第1話

文字数 1,996文字

 高校生の時、僕の友人の父親が亡くなった。末期の癌だったそうだ。
 葬儀の後、落ち込んで暗く沈んでいる友人を元気付けようと、僕は彼を頻繁に遊びに誘った。学校の帰りに買い食いをしたり、ゲームセンターに立ち寄ったり、楽しいと思える事には悉く誘った。だが、友人の表情は一向に明るくならず、常に重苦しい空気を纏っていた。それ以上どうすれば良いか、僕には解らなかった。

 そもそも僕には、人が亡くなって悲嘆に暮れる気持ちが、皆目理解出来ない。知っている誰かの訃報を聞けば、一応は悲しい気持ちにはなる。しかし、『あぁ、残念だったね。』という程度だ。己が落ち込む程の事は無い。
 僕には、亡くなって悲嘆に暮れる程、近しい人間が存在しないのだ。父親も、兄弟も、祖父も、祖母も、おじも、おばも、いとこも、僕には誰も居ない。それ等の人々に対する感情は、本や映画や伝聞から想像するしかない。僕に居るのは、週に一度、病院で顔を合わせる母親だけだ。母親が亡くなった時には、友人の悲しむ気持ちが理解出来るのだろうか。

 「元気出せよ。そんな状態じゃ、受験にも障るだろう?」
何とかして友人に笑顔を取り戻させようと、僕は必死に慰めた……つもりだった。
「受験?そんな事を考えられる余裕なんて、今、有る訳無いだろう!父さんが……父親が亡くなったんだぞ!」
「でも、亡くなった人の事を、いつまでも想っていても仕方が無いだろう?それはそれとして考えて、もっと前を向いて生きて行かないと……。」
僕が、優しく彼の肩に手を掛けようとした時だった。僕の手を払い除けながら、突然に彼が激昂した。
「お前に何が解るんだ!お前には父親が居ないから、父親を失う辛さが解らないんだろう!お前には……人の死を心の底から悼む、人間らしい感情が欠落しているんだ!」
 その通りだった。僕は、どんな感動的な映画のシーンでも、人が亡くなる時に涙の一つも出ない。父親が亡くなれば、兄弟が亡くなれば、泣くのが普通なのだと学習しただけだ。
「ごめん……。理解したいけれど、僕にはどうしても解らないんだ。君を慰めるつもりだったのに、僕は全然駄目だな……。」
ゆっくりと後ずさり、僕は彼に謝罪を込めた目線を送りながら背を向けた。
「上手く理解してあげられなくて……本当に……ごめん。」

 その後、友人とは疎遠になったが、無事に卒業式の日を迎えた。愈々、これから式典が始まるという時に、担任の教師が僕の所に駆け寄って来た。
「つい先程、病院でお母さんが……。」
「……そうですか。式典が終わり次第、病院に向かいます。」
「え?今直ぐに向かった方が良いんじゃ……。」
「いえ、既に亡くなっているのであれば、その必要は無いと思います。教えて頂いて、ありがとうございました。」
それでも尚、教師は直ぐに病院へ向かう様に説得して来たが、僕にはどうしても従う気になれなかった。

 卒業式が終わり、未だ別れを惜しんで語らい合う級友達を眺め、僕は一人で教室を後にした。
「ま、待ってくれ!」
疎遠になっていた友人が、僕の背中に向かって声を掛けて来た。
「俺はお前に酷い事を言った。自分の事で精一杯で、友人を想う……人間らしい感情が欠落していたのは、この俺の方だった。だから、俺はお前に……。」
「病院に行かないと。母親が亡くなったんだ。」
驚きのあまり、何も言えずに眼を見開いたままの彼に、僕はゆっくりと語り掛けた。
「式典の始まる前に、先生から聞いてね。……でも、涙の一滴も出やしない。僕は君の言う通り、人間らしい感情が欠落しているんだ。こんな僕なのに……君は、一時でも友人で居てくれた。心から感謝しているよ。ありがとう……。」
僕は彼に敬礼をすると、振り返る事無くその場を後にした。

 高校を卒業してから、僕は小さな電機会社の事務職に就いた。大学に進学したいとも思ったが、預金も無い天涯孤独の身では、就職して働かざるを得なかった。それでも、こんな僕の身上を理解した上で、採用してくれたこの会社には本当に感謝している。
 僕がいつもの様に、会社の旧式コンピュータで作業をしていると、隣の応接室に置かれたテレビからニュース速報が流れた。また社長が電源を切り忘れたのだと思い、僕は電源を切ろうと応接室に向かった。その時、聞こえて来たニュース速報の内容に、僕の身体は動きを停止した。高速道路での追突事故で、死亡者の氏名に覚えが有ったからだ。同姓同名の他の誰かだと思いたかったが、事故現場が彼の実家の近くであった事や、現場映像に映された事故車両からも、彼で間違い無いと確信せざるを得なかった。
 全身が小刻みに震えたかと思うと、僕はその場に立って居られなくなり、膝を付く形で頽れてしまった。気付いた時には、両頬を大量の涙が伝っていた。

 僕は、晴れて『人間』であると証明された。でも、こんな思いをするのなら、ずっと『欠落者』のままで良かったと思う。
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