第2話 さくらひらひら

文字数 744文字

 さて、相変わらず公表しようと思うだけのことが出てこないのだが、春が到来し、さくらも満開の時期を終えるころになった。毎年、さくらを見ることができるのは楽しみにしているのだが、改めて思うのは日本人はさくらが好きで、そこらじゅうにさくらが植えてあることだ。近所のスーパーに行く間にも駅に向かう間にもさくらに出会うという具合である。兎角、日本人はさくらが好きだ。
 でも、なぜこんなにさくらが人気なのだろう。さくらが咲き始めるころも満開のころもふと立ち止まって、その姿をスマホに収めようとするのはなぜだろう。多分、その刹那性なのかと思う。さくらが満開で最高に美しい時期は1日か2日そこらである。満開のさくらを見つけたら、次の日には葉が混じって、違う様相を呈している。花火もそうだが、パッと全力の姿を見せ、気づいたころには消えかけているものには、心惹かれる。
 では、なぜ、刹那性に惹かれるのか。諸行無常の響きありとは言うが、どうしてそんな概念や感覚が日本的ともいわれるのだろう。ステレオタイプなものの見方ではあるとは思うが、刹那性への共感は日本的なように私も感じる。日本は家も文化も四季も流れが速い、変化が多い国だからなのだと思う。変化のないものなどないと日常生活で読み取り続けているのかもしれない。更に刹那性に惹かれるのは、消えゆくものだからこそ大切にしたくなる、人間の情のようなものなのだろうか。
 ここまでざっと思ったことをつらつらと書いてきたが、全然答えにはなっていないし、真面目に考えるなら文化人類学でも学ばなくてはいけない気がするが、私は学者でもないのでとりあえずこれで締める。しかし、日常のふとしたことでも真面目に考えようとすると頭がパンクしそうになる。学生時代に書いた論文を思い出した
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