7 私を見て

文字数 3,112文字

 新聞記者様相手に、記事の内容を詳しく説明するのも、何だかおかしな気がしますが、お許しください。
 私が並々ならぬ衝撃を受けたのは、先般、警視庁特高部が、演劇関係者の秘密結社を治安維持法違反で摘発した事件の報道です。人気映画の監督や俳優、座付き作家も容疑者の中に含まれていましたから、世間もきっとどよめきたったのでしょうね。
 私は黄色い家の専属女優でしたから、幸い、知っている方が検挙されて、青くなるという事態には見舞われませんでした。
 けれど、東京日月新聞、つまり御紙の十二月二十日付の朝刊第二面、特高部が捜査の端緒を掴み、大摘発に至るまでの大立ち回りを、勇猛果敢な筆致で書いた記事を読み、私は全てを解しました。
 さる警視庁特高部幹部のインタビューの中に、一ノ谷先生の名があったのです。特高部は先生を、今回検挙された一味の中心人物と睨み、内偵調査を続けていたが、検挙直前に、痴情のもつれで、共産主義運動とは無関係の女優に殺されてしまったと、私が起こした殺人事件にも少しだけ触れていました。
 あの日、共産主義者たちの秘密会合があったそうですが、先生は会合には出ず、仕事が終わると、真っ直ぐ家に帰ったと思っていたと、幹部は話していました。でも、翌日、劇場でシャンデリアに潰されて亡くなっていたと知り、天下の警視庁特高部もすぐには状況把握が出来なかったそうです。
 しかし、先生のご遺体が南條の服を着ていたのを手掛かりに、南條を協力者として疑い、家宅捜索をしたところ、彼の家の押し入れから、先生の服が発見され、厳しく追及したところ、あの夜の入れ替わりを白状したとのことでした。
 一ノ谷先生と南條は交換条件を交わしていたのです。先生は自分が特高に目をつけられているのに気づいていたため、先生の服を着た南條を自分の替え玉として使い、先に家に帰らせ、張り込み中の特高刑事も一緒に連れ帰らせることで、尾行をまき、南條の服を着た先生自身は、南條のだらしない女関係の清算を手伝った後、重役出勤で会合に参加するつもりでいた、らしいですね。
 確かに、先生と南條は背格好が似ていますので、帽子をかぶり、コートの襟を立ててしまえば、暗い夜道では見間違えてしまうかもしれません。明るい舞台上ですら、私は悪趣味な服のみを目印に、先生を誤って殺めてしまったのですから。歴戦の刑事さんと雖も、間違えてしまう時もあるでしょうし、あの夜は、その稀な間違いが不幸にも起こってしまったのでしょう。
 記事は、結果的に大成功を収めた特高を褒めたたえる論調で締めくくられていましたが、私は頭に靄が立ち込めてしまったみたいで、最後の方は流し読みをしてしまいました。
 南條自身は、地下活動とは無縁だったため、厳重注意で済んでいると報じられていましたが、どうでも良かったです。逮捕された方が良かったのにとすら考えていました。
 そんなことより、私の描いた物語が預かり知らぬところで、綻び始めていると悟り、体が震えました。
寒川の凍てついた瞳と脅しじみた台詞が、頭の中で何度も再生され、シュールレアリスムの絵画みたく、歪に混じり合いました。
 昨日、あの男が証拠を隠していた理由も今なら分かります。あの時点では、まだ秘密結社の件は着手直前でしたでしょうから、機密保持の観点から口外できなかったのでしょう。
 その後、私のところにも、形ばかりでしたが、特高部の刑事さんがいらっしゃいました。でも、寒川とは似ても似つかぬ仁王様みたいなおじさんと熊みたいな若者のコンビでした。
試みに、寒川のことを尋ねてみると、二人は揃って首を傾げ、そんな刑事、特高部にはいないと言い張りました。刑事さん相手には難しいかもしれませんが、二人が嘘を吐いているようには見えず、いよいよ私は不安定な心地になってしましました。
 おまけに、留置場のお巡りさんに私の取調べや面会の記録を調べて貰い、帳面も見せて貰ったのですが、寒川なんて名前は全く出て来なく、あの日、私は一日中、獄の中で過ごしたことになっており、取調べ自体がなかったことにされていました。
 ついに私は気が狂ってしまったのでしょうか。いやいや、存在しない青年刑事を妄想で作り上げ、取調べを受けるなんて、あり得ません。
 偽刑事が紛れ込んだのではないかと言ったら、そんな訳あるか、警察をなめているのかと怒鳴られてしまいました。
 あまりに私が寒川の話をするので、刑事さんたちは今更ながら、精神鑑定が必要だったのではないかと焦っている様子でした。


