四十二

文字数 6,551文字


 三人はタクシーで四条大宮のバスプールまで行き、そこで降りた。そして、三人がなに食わぬ顔で横断歩道を渡り、眼の前にある京福電鉄の始発駅で別々に切符を買った。もちろん座る場所も別々で、目線を交わしもしなかった。。
 夜の八時前という中途半端な時間帯も手伝ってか、車内は意外と空いていた。
 時間帯からして、塾の帰りなのだろうか。小さな女の子や男の子も、あちこちにぽつんと離れて座っていた。互いの表情からして接点はなさそうな子どもたちだった。サラリーマン風の男たちや仕事帰り風の女性の姿もあった。
 三人は個々別々の場所にゆったりと腰を落ち着けながらも、ひょっとして村上が偵察のために乗ってきはしないかと、さりげなく入口に眼をやったりしていた。
 しかし、それらしい男は乗ってこず、電車は四条大宮駅を出発した。
 電車とはいっても、後ろから乗って運転手のいる前で降りるタイプの、たった一両しかないワンマンカーであった。こんなときに決して物見遊山な気持ちでいるのではなかったが、それでも三田はこの電車の鄙びた感じが痛く気に入ってしまった。
 三田はそんな思いをうちに秘めながら、、ぽんやりと車窓を見やった。乗り心地はまるでバスのようで、電車に乗っているとは思えなかった。実にこぢんまりした電車で、目まぐるしく行き過ぎる眼の前の夜の景色は見ていて愉しかった。
 太秦広隆寺駅は、四条大宮駅を入れて六番目にある駅であった。総じてこの嵐電の駅というのはこぢんまりとしてしていたが、太秦もまたこぢんまりとした小さな駅であった。
 里中が立ち、ついで谷口が立った。最後に三田が、車内をもう一度見渡すようにして立ち上がった。乗るひとも少なかったが、降りるひとも少なかった。
 さあ、これからが勝負だ。三田は奥歯をかみ締めた。
 時計の針は、八時三分を指していた。あと十分であった。三田は、先に降りた二人の後に追いてホームを出た。そして広い通りを左へ歩き、広隆寺のある交差点に向かった。交差点付近は、嵐電の踏切を控えている所為か、意外と車が停滞していた。
 これでは、車できた場合、逃げるのに難渋するだろう。やはり歩きでなければならないが、時間を示し合わせて車が迎えにくるのかも知れなかった。
 三田は、山門に続く階段の事前に権田が立っているのを見たが、素知らぬ顔をして階段を登った。階段を登りきった右側に谷口がペーパーバッグを手に立っていた。
 それもまた無視して石畳の上を真っ直ぐ進んだ。辺りは照明があまりない所為で、遠いところには眼が行き届かなかった。途中に水銀灯があったので、ちらりと時計に眼をやると、八時九分になっていた。もうそろそろ戻らねばならないと向きを変えたとき、どこからか現れた佐々木が足早に門に向かっていた。
 佐々木の前方には、二つの影があり、なにかを話し合っているように見えた。と、その瞬間、どこにそんな人数が潜んでいたのかと思うほどの一団が周囲の闇から飛び出してきて、一斉に二人を取り囲んだ。総勢五人は下らないようだった。
「なにすんねん。わしやない。こいつや。こいつが犯人や」
 谷口が大きな声で喚いていた。三田が急いで駆け寄ると、谷口が数人の屈強な男に羽交い絞めにされ、もがいていた。すべては佐々木や権田が到着する前のできごとだった。里中も夢中でやってきたが、なにが起こったのか理解できない様子であった。
「なにをするんだ。わたしたちは警察だ」
 ようやく気を取り戻したらしい佐々木が、警察手帳を高くかざして言った。
 一瞬、そこにいる全員が固まった顔で佐々木を見た。谷口を羽交い絞めにしていた男たちまでもが、その腕の力を抜いて彼を見た。
「そうでしたか。いや、ご苦労さまです――」
 現場を指揮していたらしい背の高い男が、佐々木の手帳を確認し、自らも手帳を取り出して言った。「われわれは太秦署の者で、わたしは飯田と言います」
「太秦――」
