第42話 後見人と、被後見人と

文字数 1,523文字

「篠地さんから封書が届いたわ。あなた宛てに」
「え? あの、顧問弁護士の?」
 手にしたA4サイズの封筒を振る貴禰に、洗い物をしていた依里子が水を止め、手を拭きながら尋ねた。
「そう、手続き完了通知在中ってあるわ」

 そうか、あれからもう1ヵ月が経つのか―。この屋敷で慣れない仕事や習い事を詰め込まれているうちに、あっという間に時間が過ぎていった気がする。そう言えば、季節はすっかり新緑で、庭の木々の美しさに目を奪われながらお茶をすることも増えた。ああこれで、ようやく私は、法律上も正式に認められた後見人となれたのね。出入り業者の御託なんか、これからは軽くいなしてやるわ!

「ね、開けてみたら? 私にも関係することだし、見せてもらってもいいでしょ?」
「あ、はい、そうですね」
 2人してダイニングテーブルに座って、そっと封を切る。出てきたのは、送り状と、認定証と、1冊の冊子。表紙には『第二種後見人制度 当該者向け指導書』とある。
 指導書? めくってみると、後見人として義務付けられる内容が列挙されていた。

・本状受取り後10日以内に、後見人マッチングセンター(以下センター)に届け出ること
・上記申請が無い場合は、4日以内に取り消し手続きが推進される
・届け出以降、1年目は、1ヵ月ごとのセンターへの出頭報告が義務付けられる
・2年目以降は、隔月の出頭報告、出頭の無い月のレポート提出が義務付けられる
・後見終了時には7日以内にセンターに届け出て、所定の手続きを完了すること
・以上定められた期間内の履行が無い場合、すべての資格・権利が取り消される

 何度も受験してきた身としては先刻承知の内容ばかり。だが、初めて見るらしい貴禰は、読み進むにつれ、眉間のしわを深くしていった。
「…随分と厳しいのね?」
「このくらいは、普通と思いますが」
「だって、被後見人の状況を毎月、出頭して報告って。一緒に暮らしているのに面倒よね」
「…一緒に暮らしているから、なんですよ、きっと」

 そう応えながら、またも過日の宅配男の言葉が蘇ったが、今度はすんなりと納得できた。そうだ、見知らぬ他人が共に暮らし始めたんだ。十分すぎるほどの警戒は当然必要だ。私が疑われているわけじゃない、一般論としてそうなんだ。間違えてはいけない、後見人は他人、親類なんかとは違う。

「実はね、私にも送られてきたのよ」
「何がですか?」
「これよ。ほら」
 貴禰が、冊子を取り出して依里子に見せる。その表紙には『非後見人向け手引書』とあった。

 そんなのもあるんだ、これは知らなかった―。そう思っていると、貴禰が、依里子にも見えるようにページを開いてみせた。存外大きな文字で書かれていると見て取り、慌てて目を逸らす。
「あら、あなたも見ていいのよ? 私も、あなたの冊子みせてもらったじゃない」
 貴禰はそう言ったが、いや、ダメでしょ、と依里子は目を逸らしたままでいた。だって、内容は容易に想像がつく。後見人、つまり私とうまく行かなかったときの対処法だ。どこに相談すればよいか、緊急に助けが必要な時はどうするか、etcetc…。

「ねえ、後見人とうまく行かなかったら、虐待を受けたら、ですってよ」
「ええ、大切なことですよね」
 思ったとおりの内容。目を逸らしつつ応えると、しばらく不思議な沈黙が落ちた。

「ま、とにかく、あなたは10日以内に、そのマッチング何とかに行って正式登録の件を報告しなくちゃなのよね?」
「はい。明日は仕事があるので、明後日の午後にでも行ってみます」
「それがいいわね。うっかりして失効なんてことになったら、私も困るし」
 貴禰さんが困る? 私が、後見人の立場を失効すると? 何気ないその言葉は、依里子の心に深く沁み込んだ。
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