アンタッチャブル・ジョー

文字数 2,325文字

 ……こう見えても

俺には女房と子供がいたんだ……

眼前で燃え盛る炎を

虚ろな目で見つめるジョー。

……今にして思えば

……振り返って見れば

あの頃が人生最高の幸福な時間だったてのが、よく分かる……

一呼吸置いてからジョーは続けた。
 ……もう五年ぐらい前のことになるのかな?

こっちの世界は月日の概念が曖昧だから

どれくらい経ったのか

よくは分からないんだが……

――その日、俺は

家族で買い物に出掛けていた


愛する妻と生後一歳になる長男と共に

……
……

赤ん坊のベビーカーを押すのはジョーの役目で、

顔からは満面の笑みがこぼれ、

この上なく嬉しそうな顔をしている、


誰がどこからどう見ても

絵に描いたような幸せな家庭。

買い物の前に、銀行に寄って

お金を下ろしたいと妻が言い出したのが


すべての不運のはじまりだった……

ジョーの家族が寄った銀行に

銀行強盗が押し入ったのだ。

動くなっ!

賊はフルフェイスのヘルメットを被った五人組。

五人全員それぞれが銃を手に持ち、

不運にもその場に居合わせた

二十人の人間達を銃で脅し屈服させる。

それだけであれば、

まだ不幸には至らなかった……

そういう時に限って警察は

至急に迅速に駆け付けて、


賊の五人組は逃げ遅れ、

人質を取って銀行に立て篭ることになる。

チッ!

ヒリヒリとした空気と時間が流れる中、

救出を今か今かと待ちわびる人々。

だがそんな状況でも

全く空気を読まないのが赤ん坊


まだ幼いジョーの息子は

大声を上げて泣きはじめる。



うるせぞっ! クソッ!
賊達は苛立ちを隠せない。
……

お腹が空いたのか、

おむつを替えて欲しいのか、

それとも眠たいのか、


理由は分からないが

必死で可愛い我が子を

なだめようとするジョーの妻。

動くなっ!
賊の銃口は、その動きすらも制止しようとする。
一向に泣き止む気配がない赤ん坊。
パァン

緊張と苛立ちのピークに達した賊の一人が

ついに銃を発砲させる。

だが、その大きな音に驚き、

赤子はより一層大きな声で泣き叫ぶ。

!!

どう考えても

状況は完全に詰んでいたんだ

極限の精神状態まで追い込まれた賊は

とうとう赤子に銃口を向けた。

それを見て咄嗟に身を投げ出して

ベビーカーの我が子を庇おうとするジョーの妻。

パァン パァン
再度、室内に銃声が響き渡る。


……………………

と同時に今度は

赤ん坊の泣き声がピタリと止む。

ジョーの妻は胸を撃ち抜かれ、

そのままパタリと

べビーカーに覆い被さるように崩れ落ちた。

大量に流れる鮮血に

真っ赤に染まるベビーカー。

――泣いている赤子はもういない。

おそらくべビーカーの息子も

そのまま一緒に撃ち抜かれたのだろう。

その様を目の当たりにした瞬間、

俺の中で何かが壊れた……

体中の血が煮えたぎり、全身を駆け巡る。

頭に血が上って、目の前が真っ白になって行く。


体が熱い……。

……そこから先は、もう俺も

断片的にしか覚えていないんだが……

――次の瞬間、ジョーは

銀行強盗に向かって体当たりをぶちかまし、

相手が持っていた銃を奪った。


パァン

すぐさま犯人に向かって発砲し、

まず一人、撃ち殺す。


パァン パァン

強盗達はそれぞれが手に持つ銃で応戦したが、

流れ弾は次々と人質に当たり

周囲の人間がバタバタと倒れて行く。


パァン
ジョーが二人目の賊を撃ち殺す。


パァン パァン パァン……
パァン パァン パァン……

強盗達もパニック状態に陥り、

喚き散らしながら、銃を乱射して

人質を次々と殺しはじめる。


パァン パァン パァン

自制心を失い、理性をも失くしたジョーは

激昂する激情のままに銀行強盗を次々と

五人全員を皆撃ち殺した。

それはわずかな、

一瞬の内にすべて起こったことだった。


……………………

――銃声が止む。

それまでの喧騒が嘘のようにピタリと静まり返り、

一転して深い静寂に襲われる。

ただ、肌に突き刺さるような

ピリピリとした空気


その圧があってはならない最悪の事態が、

起きてしまったことを予感させた。

俺が我に返ると

その場に立っていたのはただ一人……

自分のみ

そこに居た筈の自分以外の二十四名は

血に塗れた死体となって床に転がっていた。

さっきまでそこで生きていた二十四名が

瞬く間にただの肉塊と成り果てている


そして自らはかすり傷一つ負っていない

その事実を認識した俺は

恐ろしさのあまりに身震いした

奇跡などと言う、

そんな生易しく、安易なレベルではない

一瞬であれだけの銃弾が飛び交い

二十四名全員が死亡するレベルの

高い人口密度の中で


最初に飛び出した本人が

怪我すら一切せずに無傷だという


そんな馬鹿げたことがあるものか

もうそれは何か大いなる力によって

仕組まれた何かではないのか


背筋にゾクゾク悪寒が走り、

身の毛がよだった

家族を失った悲しみももちろんあったが、

その人智を越えた理解し難い状況に

またしてもジョーは正気を失った。

そして手に持っている銃、

その銃口を自らの頭に向ける……。

あのとき死ねれば、

よかったんだがな……

引き金を引けなかったのか?

……いいや、

引き金は引いたんだ、何度も

銃を替えたりもして何度も引いたさ
……しかし、死ねなかった
…………。
すべて、弾切れだったよ……

そ、そんな

馬鹿なことってあるのか?

あんたの身に起こったことすべて

たまたま偶然起こったにしちゃ、

天文学的な数字どころじゃない確率だぜ

まるで人間の力が到底及ばない、

何か大きな意思の力が働いて

あんたが死ななかったみたいじゃないか

そう、そうだよ

それじゃあまるで

ご都合主義のプロットアーマーじゃねえか

……あぁ、

本当に、そうだよな

物語の主人公が、創造主の庇護によって

生死を差配されるプロットアーマー、

コーエンはそんなものを引き合いに出した。

ジョーの話を信じるならば、

神なのか創造主なのかは

何者なのかは分からないが、

そうした見えざる大いなる力によって

庇護されているとしか思えない。

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