 一体、寒川は何者だったのだろう、何故、一ノ谷先生殺害事件の真相を見透かしていたのか、悶々と悩んでいる間に、世間の注目は、特高に検挙された演劇人たちにすっかり攫われてしまいました。
娑婆にいなくたって何となく分かります。毎日、大して進展のない同じような記事をどの新聞もこぞって載せているのですもの。それだけ、読者の需要があるのでしょう? 対して、劇団の看板女優による愛憎にまみれた脚本家殺しの続報なんて、どの新聞にも載らなくなってしまいました。
 初公判が間近に迫った頃、南條幹雄が首つり自殺をしたと三面のお悔やみ記事で読みました。炎の如く激しく愛し、憎んだ男の死の報でしたが、私の心はかさかさに乾ききり、涙も笑いも出ませんでした。
 ある週刊誌は、召集令状が来たのを苦に自殺したと、いかにも軟弱な優男らしい動機が遺書に書いてあったと糾弾していましたが、実際はどうだったのでしょうかね。自分の代わりに一ノ谷先生が死んでしまった上に、罪に問われはせねど、役者として味噌がついてしまったのに耐えられなかっただけにも思えます。
 座付き脚本家の死に看板女優の逮捕、更に看板男優の自殺と踏んだり蹴ったりの劇団黄色い家を、波子とこりんが必死に支え、観客の涙を誘っているという、うすら寒い美談も読みました。あれは、東京日月新聞さんではない、新聞でしたが。
 今や、少し前、日本中に注目され、殺人犯兼女優という異色のカリスマであったはずの私は、すっかり世間から忘れられかけています。
 世の中の注目を再びわが身に集めるにはどうすれば良いのか。自分で作った物語を、法廷で根底からひっくり返し、裁判官や検事、弁護士、傍聴人の方々の度肝を抜くという考えも浮かびましたが、そもそも私の公判にどれほどの報道陣が取材に来てくれるのかもわかりませんし、記事にする価値があると判断してくれるのかも、自信がありません。
 世間の人の野次馬的興味が、瞬く間に移ろってしまうのは、今回の事件で身に染みて実感しました。法廷で突飛な言動を取ったからって、裁判官に叱られ、検事に嫌な顔をされるだけで終わってしまうかもしれない。
 散々悩んだ挙句、私が思いついたのが、この手紙です。獄中、愛読している東京日月新聞様に、包み隠さぬ真実を綴った手記とも呼べるこの手紙を届け、紙面で特集を組んで頂ければ、私は再び脚光を浴び、舞台に立つように法廷でも振る舞えるに違いない。
 東京日月新聞様は、日本人なら誰もが知っており、購読者も全国津々浦々にいる大新聞です。御紙の影響力を信じ、あなた方に、私が知る脚本家一ノ谷貫三郎殺人事件とそれに付随する一連の奇妙な事件の真相を綴りました。寒川という正体不明の幽霊じみた男なんて、読者の関心を大いにそそると思うのですが、いかがでしょう?
 どうか、私の手紙を紙面に取り上げてください。お願いします。後生です。もし、お心づけが必要なら、いくらでも払います。
 良いお返事を頂けるのを待っています。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み