 佐々木が自分の警察手帳をポケットに仕舞いながら訊いた。「それが、なんでまたこんなところに出張ってきているんです」
「それは、われわれのほうが言いたい台詞ですよ」
 飯田がカチンときた表情で続けた。「伏見さんこそ、管轄違いなんじゃありませんか」
「それは、そうかも知れんが、われわれとしちゃあ」
 権田がドスの利いた声で言った。「意味があるから、きているんですがな」
「それは、われわれだって同じですよ」
 傍らで二人のやり取りを見ている村上に眼をやり、飯田が言った。「この村上さんが谷口という男に脅迫され、今夜ここで会うことになっていると聞き、張っていたのです」
「ええい、もうええやろ」
 谷口が痺れを切らしたように言った。「ええ加減、手ェ離してくれ」
「解放しなさい」
 飯田が言った。
 三人の刑事が谷口の拘束を解くと、谷口が口を開いた。
「よろしか。刑事さん。この村上という男は、殺人犯の可能性がある。あるホームレスの原稿をもとにわれわれは、そう推測した。少なくとも、そのホームレスが手にした保険金を横取りした男なんや。それを突き止めたわれわれは、この男を誘い出すのに成功した。この男が乗ってきたということは、われわれのいうことが正しいという証拠なんや」
「それは、話が全然ちゃいますわ――」
 村上が憤然とした表情で後を続けようとすると、飯田が遮って言った。
「いずれにせよ、詳しいことは署で聴きましょう。伏見さんもよろしいですね」
「ああ。そうしよう」
 佐々木が鷹揚に構えて答えた。
 太秦署へは眼と鼻の先だった。歩いて五分とは要からない距離であった。濃度に差こそあれ、総じて黒ずくめの男たちが集団で歩く姿は一種、異様だった。
「では、聴かせていただきましょうか」
 三十人以上が座れる会議室で、議長役の飯田が口を開いた。「まず、この方、谷口さんというんでしたよね」
「はい」
「さきほど、保険金のことをおっしゃっていましたが、あれは……」
「あれは、吉田というホームレスが手にした金で、奥さんの死亡保険金ですわ」
「そのことについては、われわれの調査でも判明しております。なんでも、殺された奥さんの保険金で、その証書はこの先の双ヶ丘病院の先生が預かっていたとか――」
「そうなんです」
 里中が受けて続けた。「奥さんは、ご主人にその金を真崎という家の娘さんに届けるようにとの遺言書めいたものを遺していました。それによると……」
「ああ。その先は、おっしゃらなくて結構です。われわれも調査を進めておりまして、その保険金が吉田栄一さんの口座に振り込まれたのを確認しておりますし、その一部で借金を返済されたことも確認済みです」
「はあ。しかしまた、どうしてそこまでのことを――」
 三田が怪訝な面持ちで飯田に訊ねた。「これほど短時間で調べることができたんでしょう。われわれが村上さんにアプローチしたのは、つい二日前のことなんですよ」
「ああ。それはですね。われわれが奥さんの事件を追っていたからです。この事件は自分たちの管轄で起きた事件でもありますから、ずっと以前から内偵していたんです。
 奥さん殺しの線を辿って行くと、度々入院しておられた双ヶ丘病院の精神内科の先生に突き当たりましてね。それで、奥さんの遺言のことも知ったというわけです」
「ふむ」
 谷口が鼻を鳴らした。「すでに調査済みっちゅうわけや……」
「そうです。ついこの間にも、隣りに住んでいた犯人と思われる男性の白骨死体が発見されたところでしてね。これで嵯峨主婦殺し事件も迷宮入りかと思われたんですが、神の助けというんでしょうか、まさに僥倖でしょうね。こちらの村上さんから、吉田さんの件で脅迫電話が入ったとの連絡がありまして、これはひょっとして真相を知っている重要人物の可能性があると……」
「それで、さきほどの捕り物シーンになったわけですね」
 三田が言った。「で、刑事さんは、吉田さんの小説については……」
