コスモス

文字数 931文字

「お葬式のときには、これ使ってほしい」
 母が持ってきた一枚の写真は、いつかコスモス畑で撮った写真だった。私がまだ小学校低学年くらいの頃であったか、母と二人でコスモス畑を見に行って、お互いに、花に囲まれて撮り合ったものだ。
 母は、コスモスが一番好きな花だ、と言った。理由は忘れてしまった。そもそも訊かなかったかもしれない。
 私は、母の病気は治ると思っていたし、母が居なくなることなど、現実味のあるわけも無いから、ただ漠然と、いつかの時のため、という気持ちで「うん」と言った。私が、中学一年か二年の頃だった。

 それから一年経つか経たないうちに、その写真は使われることになってしまった。
 大きく引き伸ばされたその写真は、パステルカラーの額に入れられて白い祭壇の中央に置かれた。大好きなコスモスの花に囲まれて、にっこりと微笑む母の写真。
「ネガがあった訳でもないのに、大きくしても綺麗なもんだな」出来上がった写真を見て、父が言った。
 祭壇の両側には、カサブランカをメインとした白い花々の生けられた花籠が、対で飾られた。
 いつも母と過ごしていた六畳の和室は、カサブランカの強く甘い香りと、線香の香りとが同時に漂い、見慣れない仏具が置かれ、テーブルや座布団なども片付けられて広くなり、全く別の部屋のようになってしまっていた。

 やがてそこへ、近所の交流のあった人たちや、母の友人知人などが、入れ代わり立ち代わり、参列し始めた。
 初めこそ私も制服を着て、片隅に座って立ち合っていたが、弔いの言葉を掛けられたり、気の毒がる目に晒されているのが段々と耐え難くなり、私は途中から逃げ出して、それから終わりまでずっと、二階の自室に隠れていた。
 そうして通夜が終わり、四十九日も終わり、残ったのは、母の為に毎日お茶を入れ、線香を上げ、経を読む習慣だった。それは、私が高校を卒業して、家を出るまで続いた。

 その後は、それらの習慣も無くなってしまったが、母が常に心に在ることに変化はない。
 毎年、夏から秋にかけて、あちらこちらでコスモスの花が咲き出す。見れば、「ああ、お母さんの好きな花が咲いてる」とつい思う。そして、いつか行ったコスモス畑のことを考え、母のあの写真のことも、思い出すのである。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み