オープンカード

文字数 2,265文字

「亜米利加、でございますか……」
「おう、そうよ」

 勝は蚊でもいたのか、ぱちり、と首筋を手で叩いて仁三郎を見つめた。
 勝安房守の下で働き始めて六月ほど経つが、この男の考えている事が仁三郎にはほとんど理解できない。快活そうで人の懐にスッと入り込んでくるのに、自らの腹の底は深い井戸のように見えない。そうでなくば幕臣など務まらぬのだろうが。
 勝はおもむろに煙管の灰を庭に棄てると、ちょいちょい、と手招きした。一礼して濡れ縁ににじり寄った。

「津山の松平は知ってるな」
「はっ、詳しくは存じませぬが……」

 津山藩。美作国を領地とする十万石の大藩だ。だが昨今、大規模な一揆が頻発し、窮状に瀕していると、風のうわさで聞いたことがあった。
 江戸藩邸は江戸城内の鍛冶橋門で、かなり立派な邸が構えられている。

「津山藩には代々伝わる宝刀があってな」
「宝刀ですか」
「藩では一揆が起きるわで津山の台所もかなり苦しい。それで、その宝刀を担保に両替屋から金子を借りちまったのよ」
「なんと……」
「ペリーの来航で参勤交代は無くなったが、幕府の力が弱まったことで一揆は起きるわでどこもかしこも金がねぇ。恐らくは他の藩も同じような状態だろうな」

 藩の運営には莫大な金が必要になる。一揆の平定、子女の婚礼費用、不作だった時の対応やその他諸々に金がかかる。それを解決したのが、市井の商人、両替商や札差であった。彼等は米や藩の私財を担保に金を貸して利益を得ていた。恐らく、この時一番裕福だったのは、彼等だろう。
 勝は一旦言葉を切り、刻み煙草を煙管の口に詰め、熾火になった炭の欠片で火をつけた。上質な煙草の香りが庭の梔子の香りに混ざって溶ける。

「だが、その宝刀を預けた札差が五日前に御用盗に入られちまったのよ」

 現場は凄惨なものであった。札差の主、家族、奉公人に至るまで皆殺しにされ、火までつけられたという事であった。

「酷いものですな」

 仁三郎が顔を顰めたが、勝は話の本筋はそれじゃねぇと首を振った。

「盗られたものが問題よ。盗られたのはあの伝家の宝刀、童子切安綱だ」
「まさか……」

 童子切安綱。太閤豊臣秀吉から徳川家に受け継がれたと言われる、天下五剣のそのひと振り。大包平ともに、最も優れた名刀と称されていた。

「二日間、配下の者と奉行所総出で探らせた。そしたらな、横浜の廻船問屋から妙な話を聞いたのさ」

 勝は懐から書状を出し、仁三郎に差し出した。中には勝の配下が廻船問屋から聴取した調べ書きが詳細に記載されていた。

 ――ええ、左様に御座います。出航の二日前に下田屋さんから妙な荷を受けました。
 ――背も高く、怖いお侍様がご一緒だったので、無下にも断れず……はい。いえ、訛りがございました。恐らく薩摩の御武家ではないかと。
 ――荷は二十五点で、少し焦げ目がついた細長い桐箱に入った……ええ、三尺ほどでしょうか。桐箱に葵の紋が。
 ――荷は亜米利加の桑港(サンフランシスコ)に行く予定でした。

「下田屋は薩摩と昵懇(じっこん)の両替屋だ。その荷が童子切だと言う確証はねえが、限りなく真っ黒に近ぇ」

 仁三郎は相変わらず煙管をふかしている勝を見つめた。

「ご用命に背く気は毛頭御座いませぬが、しかし、私にはメリケンの言葉すら……」

 余程情けない顔をしていたのか、仁三郎の動揺にこらえきれないといった風に笑った。

「二刀小太刀の遣い手も異国行きには形無しかぁ? 大丈夫だ。俺の配下の通詞を付ける。咸臨丸でメリケンに行った事があるからな。頼れる男だぜ?」

 それを聞いて仁三郎はホッとした。言葉も通じない異国の地でたった一人、何処にあるかも知らない刀を探す事になるのかと思うと、寒気すら覚える。
 呵々と笑っていた勝が何かに気づいたように、銜えていた煙管を離し、くるくると回した。

「して、仁三郎、腰の二刀はどうした? 一振りしかねぇじゃねぇか」
「先程の立ち合いにて、折れましてございます」
「薩摩のイモ共も剣だけは剛剣よなぁ……ちっと待ってな」

 仁三郎が使う二刀の脇差は父から受け継いだものである。無銘であったがよく斬れ、この六月の修羅場をくぐり抜けて来た。
 いそいそと勝は羽織を翻して家の中に引っ込むと、なにやら奥の方でがさがさと音を立て始めた。
 夜半にそんなに音を立てて奥方が起きてくるのではないかとヒヤヒヤしていると「おお、あったあった」という声がして、障子の奥から勝が紫の袱紗に包まれた細長い包みを手にして戻ってきた。

「お前ぇさんに、これをやるよ」

 差し出されたそれを両手で受け取り、袱紗を解く。すると、黒い鉄拵えの脇差が覗いた。

「これは……」
「親父殿の道楽のひとつでな。剣なんかからっきしの癖にやたらと集めたがった。で、それはその一つ。村正の一振りよ」

 少しだけ、鯉口を切る。月明かりに照らされた刃がきらりと光り、美しい刃紋が露わになった。

「抜いてみな」
「はっ」

 濡れ縁から二、三歩離れてから、一礼し、両刀を鞘から抜いた。右手に村正を逆手に構え、体を回転させるように薙いだ。
 はらり、と枝から落ちた梔子の花弁が綺麗に二つに断ち割れた。

「いいモンを見せてもらったぜ」
「有難く、頂戴いたしまする」

 満足そうに頷く勝に一礼し、仁三郎が言った。

「亜米利加行きは三月後。それまで通詞方から亜米利加の事をみっちり勉強してもらうからな」

 その言葉に一瞬仁三郎の身体が強張ったように揺れ「……承知、いたしました」と消え入りそうな声で呟かれた。それを見た勝の肩が震えていたことなど、仁三郎が気づくことはなかった。
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