「そういう小説があることについては、全く知りませんでした。村上さんから聞かされて初めて知りました。それで、われわれとしてもますます確信を深めたわけです。いってみれば、犯人しか知りえない事実に相当しますからね」
「ということは、小説の中身については一切ご存知ないということでしょうか」
「ええ」
「村上さんもですか」
 三田は、斜め向かいに座っている村上に訊ねた。
「はあ、知りまへん。わたしは、小説とかそういう辛気臭いもんは嫌いなんですわ。吉田はんが一生懸命、小説書いたはるのは知ってましたけど、中身については全然興味ありまへんでした。ましてやその小説に、わたしがそのお金を盗んだように書いてあるやなんて信じられまへんでした」
「そうでも言わんことには、乗ってこん思うたんや」
 村上のことばを受けて、谷口が言った。「保険金の話しても、なんやしれっとした返事しか返ってきいひんし、もっと突っ込んだれ思うてな」
「で、村上さんはどう思われました」
 里中が訊ねた。「われわれとしては、あなたをおびき出すために、敢えて具体的な名称を使わず、そちらから犯行に結びつくような言質を引き出そうとしたんですが……」
「最初は、どっかのヤクザが難癖つけてきたんやと思いました」
 村上はおずおずと切り出した。「オープンし立てのころは、ちょいちょいそういうのが出てきまっさかいな。けど、話聞いたら、なんのこっちゃわからへん。人違いかも知れんし、放っとこ思うてたんです。ほたら、つぎの日、またかかってきて、吉田はんの小説の話やら保険金やらの話が出てきたんで、こら本物やいうことで警察に連絡したんです」
「いまオープンとおっしゃいましたね」
 三田が間に入って訊ねた。「もちろん、クリーニング店の開店のことですよね」
「はい」
「われわれの調べたところでは、いま村上さんのやってらっしやるクリーニングパパというお店は、クールダックスのフランチャイジーですよね」
「はあ。そうですけど……」
「失礼ですが、その資金はどうされたんですか」
「吉田さんからもらいました」
「え」
 三田のみならず、三田と同じ列に並んでいる全員が驚きの声を上げ、互いに眼を見合わせた。三田は思わず里中を見たあと、村上に訊ねた。「――ということは、吉田さんは生きてらっしゃるということですか」
「いいえ。亡うなったはります」
「だったら、なぜ……」
「亡うなる前に『これ、あんたにあげるわ、その代わり約束ごとを聞いたってほしい』いうてくれはったんです」
「吉田さんが、ですか」
「はい。そんときは、まさか吉田はんが死んでしまわはるとは思いもしてへんかったですわ。そやから、お引き受けしたんですけど……」
「どんな約束です」
「あのひとは、自分が人妻に横恋慕をしたばっかりに、その家族と奥さんに結局は地獄の苦しみを味わわせた。その罪滅ぼしがしたかったんやと思いますわ。
 乾燥したみたいな雪が降った晩のことですけど、珍しう酒の入った吉田はんが身の上話をしてくれました。死ぬ前の晩でした。寒いときは、そうやって夜おそうまで話をし合うて、身体を冷やさんようにしたもんです。
 ま、そんなことはともかく、雪の降り方が、そのときと似てたんですやろか。吉田はんは、落ちてくる雪を見上げて色んなことを話してくれました……。
 奥さんとの馴れ初めのこと、いままでやってきた商売のこと、なかなか仕事が見つからへんで苦しかった日々のこと、自分が死のうとして死ねへんかったこと、奥さんがホームレスに差し入れをするようになったこと、うつ病になった奥さんに出ていけといわれたこと、レストランで涙をぽろぽろと流して自分を待っていてくれたときのこと……。
 ほんまに色んなことを話してくれました。そんなことを一切合財話してくれたあと、わたしに段ボール箱引っ張り出してきて、言うてくれたんです……。
『こん中に三千七百万円ある。このうち、七百万円をあんたにあげる。競馬の胴元かなんか知らんけど、好きな商いの足しにしてくれたらええ』とね」
