りませんよぉ!?」
「入ったら着るのかよ……って違う。そういう話じゃない。あとうっさい」
「もがーもがもがーっ」
「なんでそういうことを聞いたのかっていうとな……」
テーブルの上で手を組み合わせ、表情を引き締めた。
「オレはその時、それくらいの……当時のおまえぐらいの女の子に命を助けられたんだ──」
8年前。
地球は滅びの危機に瀕していた。
現代戦術も化学兵器も効かない多元世界人たちの侵略の前に、まったく成すすべなかった。
多くの国で、多くの都市で、延命だけを目的とした絶望的な戦いが繰り広げられた。
夢に燃える若手記者だった古城は、最初のうちこそ張り切って駆けずり回っていたけれど、徐々に
侵略者が目を向けすらしないだろう田舎へと、ひとり逃げた。
「……その時オレがいたのはさ、とある地方の山間の町だった。一度何かで取材にいったことのある町でさ、友好的な記事を書いたオレのことをみんなが覚えてくれてて、そん時もすんごく良くしてくれた。あんなご時世なのに、まるで本当の隣人みたいに接してくれた。空き家を貸してもくれた。いくら感謝したってまだ足りねえ。……だけどそんなとこにもさ、容赦なく、奴らはやって来たんだ……」
ゆっくりと噛みしめるように、過去へ思いを巡らせた。
遥かな昔にやめたはずのタバコが、無性に吸いたくなった。
「その時のオレは無力で……まあ、今もそれほど変わっちゃいないんだが……」
いくつかの命が腕の中で、あるいは目に届く範囲で失われていくのを見た。
「とにかくどうしようもなくて万策尽きて……だから皆で祈ってた。小さな小学校の……あれは体育倉庫だったかな……。生徒や先生や親御さんたちと、皆で寄り集まって祈ってた。こんなの夢だって、いつかきっと覚めるんだって。心をこめて祈っていれば、天使や神様が来てくれて、目の前の化け物どもをぶっ倒してくれるんだって……」
ちょうどそんな時だった。
彼女が現れたのは──