「ふむ。それで――」
 里中が先を促した。
「吉田はんが言うには、『残りの金は、娘に渡してくれて言われてるんやけど、場所はわかってても、いつ行ってもおらん。電話にも出ん。マンションの名義は真崎家になってても、おそらく旦那さんは死んだか、入院するかして家にはおらんのやと思う。娘さんもおそらく、そこには住んでへんのやろう。齢からいうても、独立して別のとこで頑張ってるはずや。そう信じて、金は渡さんことにした』と……。
『いずれにしても、金には困ってへん家や。わたしが直接、謝らへんのやったら、金だけ送りつけても意味ないと思うたんや。いまごろ、こんなもん送ってきてなんや。そんなことより、お母さんを返せ言われるかも知れへん。そっちのほうが辛い……。
 そんなわけで、この金は嫁はんの供養のために使うことにした。
 そこで、あんたに頼みたいんやが、わたしになんかあったときは、小さいのんでええ、家内の墓、建ててやってほしいんや。わたしのはええ。家内のだけでええし、永代供養代も含めて、どっかの寺に頼んでみてほしい。
 あいつの骨は、どっかにあるはずや。新聞に出たくらいやから、警察か市役所か、どっかに訊いて、探してみてほしい。そして、それに使うて残った金の全部、双ヶ丘病院に寄付してほしい。あいつがかかってたような病気の研究に役立ててくれと吉田が言うてたてな……』
 思うに吉田はんは、結局は一人で生きてるのが辛うなったんとちゃいますやろか。奥さんをあんな形で喪わはってから、小説のほうもあんまり進んでへんようでした。図書館通いも少のうなってましたしね」
 村上は、遠いところを眺めるような眼つきになって続けた。
「そして、ようよう最後になった日ですわ――。
 あの日は、わたしも色々と話を聞かしてもらいながら、好きな酒をようけ飲ましてもらいました。四時間、いや、五時間も飲んでましたやろか、そのうち眠とうなってしもうて、寝てしまいました。
 明け方近うになって、あんまり寒いんで眼ェ醒ましたら、吉田はんの姿がありまへん。
 それで、昨日の今日ということで、心配になって、土手の上を歩いて川縁をずっと見て回ってると、吉田はんの姿がありました。吉田はんは、腰から下を川の中に浸けて、仰向けの姿勢で、空を見上げるようにじーっとしたはりました……。
 遠眼にみても、明らかに亡くなってることがわかりました。河川敷や土手の斜面は、ばりばりに凍りついてて、近寄ることはできませんでした。それで、伏見署まで行って、吉田はんの死体があることを知らせました。
 ほんまに悲しい死でした。ほんの短い問だったとはいえ、楽しい日々でした。あのひとの支えがなかったら、わたしはあのひととおんなじことをしてたと思います。
 それから一週間後、わたしは古巣の嵯峨に戻り、小さなアパートを借りました。家具も必要最低限のものを揃えました。
 そして、警察署に行って、吉田はんの奥さんの遺骨が市の社会福祉課にあることを教えてもらい、お骨を引き取りました。嵐山に無縁仏の永代供養をしてくれる日信寺というお寺があると聞いて、そこの墓地に美貴さんのお墓をつくらせてもらいました。
 そこの高台からは、吉田はん夫婦の住んではった嵯峨が一望できます。ほんまに眺めのええとこです。おそらくいまごろは、美貴さんも吉田はんも喜んでくれたはると思います。
 費用は、永代供養してもろても、お墓込みで二百万も要かりませんでした。その残り全部を、約束どおり、双ヶ丘病院に寄付させてもらいました。このことは、精神内科の山田先生に聞いてもろたらわかります」
 そこにいる全員が村上の話に耳を傾け、ことの真相を知った。
 里中は、胸中で自分の不明を吉田に詫びた。吉田本人の替え玉殺人説しかり、美貴さんの謀略自殺説しかり。すべては自分の疾しさが生んだ想像の産物であった。
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